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サイコパスの感情乖離

僕はかなり合理主義型のサイコパスだ。

サイコパスと聞くと"他人の不幸を喜ぶような人"だと思うかもしれないけれど、そうじゃない。それは"マキャヴェリスト"というやつだ。

真っ当なサイコパスは他人の不幸を喜ばない。まず"喜ぶ"を基準に行動しない。

感情は使いどころがある

喜びの感情は出来るだけ他人がいるところに持っていく。

喜びは他人と分かち合う方が合理的だ。他人が幸せになると自分も幸せになる。幸せには相乗効果があるからそれを活用するために他人がいるところで、喜ぶ。

怒りの感情はnoteやTwitterに持ってくる。

今日そこそこプライドを傷つけるようなことを言われた。プライドが傷ついた場合普通ならすぐに言い返すものだが今日のは"言い返すメリットがなかった"のでとりあえず丸く納めた。

残ったのは僕のストレスだ。これをnoteやTwitterで活用するくらいが適当な解だろう。いまこのnoteはそのストレスからの勢いで書いてる。

感情乖離

サイコパスは自分の感情を計算しない。他人の感情は計算するけれど、自分の分は一旦置いておくことでその場では自分の感情を0として計算できる。

 自分の感情ナシで客観的に判断するから"超合理的"な判断が出来るし、いつだって自分の判断したことに後悔しない。

感情は客観生を大きく狂わせるし、感情で判断する人ほど後から後悔しやすい。
客観的に合理的に判断するために一旦自分の感情を0にするのだ。

でも乖離した感情を持っていく先が必要になる。そして持ち運び先はだいたいTwitterかnote。

ストレスがある状態でTwitterやnoteを書くと、めちゃくちゃキレのある、鋭い話ができる。共感してもらいやすいしいいねもよくつく。
怒りの感情をその場でぶつけてしまうのは、まあそのほうがスッキリするけれどせっかくnoteをやっているので記事ネタにしたほうがいい。

感情の行き場を失う

残念ながらTwitterやnoteはキャラ作りの場だ。キャラに合わない文章は誰も求めていない。

だから書けるものはストックした感情の中の一部だけ。自分のキャラに合う話はしてもいいけれどそれ以外の感情はストックしたまま、置き場はない。

だから、まだ壊れそうなくらいに感情が溜まっていて「ああこれがサイコパスの苦悩か」と言わんばかりに呆然としている。

まあこのnoteは、今の一文を吐き出したいために書き始めたものなので現時点でわりとスッキリしたけれど。

まあいいや。

サイコパスなのでこの感覚も忘れよう

定期的に出てくるかもしれないこの"感情溜まってる感"はまた都度文章にして解析することで軽減することができる

ストレスが溜まっていると自分のことしか見えなくなるというけれど、僕はこのnoteを書きながら客観的に自分を解析してストレスを消化した。

とりあえず今日一日には満足だ。

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