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おじいちゃん、あのね・・・

一人暮らしをしていた父と同居したのは、父に介助が必要になってきた為。
そして、嫁に行った私の家庭の事情もありました。
一度に、あれもこれも真剣に考えなければならないことが人生には有るものですが、このときから私の幼い息子も交えた長い身内介護が始まりました。

若い頃の父は酒癖が悪く、飲むと日頃のストレスが出るのかよく大暴れしていました。家庭が荒れていて、いつの間にか父は一人家庭になった訳です。
とはいえ、一つの仕事を68歳まで続け家族を養ってくれた父を見捨てるわけには行きません。

父は、職人でしたので年金は国民年金。それを60歳から受給するように手続きをしていましたので、65歳から満額を貰う場合に比べ4割カットになっていました。事務的なことに疎いのに、役所の人に質問もせずに手続きをしてしまっていたのです。「私に聞いてくれれば・・・」と言いましたが、そんなことは後の祭です。

お金お金とは言いたくありませんが、長い介護生活にはお金が必要。
4割カットになった父の年金は月額にすると4万円になりませんでした。
私のホームヘルパーのパート料も毎月合算し、なにかの際には、お互いの貯金も出し合い、自転車操業で家計をやりくりしていくことになったのです。

前立腺がんと糖尿病を持ち、自分で散歩や健康管理をせずに、いつも茶の間で横にばかりなっていた父は、足元がおぼつかなくなっていました。
そのせいで尿漏れもし、「毎日洗濯するから出しておいて」と言っても3日に1回しか着替えず、家族の言うことは、なかなか素直に聞くものではありませんでした。
あるときはパートから帰宅すると、廊下に大きな水たまりができていました。それでも、私には「頼む」の一言もなし。リハビリパンツを履いてくれるようにも頼みましたが、それも聞き入れず。
私が仕事でヘルパーをしていたので、フットワークを軽くして片付けてあげられたのは良かった。が、だんだん私も疲れてきました。

お互いに我を張り、会話が少なくなくなり、話すのはお互いを責める言葉ばかり。短気な父は、幼い息子の至らない点を怒り、泣かせることもあリました。バツの悪い父は険しい顔をしつつも食事が出来てくるのを動かずに待っています。

そんなとき、さっきまで泣いていた幼い息子が父に話しかけました。
「おじいちゃん、あのね・・・」
と、可愛い手で、父の強情に固まった左腕に触れたのです。

我を張り合う親子の気持ちを和ませてくれるのは、幼稚園生の息子でした。

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