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賃貸暮らしが好きな私が今まで東京で住んだ部屋① 東中野~落合

進学や就職で引っ越す人が多いこの季節。大学進学のため上京してからかれこれ25年も賃貸暮らしの、賃貸暮らしを愛する私がこれまで住んだ部屋について書こうと思います。

振り返ると、年齢や経験値によって部屋に求めるものも変わってきたと思います。まず、最初に住んだ部屋は、今思い返すと最悪でした。

忘れもしない、1995年3月20日。そう、地下鉄サリン事件が起こった日です。この日に私と母は上京し、部屋探しをしました。言うまでもなく、東京で部屋を探すタイミングとしては遅すぎます。が、田舎者の母も私もそんなことは知る由もありませんでした。

不動産屋をめぐる、という発想さえありませんでしたから、ただ大学の学生課にある物件情報だけを頼りにしていました。「大学の学生課が持っている物件」ということで、なんか「大学が推薦してる」みたいに思ってましたが、実際にはそんなことはなく、ただ大学周辺の物件情報を学生課が持っているというだけです。そしてそれは、一般的な不動産屋では借り手がつかなかった、つまりあまりいい物件ではない可能性がある、と今なら容易に想像できます。

しかも私は、一件目ですぐと部屋を決めてしまったのです。それも今考えるとありえません。部屋探しは何度もいろんな部屋を見て比較検討するのが当たり前。が、はじめての部屋探しでそんなこと知りませんし、それに上京したその日にすぐ部屋を決めないといけませんでした。

その部屋は、落合と東中野の中間くらいにあり、それぞれの駅から徒歩10分くらいで、交通の便だけはよかったです。家賃は58,000円で、部屋は5.5帖と狭く、浴槽はなくシャワールームのみでした。私はそのころ一人暮らしで銭湯通いするのに憧れていましたから、シャワールームだけでも一向にかまわないと思っていました。近くに銭湯があり、時々通っていました。うちには洗濯機がなかったのでコインランドリーを利用しており、コインランドリーを回している間に銭湯に入っていた記憶があります。当時はまだあちこちに銭湯があり、料金も今ほど高くありませんでした。

部屋は一階と二階に二部屋ずつあり、女性限定でした。私の部屋は二階にありました。通常のアパートのように外階段といったものはなく、部屋へ行くにはまず一階の玄関を開けます。するとそこに一階の部屋が二つ並んでいて階段があり、そこで靴を脱いで階段を上ると二階の部屋があります。おそらく築年数は相当古く、外観は古い一軒家といった感じでしたが、ちょうどリフォームしたばかりという部屋は綺麗でした。

隣りは大家さんの家です。今は近くに大家さんが住んでいる物件はあまりなくなったように思いますが、昔は多かったです。家賃も振込ではなく、直接大家さんのところに行って現金で支払っていました。家賃を支払う際、大家さんと数分程度雑談をしなければならず、少々面倒でした。

今思うと信じられないのですが、そこにはブレイカーがなく、ちょっと暖房を入れながらドライヤーを使ったりするとしょっちゅうヒューズが飛び、突然真っ暗になります。ヒューズが飛ぶたびに大家さんを呼び、直してもらわないといけませんでした。夜遅い時間であっても、電気が止まってるとなにもできませんから、仕方なく大家さんを訪ねます。引っ越してすぐに3回くらいはこれをやらかしていました。大家さんもたまらないと思ったのでしょう。まもなくブレイカーをつけてくれました。そうすることで、ブレイカーが落ちても自分で処理できるようになり、格段に便利になりました(というかこれが当たり前なのですが)。

さらに最悪だったのは、エアコンがありませんでした。東北出身の私は、東京の夏の暑さを見くびっていました。扇風機を回してもいっこうに涼しくなりません。しかも、窓を開けようものなら、網戸がないので、蚊がばんばん入ってきます。これには私も参りました。ちょうど家の近くに網戸を作ってるお店があったので、そこに頼んで網戸を買いました。というか、こんなの本来大家さんに頼むべきことなのに、私はわかっていませんでした。暑いさなか、できあがった網戸をえっちらおっちら部屋まで運び、自分で取り付けました。窓を開け、扇風機を回すことで少しはマシになったとはいえ、やはり東京の夏は暑く、夏の間日中に家にいることはほとんどなかったと記憶しています。

・・・このように、上京して最初に住んだ部屋は、部屋探しの勝手がわからず、最悪の物件に当たってしまいました。嫌なことはいろいろありましたが、一番嫌だったのは、大家さんが勝手に部屋に入ってきたことです。水道の修理が必要とかで業者を家にあげる必要があったのに私が不在にしていたので、合鍵で勝手に部屋に入ったのです。帰ったら大家さんと業者がいたので、私はぎょっとしました。そのとき部屋もちらかっていたので、恥ずかしかったです。大家さんはちらかった部屋を咎めるように私を見ました。が、これ、どう考えてもおかしいですよね?大家さんからしてみたらただ貸してるだけで自分の持ち家だから、部屋に勝手に入るのは当然、と思っていたのかもしれませんが、こちらは賃貸契約をして家賃を毎月払っているのです。ですが、まだ若くて気が小さかった私はもちろん文句などなにも言えませんでした。

そんなこんなで嫌になり、ここは二年で退出しました。この大家さん、敷金をあとで振り込むと言っていたのに、振り込まれませんでした。私は自分の使い方が汚かったからかな、と思ったのですが、そのとき私は自室でタバコを吸ったりも一切してませんし、なにかを破損したりもしてません。敷金は返してもらうのが当たり前なのです。でも私はどこまでも世間知らずでした。敷金を返してもらえなかったのは自分の使い方が悪かったせいだと思い込み、大家さんにはなにも連絡しませんでした。愚かだったと思います。

私がつけた網戸は、置いていきました。持っていったところで仕方がないですし。しかし大家さんはこの網戸の代金を一切払ってくれませんでした。今考えるとおかしいですが、これは私が勝手にしたことなので当然、とそのころの私は思っていました。世間知らずもいいところです。

このように、賃貸暮らしをするには、物件探しの際に気をつけないといけないところ(エアコンの有無とか網戸の有無とか)をきちんと押さえ、たとえば網戸を取り付ける必要があるなどなにか問題があったら大家さんに報告する、ということをしなければなりません。それがわからないといいように大家さんに利用されてしまいます。

ここにいた二年の間、家に長時間いた記憶がありません。勉強は大学の図書館でしていたし、昼はバイト、夜は大学やサークルや遊びで飛び回っており、寝に帰るだけでした。当時はインターネットなどもありません。部屋にあったのは小さなテレビとカラーボックス、衣装ケース、電子ピアノ、こたつ、食器棚くらい。ベッドはなく布団を敷いて寝ていました。一口コンロの申し訳程度のキッチンがついていましたが、使ったことはほとんどありませんでした。

いきなり洗礼を浴び、少しは賢くなった私は、ここよりもっといい部屋に住むことを決意しました。



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