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美しくつくる。

日経平均株価が1989年12月以来の史上最高値(3万8,957円)を超えようとしています。1602年にオランダで世界最初の株式会社が生まれて400年以上、みんなでお金(資本)を出し合って会社を持ち、その利益を資本を出し合った人どうしで分配する、株式と資本主義の仕組みはすごい発明で、今でも世界の大半の国がこの資本主義というシステムで経済を動かしています。

株式で得た利益は株主に分配したり、設備投資に回したりしてさらにその利益を成長させていきます。新しく追加された資本が元の資本と一緒になって、さらに成長して利益をあげていくことを「複利」と呼びます。

また会社法によると、株式会社は株主の持ちものであり、株主に利益を還元することを主な目的の一つとします。すごく乱暴に言ってしまえば、株式会社の社員は「株主に利益を分配するために働いている」ということになります。

複利の仕組みと株式会社の目的を組み合わせると、株式会社の社員も複利的な考えで利益を上げていく必要を強いられます。「前年比⚪︎%増の売り上げを目指そう!」といった前年に対して割合を掛け算するという目標が「複利的な成果を強いられている」ということなのです。なぜならその複利的な利益が、資本提供者である株主が喜ぶこと、つまり株主に配当金を還元したり、株価を上げたりする、株式会社の社員の目標であるからです。

ようやくデザインの話に入りますが「良いデザインとは何か」という議論で、「きちんと利益に貢献できるデザイン」という優等生的回答があります。商業デザインは商業的な効果をあげるためのデザインなので、何一つ間違ってはいません。儲けられないデザインは、企業がコストをかけて発注する意味はないからです。

私も商業デザイナーなので「この広告はどうやったら消費者の購買欲求を喚起できるのか」「どうやったらこの商品のファンを増やせるのか」などいつも考えています。これらのアイデアのほとんどが企業の利益に還元されていくことも織り込み済みです。

しかし、この「きちんと利益に貢献できるのが良いデザイン」という評価軸は、資本主義の枠組み(=株主に利益を還元すること)に従った1つの評価軸だということを意識することも大切だと考えています。企業が株主に利益を分配することが第一の目的なら、その依頼を受けるデザイナーが求められていることもまた、株主に利益を還元することだからです。

こういうことを書くと「いや私は企業ではなく、その先のお客様のことだけを考えてデザインしていますよ。」というご意見も出てくるでしょう。あるいは「カイシは資本主義に否定的なマルクス主義者なのか」と思う方もいらっしゃるかもしれません(ちなみに僕は商業デザイナー、資本主義どっぷり依存の人間です)。

僕が言いたいのは、一つのデザインに対しての評価の軸というのはいつも複数あって、その軸に油断して無自覚でいると、つい「常識という一つの評価軸」に頭が固定(アンカリング)されてしまうのではないかということです。

資本主義の話はその例えの一つかもしれませんが、加速した資本主義の中で複利的な利益を株主から追い求められ、大きな企業のモラルが欠如するニュースが目立つようになりました。メディア、飲食、販売業、さまざまな業界で、利益追求とモラル欠如がセットになった事件は、みなさんも思い当たるかもしれません。

株式会社が売上・利益第一主義であれば、当然その構成員である社員も売上・利益を何より優先すべきゴールとして動くということです。デザインなどの制作業でいうと、発注側にあたるクライアント企業、そして受注側になる制作会社もそうです。

いっぽうで、デザイナーはあらゆる状況や文脈(コンテクスト)をいつも俯瞰して、客観的に判断をくだしていく立場の職業だと思っています。たとえ商業デザインのど真ん中にいても、この部分は利益を担保しつつ、ここは利益を多少逸しても顧客の安全を守る、とか、例えば障がいのあるお客様にも快適に使ってもらうなどの考えも大切なのです。

コンプライアンス(compliance)という言葉はもともとは法令遵守ではなく、「追従」を意味する言葉です。さまざまな視点を持つことのできるデザイナーは、真の意味でのコンプライアンス、相手の立場で何が良いのか、利他的思考で「柔軟に追従した考え」を提供する立場ではないでしょうか。

経済的利益以外の指標をどう見つめていくか、「人としてこうあるべき」とか「社会はこうあるべき」という大上段の提案を、この場でするつもりは全くありませんし、僕にその資格があるとも思えません。

たしかに、モラル、規範、倫理ということは今後とても重要になっていくと思いますが、まずは一人一人、自分にとっての倫理をどう定義するかがポイントになってくるのではないかと思います。

僕はそれをあえて「美しさ」という言葉で表したいと思います。

デザイナーになった初期衝動、いろいろあると思いますが「綺麗なもの」「かわいいもの」「かっこいいもの」を自分の手でつくり出したい、それを共有して喜んでもらいたい、という思いが根底にある人は多いのではないでしょうか。その初期衝動こそが、それぞれの人にとっての「美しさ」の種になるのではないかと思います。

「美しい」というのは見た目だけの言葉ではありません。自分の規範に忠実かどうかということは、見た目を超えたところで「美しい」と表現できると思います。

商業デザイナーになり、資本主義の海にさらされて長く漂っていると、その種が枯れてしまうとともに、企業の方針に合わせて、個人としてのモラルや倫理も一緒に色褪せてしまうかもしれません。

デザイナーという属性・職能の良いところは、その気になればいつでも世界を相対的に眺め、その外側から関係性を俯瞰できることにあると思います。

資本主義という仕組みの加速度はもはや誰にも止めることができません。それを否定することは難しいとしても、「美しくつくる」という物差しを度々思い出し、最初にあなたが持っていた種を、もう一度磨き直してあげるのも大切なことではないかと思います。

ときには会社員としての立場ではないところで、自主活動・自主制作などをつうじて「つくる」ことを見つめ直す、利益と創作を分離してみることも良いかもしれません。

美意識は資本と違って複利、掛け算で増える必要はありません。その人それぞれが経験値の「足し算」でじっくり積み重ねていけば良いと思っています。

あなたが、いつも「美しくつくれる」場所がありますように。




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