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【エッセイ】1日だけつくばに滞在しました【短編小説】

筑波山(現実)


予は現代的言葉で云えば、筑波山にあこがれてゐる……わけでもなかったのですが、徳富蘇峰の「筑波遊記」を読み触発されたぼくは、休日を消費してつくばに行きました。今回の記事は、昔から多くの歌が詠まれている筑波山周辺を散策したというだけの、詩情に欠く紀行文となるでしょう。

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筑波嶺は女男の神山並び立ち空をかきりて乳房型の山 中村正爾

この一首は筑波山のみぞおちか、あるいは鎖骨あたりに位置する歌碑に刻まれています。北原白秋の弟子の中村正爾が詠みました。
乳房というのは、難しく表現しただけのつまるところおっぱいなので極めて、猥褻です。しかし、乳房のそこに並び立つのを知るには人々は皆、平野より仰ぎ見るほかにないという点で、崇高です。そして、それが仰向けに寝そべる大女の乳房であるとすれば、いつか午睡から目覚めて体を起こし、ぼくの立つ地面を、深林を、あるいは分厚い柴雲すらを揺らす奇跡を夢想せずにいられぬこれは、夢幻です

そもそも、男体山、女体山という名前からして公序良俗に反してはいませんか
しかも、2つの山は独立して立つのではなく、互いに癒着し、継ぎ目のわからぬ仕様。境目もわからぬほど、もつれ合っている男女が、関東平野という巨大にして緑なステージの上にいる。ぼくたちは神々の交接の現場を、出歯亀根性で見守っている。1000年以上昔から飽きもせず、衰えることのない性的眼差しを注いでいる。

先日ぼくが見上げた筑波山は、全体に靄がかかり、山頂付近は完全に真っ白に隠されてしまっていました。まるで、人間の視線にうんざりして、白いタオルケットを体に巻きつけるかのように。

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ぼくにはなにかしらに登れるほどの体力はありませんから、ケーブルカーとロープウェイを駆使したのですが「山頂からの景色」という誘惑に負け、最後に少し登りました。乳首です。おかげで、筑波山のぬかるみやわらかくなった地面は、スニーカーを泥のなか奥深くへ誘い込み、なかなか離してくれません。おかげさまで、ぼくのひざはがくがくです。

下山し、つくばゆきのバスに乗り込むなり天気は一転、太陽が照りつけ霞は透き通り退いてゆきました。そんな別れ際の大胆さに向き合って、ぼくは筑波山の魔性を感じずにはいられません。

人間の歴史というのは、景物に託され、蓄積されるのだと確認しました。山のように、人の手でさら地に潰すことの難しい地形は特に。気取った言い方をすれば、不変を期待させる景物というのは、現在の人と、過去未来の人との待ち合わせ場所になるのでしょう。
死人と、あるいはまだ産まれていない人と、ぼくたちは山で待ち合わせているのです。

下山して。
一人旅というのは、道中いかほど空想しても、誰に咎められることもないということです。すばらしい。お昼ごはんや(お)夜ごはんの内容を考えて行動する必要は一切なく、道を間違えたり行列で待たされたりしたときの怒りでも悲しみでもない虚無の感情の共有もいりません。とてもすばらしい。

ぼくはつけ麺を食べ、それからは宿でお酒を飲みながら本を読みました。観光ではなく休暇なのでそれがよいと思われました。このときに読みました「謎ときサリンジャー―「自殺」したのは誰なのか―」は、なかなか刺激的な内容だったので、この本については別の機会にあらためて紹介します。
ぼくはサリンジャーの短編では、「エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに」という題の短編が最も印象に残っています。機械じかけのように精密でありながら、どこを裂いても赤い血の流れるサリンジャー的短編の好例で、巧い小説です。

ホテル(虚構)


午後8時、ホテルに閉じこもった。筑波山の霧のために重くなったままの服を脱ぎ、ずっと濡れたままの髪をユニットバスで流してドライヤーをかけた。
準備したのは缶ビール2本とチューハイ1本で、何も考えたくなかった。ものを考えると、たいていネガティブに流れてしまうためだ。
(なんのために生きてる?)(今死ぬことで味わう苦しみと、あと何十年と生きるうえで少しずつ蓄積する苦しみと、どちらの総量が多いか?)(過去も現在も未来も無価値であるとすれば、なぜ人は(あるいはぼくは)生きるのか? なぜ生きてられるのか)
くだらない。くだらないことを考えることは、不健康だ。それになぜか悲しくなって、泣きそうになる。健康になるためには、馴染みのない場所に行って思考を散らし、アルコールで思考を白霧に包み隠してしまうことが要求された。ぼくは忠実に実行した。

日曜と月曜は、隣り合っていながら、実は巨大な跳躍が必要になる。命がけかどうかは知らない。
小さな液晶が、DVDのメニュー画面のようなもの表示したまま静止していた。課金をすれば映画が見れるらしかった。
ぼくは昔、山形に行ったときのことを思い出す。出羽三山。現在・過去・未来。立石寺は下半身のトレーニングに最適だった。
……、というのも、ぼくは山形の秘密を一つだけ知っているのだ。今まで、誰にも話したことはない。話す機会に恵まれなかった。ここで初めて公開しようと思う。
というのは、なんとも信じがたいことだが(安禄山が山の名前ではないのと同じくらい信じがたいことに)、山形のホテルのテレビは、無料で猥褻動画を見ることができる。課金は不要。見放題。冷蔵庫の飲み物のように、勝手に飲むと後で請求が発生する、といった罠ではもちろん、ない。定額支払のサブスクリプションでもない。NHKのように不意の取り立てに腹を立てる必要もない。完全な無料。ぼくが保証する。

あまり冷えていない酒を飲み干して、むしろ頭は冴えてしまっていた。何かを書こうと試したが、後ろから誰かに覗かれているような違和感のためにうまく書けなかった。それに、ホテルで書くに適した題材など持ち合わせていない。そもそも、「ホテルで書くに適した題材」など、地上に存在するのだろうか? うかうかしていると、また余計なことを考え出してしまう。ぼくは服を着て外出した。ルームキーは財布に入れた。駅前の小さなショッピングモールは閉まっていた。遅い時間のためか、疫病のために遅い時間の概念が繰り上げられたためか、判然としない。星も月もない。木製のベンチがひときわ冷ややかだった。

コンビニは開いていた。客がいないのだろう、制服を着た店員と若い男が外で喋り込んでいた。笑い声のない、妙に真面目な会話のようだった。コンビニからの白い光が彼らの陰影を深めた。
適当に缶チューハイを買い(いつかのストロング系不買キャンペーンの影響で、ぼくはストロング系飲料に偏見を持ってしまっていた)、ロケットの巨大な模型を野ざらしにしている公園に向かった。それは太空を支える柱にしてはいくぶん弱々しい姿だった。でもロケットは空を突き破ってゆくものだから、支える必要などないのだ。むしろその弱々しさは、儚げなものの常に備える一種の鋭さを意味しているのか。天幕を刺し貫き、びりびりと破る鋭さ。

公園には太陽系の模型があった。街灯は必要最低限の間隔で灯っていた。不審者注意の看板は錆つき風化していた。参辰は皆已に没し、夜闇は濃い。
噴水があった。かき回すような水音でそれとわかった。ぼくは合成樹脂のベンチに座り、コンビニのビニール袋を隣に置く。微風にこまかな水滴が混ざっていた。肌寒かった。
夜は白いものが目に付く。はじめそれは、持ち主の手を離れたビニール袋のように見えた。けれど遠近感がおかしい。その白いものは輪郭を歪ませながら、少しずつ大きくなるようだ。その正体を見極めるためにぼくは目を凝らした。それは水上を渡ろうとしていて、ぼくに近づいていた。あと少し、その正体のわかりかけていたそのときだった。
誰かがぼくの背中を固く細長いもの押した。思わず声が出た。ぞっとして振り返ると、甲虫の背のように黒々と光る2つの眼球が浮かんでいた。濁った白目は、眼窩からこぼれてどろりと垂れてきそうだ。
「虫が出るから」
と、はっきりした声で老人は言った。ぼくは黙っていた。
「今の時期でも出るから」
老人は立ち去ろうとしない。
「袋使ってとったりね。……蛇もいるよ」
「蛇ですか?」
「そう……。そう! 蛇、出るよ。噛まれるとプクーって、膨れてね。毒でね」
「へえ」
「この腕のとこがね」
老人はよれたシャツの袖をめくり、前肢を露出した。傷口を見せようとしたらしいが、夜が暗すぎてよく見えなかった。
「風船みたいに膨らむ。だから、ほっとくとこう」
老人はもう一方の手で、腕を切り落とすジェスチャーをした。前後に動かし続ける、のこぎりの切り方だった。
「でもね袋をガサガサってやると、逃げるんだよ。びっくりして」
「はあ」
「危ないんだよ」
老人の視線はビニール袋に一直線に向かっていた。コンビニで買った缶チューハイがまだ残っていた。ぼくは「ほしいですか?」と訊いた。すると老人は「いらないよ。家にある」と言ったきり闇に消えた。消えるのは一瞬だった。
「一緒に飲みますか?」と訊けばよかっただろうか? ほしいですか? じゃあ、犬を相手にするみたいだ。
ぼくはすでに開けていた缶を飲み干しホテルに戻った。結局、小説に使えそうな体験には巡り会えなかった。それに、トボトボ歩いて夜風にあたったせいで、酔いもなにもない。あとはもう電気を消し、頑張って眠ってみるほかない。

公園で見た白いものについて、ベッドの上でその正体を考えかけたが気が乗らずすぐやめた。どうせ、幽霊かなにかに違いないのだ。

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植物園(現実)

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二日目は植物園に行きました。パラパラと雨の降る天気は、昨日から引き続いていました。
植物園は名前を「筑波実験植物園」といい、この時期ならではのきのこ展を開催していました。きのこはアイコニックでかわいいためか、比較的たくさんの人が集まっていました。

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植物園はなかなか興味深い場所です。
もともと植物園は、基本的にはヨーロッパの植民地支配と関係があります。今では、一般公開を前提として作られた研究施設、という位置づけだと思いますが、当時は植民地固有の有用植物(見た目も含め)を、植物園で栽培・公開することを目的としていました。コロンブスの新大陸発見の興奮の中に、植物園もあったわけです。これが植物園誕生当初の経済的側面です。一方、文化的側面として、最初期の植物園というのは、聖書に登場するエデンの園をモデルに設計されたものが多数あります。植物園をエデンの園に見立てる、これは日本ではなかなか思いつかないことではないでしょうか。
エデンの園は常春と言われます。そのためエデンの園の実現のために18世紀のイギリスには、石炭を大量に燃すことで南フランスのような温暖な気候をイギリスに再現できる、常春を実現できる、と主張する人もいたそうです。ぜひSDGsの虹色バッチを進呈したいですね。
また、四季の存在はアンチコントロールの象徴として忌避されました。一年のうちに気候が変化するのは不安定、つまり完全な状態ではないとされたのです。それだけでなく、山や谷は大地の歪みであり、いずれ平坦に整うことが望まれていました。


もちろん、皆が皆一枚岩の主張だったわけでなく、現代につながるような科学的な方向での批判もあったそうですが。
変化が求められていない、ということは逆説めきますが、時間が重視されていない、ということでもあると思います。永遠、というのは無時間ということです。原因もなければ結果もない。そのような環境では、ニュートン力学もうまくいきません。


そんなわけで、人間が知恵の実を食べる前の、閉ざされた非論理の空間としてのエデンの園=植物園に、ぼくは興味があります。この話は材料をもっと集めてまとめて、しかるべきタイミングがきたらまた触れたいと思います。

さて、在宅勤務ばかりで脆弱になっていた足も久しぶりに疲れ切って(2日で40000歩の偉業)早早に帰路についたのでした。

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