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京都エッセイ⑧僕が本を年間100冊以上も読めるワケ

 さて前回までは才能と自己肯定感、センスが皆無の僕が、文学にしがみついてられるきっかけになった大学デビュー失敗について話した。

 今回はその時代からお世話になっている本屋さんの話をする。

 僕は現在月に10冊以上、年間で120冊以上を読むほどの読書家だ。それが多いのか少ないのかはわからないが、10代の頃の自分にはそんなことができる人は雲の上の存在だと思えた。

 そんな僕が大学一年生から今までそれを継続できるようになったのは、二つ理由がある。

 一つは、数を読むことに味を占めたから。

 お世話になった先輩に書くことについて質問したら大抵「書きたいなら読め」と返ってきた。

 だからその先輩が好きでおすすめしてきた作品は片っ端から読んだ。読まないと先輩に愛想を尽かされる。話についていけないと焦ったのだ。

 そのおかげで読む力だけでなく書く力もついたので、先輩のお言葉は間違いなかった。

 数を読むことに味を占めた僕は、先述した月間と年間の目標を決めて読むようになり、合評会でも全作品(多い時だと長さはまちまちだが二十作品以上ある)を読んで全作品にいの一番にコメントするという活動を始めた。

 先輩から紹介される作品、合評会で他の人が書いた作品は、自分の好みや読書レベルなんて関係ないため、読めないと思うものも少なくなかった。

 だけど読み解けないなりに、文章を読み、それについて話すことで、読み書きの技術がついたと思っている。

 負荷をかける筋トレみたいなものだ。続けているとハイになって続けてしまうところも。僕の場合はそれが今もなお続いているわけだが。

 長くなったが二つ目。これが本題。

 本屋さんで働くようになったからだ。

 大学デビュー失敗編で登場した「愛してる!」と言ってくださった先生に紹介され、本屋さんで働き始めた。

 本屋では自分の興味のない本も数多く触る。ほんの短い瞬間ではあるが文章を目にすることもある。例えば雑誌に付録をつける作業のときに一記事見たり、返品の作業をするときにぱらっとめくってみたり。

 他にも会社から送られてきたポップ。漫画に防犯タグをつけてビニールを付ける作業の際に見えたセリフや言い回し。お客様から頼まれて本を探したときに目に入る他の本の帯。ネットで在庫を調べているときに出てくる本のあらすじや紹介コメント。

 一つずつは一分にも満たない見知らぬ文章形態との出会いが僕を刺激してくれた。

 つまるところ買ってしまったのだ。刺激されて気になって買う。地元には本屋が車で1時間かかるところにしかなかった僕からすれば、そうやって本を買えることが少なかった。つまり本屋一年生の僕が本屋で働くということは毎日が購買意欲との戦いだったわけである。

 そしてもう一つ。他の店員さんに紹介された本が圧倒的に面白かったことがあげられる。先輩や先生でもそれはあったが、やはり本好きが高じて書店で働くような人が紹介する本はセンスがいい。紹介された本で、自分が知識不足で読めなかったことを除けば外れだったことはほとんどない。

 とりあえず他薦も自選も読みまくっていれば月間10冊なんて簡単に読めてしまうわけで。

 そんな僕は卒業してから就職に思い悩んでからまた本屋で働き始めた。名古屋に来てからも本屋で働いている。

 地元では何者でもなかった。大学でも何者にもなれなかった。でも本を読んでいるときだけはそんなことを忘れることができた。
 社会に出てダメな人扱いされても本屋で書店員としているときは社会で生きていていいんだと思えた。

 本屋はいいぞ。みんな行こう。
 本はいいぞ。みんな読もう。
 文章はいいぞ。みんな浸かろう。
 言葉はいいぞ。みんな使おう。

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