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具体と抽象:自分とスタバ

僕はよく、スターバックスにいそうな見た目をしていると言われる。そういうと、たいてい「あー確かにいそう」などと言われるもんだから、確かめてやろうと、先日駅前のスターバックスに足を運んでみた。

お誂え向きに、ガラス張りのフロントにカウンター席が並んでおり、そこにパソコンを従えた人たちがびっしり並んでいたので、ひとりひとりじっくりどんな人っぽいか観察してみた。

残念ながら、並ぶ人たちは、みな人間ということ以外の共通点を見つけられなかった。

無理やり共通点を見つけようとするのであれば、それなりに生活が整っている様が身だしなみに現れている人が多かったかもしれない。
別に、そうでない人がいなかったり、来れないと言いたいわけではなく、いる人間が確率的にそういった人が多かった、というだけの話だ。
僕も身だしなみには気をつけている方だから、その「身だしなみが整っているひと」という枠には入るかもしれないが、観察の結果「スターバックスにいそうなひと」という枠の中に、「身だしなみが整っているひと」の枠が収まっていて、その中に僕が当てはまっているみたいだ。

つまりは、スターバックスにいるひとの特徴を起点として見たときに、その中には「身だしなみが整っているひと」がひとつの特徴として現れ、「身だしなみが整っている」は僕の特徴のひとつでもあるので、その中に含まれる。その結果、僕は「スターバックスにいそうなひと」として認識されているのではないかと思う。

無駄な図解

遠回りしましたが、この記事で何が言いたいのかというと、こういったことが一瞬で頭の中で整理されて「スターバックスにいそうなひと」や「〜っぽいひと」などといったイメージが形成されているのはずなのだが、それが起きているということを意識しなければ、起きていることにも気づくことができないだけでなく、その力を使いたいときに応用することも難しくなるのではないか、ということ。

ものごとを覚えるとき、イメージするとき、情報が大きすぎると頭に入りもしなければ相手に伝えることもできないから、人はどこか特徴的なところを見つけたり、全体に共通していることを抽出して、できるだけ数少なくシンプルに情報を捉える。

原っぱに、キリンとシマウマとゾウとライオンとヘビとウサギがいた。

というよりも

原っぱに、動物がいた。

の方が覚えやすく、情報として伝わりやすい上に齟齬がない。

もちろん、具体的にどのような動物がいたのか知りたい場合にはすべて羅列する必要があるが、その細やかな情報が必要ない場合には、状況を抽象化し、情報を単純化したほうが覚えやすいし伝えやすい。

こういった力は、常日頃は無意識に作用している訳ですが、それを上手に使いこなせている人とそうでない人は、意識してみると割とはっきりと浮かび上がるように見分けることができると思う。

職場や私生活でも、具体化と抽象化という能力が高いだろう人は、例え話に富んでいることが多く、大抵の物事を相手にあった抽象度で話すことができるため、分かりやすく物事を伝えられるんだろうなと感じる。

階層思考や構造思考、論理思考も、この具体と抽象の力をなくしては実現できないように思える。

後輩に「ロジカル思考を身につけるためにはどうしたらいいですか?」と質問された際に、まずはこの力を身に着けてみてはどうか、と言ってみたことの、まとめのような記事。

細谷さんの「具体と抽象」という書籍は、ページ数も少なく漫画要素もあり非常に読みやすい書籍なのにも関わらず、具体と抽象を行き来する力の使い方を分かりやすくかつ実践的に説明されている。僕も20歳前後でこの書籍に出会い非常にその後の生活全般で助けられたことを覚えている。
偉そうに言える立場でもなくある程度使いこなせてきているかな、といったくらいではありますが。

ちなみに僕は、スターバックスには年に1回行くか行かないかくらい。属性集団に含まれているからといって、対象になるかどうかは、分からないものです。


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