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フィクションあるいはデフォルメした実話

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記事一覧

「ドバイから飛びりし先」 ノンフィクションのようなフィクション

「結局、ジョージアくんだりまで来なくてもよくなったんだよなあ」 ドバイからフライト3時間ほどでトビリシまで飛んでいるエミレーツの格安航空の機上で、森晋一はひとり呟いた。 そもそもの始まりは、2月第2週にドバイで1週間、コンサル先の顧客企業がドバイの業界展示会にブース出展する支援で滞在予定だったところ、同じ案件で中東ビジネスの提携先としてとある中東のグループと提携の覚書を調印するという話が持ち上がってきていた。その調印をその展示会の週にしようと言っていたのが1月にはいって、

スローダンス in Kyoto

「ある木曜日の午後3時、20代かとみえるオーストラリアの若夫婦が、客一人いないパブにはいってくると、冷えたギネスを所望。 ちょうど店番をしていたナガト(日本人が店番することも時にはあった)が話かけると、結婚したてでハネムーンでの京都旅行だという。 ちょうど店内は、マルがこだわって自腹で買ったレコードのジュークボックスがあるのだが、そこから古い1930年代のスローなビックバンドジャズが流れていた。 ほろ酔いの二人は、そのジャズにあわせてゆっくりと踊りはじめた。 きちんと

【小説】ユア・アイリッシュ・パブ インバウンド繁盛記

「しんちゃん、それ、大きな間違い。外人はさ、1年、暗~い空の街で、毎日嫌々働きながら、今年の3週間の休暇はどこへ行こうかなとそれだけをおもって生きてるわけよ。で、タイのビーチとかに行くんだけど、今年は、職場のダニエル夫婦が行ったらえらくよかったという日本に行ってみようかとなるわけ。でもね、休暇でくるから、スシ、テンプラ、サケ、イザカヤ、だけじゃだめなんだよ」。 白あご髭と鼻髭をたくわえた初老のおやじが、中年後期の髪がちょと薄くなりかけてきた男にむかって、諭すように言う。

小説「ユア・アイリッシュ・パブ」後日譚

ぶぅん。 ロンドンに出張中のシンイチの携帯のインスタにメッセージが飛び込んでくる。 「えええええ、シンちゃん、ロンドンいるの?俺も昨日リバプールからロンドン入り。いつまで?」 懐かしい人からのメッセージだと、シンイチはまず思う。コロナで京都のパブを店じまいしたのが2020年の7月だからもう3年会っていなかった。ちょうど自分が昨夜インスタにアップしたロンドンの街並みの写真に反応したのか。 「マルさんも、イギリス!? You は何しにイギリスへ?私しゃ、明日金曜日の夜便で

【短編】チャーリー・パーカーの墓さがし

真夏の暑い昼下がり、カンザス・シティの墓地で、Mと僕とで手分けしながら草ぼうぼうの平らな墓石の中から、その上に斜めの棒に羽ばたいている鳥がのっているのを探していた。蝉がうるさく鳴いていた。 墓の写真が載った本が正しければ、この目の前の藪に囲まれた100m四方くらいの範囲にその墓はあるはずだった。 Mの新婚の妻Bは、今朝、僕が車でMを迎えに行ったら、けっこう怒っていた。 「結婚式の翌日に、うちの旦那をひっぱりだして、誰かの墓さがしなんて何考えてるの!」 顔はいつものよう

天才児?たちとのロシアンリバー下り(2/2) 手製ポテトサラダとテント・サウナ 究極のセラピー?

(後編) 3.手製ポテトサラダとテント・サウナひとつ訂正。前編で、下流でカヌーを借りてひたすら押して上流をめざしたと書いたが、たぶん、最初の方はオールを漕いで上流を目指していたように思う。記憶違い。このWebでみつけたタイトル写真のロシアン・リバーの川幅が広い辺りは、水深も深そうだし、オールで漕いで川上を目指したはず。だんだん川幅も狭くなって流れも急になったあたりから、じゃぶんと川に浸かってみんなでカヌーを押したんだと思う。 休憩をいれながら、数時間あるいは4・5時間かけ

【短編】アンデスの雪解け 世界の中心から一番遠い所でニヤリと眠る

大学の1年先輩にNさんという人がいた。ひょろっと背が高くて、短髪なのにボサボサの髪で、細長い顔がいつも日焼けしているような人だった。 日焼けの訳は、たしか登山部で結構山登りしていたから。当時、僕は中南米を研究するという学科にいて、そこの1年先輩だった。 その研究室は、先生が現地主義で、学生もどんどん現地へ行って来いという感じだったので、僕がその研究室にはいったときに、多くの先輩達がなんらかの形で中南米渡航経験者だった。遺跡の発掘の手伝いだったり、文化人類学のフィールドワー

ミルトン・ナシメント

3年前くらいにSNSに書いた文章の焼き直し。 先週末、知人宅飲み会でラテンアメリカ系音楽にやたら詳しい日本人に出会う。アパレル会社のシンガポールの現地法人の社長さんだが、え、なんでと驚くほどそちらの造詣が深い。 ブラジルのMPB全盛期のカエターノ・ベローゾとかジルベルト・ジルとか、どサンバのエスコーラではどこがいいとか、サルサならルベン・ブラデスとかウィリー・コロンとか、懐かしい名前が続々出てきて、驚くばかり。世の中には同好の士はいるんだなあと。 当方もラテン系音楽にの

いこみき

「新潟は、わたしの故郷ガリシアに、とても似ている」と、イサベルが言う。 日本語の響きが好きで、スペインの大学で専攻して、去年から日本の大学で明治時代の文学の研究をしている。 「そうだね。海岸線はリアス式、自然豊かだし、魚も美味い」 「リアスはスペイン語、日本語では溺れ谷」と僕の発言を訂正する。 「リア(入り江)よりも、溺れ谷のほうが、水が長い間かけて侵食した谷が埋没して海岸線になった感じがでています。美しい日本語は使わないと」 東京から5時間の長旅ドライブ。やっと日

とんでとんで アルゼンチン

昔、将来のことなんて何も考えていなかった若い頃、往復のチケットと日本だと1ヶ月くらい生活できるかなという現金を持って、南米を旅した。 当時の南米は、20年くらい続いた軍事政権のもとで進められた経済政策が破綻して、年間数百%、国によっては数千%のハイパーインフレだった。国庫は破綻して、国は荒れていた。 はしょって解説を試みると、資源豊かなアルゼンチンとかブラジルとかが、1960年代に、資源輸出が先進工業国に買い叩かれる一方で割高の工業製品を輸入させられたら、だんだん自分たち