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花とジャズの夕べ

久しぶりに太陽を見た気がする。
冷蔵庫の食材をかき集めてお弁当を作り、近くの公園へ行った。

青空に映える、限りなく白に近い薄ピンクの花。
世の中にこれ以上美しい花はないと、毎年、桜が咲く度に思う。

そして、この季節がくる度に思い出すことがある。
あれは学生時代、満開の桜が都会を彩っていた頃のこと。友人たちと荻窪界隈で飲んだくれた後、吉祥寺へ移動してさらに飲み、酔っ払いとなって夜の井の頭公園に忍び込んだ。
すでに午前様。当然、電灯は消され、園内は真っ暗。それでも月明かりと桜の花びらが白い影を落とし、所々に場所取りのビニールシートが敷かれているのがぼんやりと目に映る
特にあてもなく歩き続けているうちに、どこからか、かすかなウッドベースの音が聞こえてきた。その方向に目を凝らすと、明かりが灯る場所が見える。
私たちは早足でその明かりを目指した。やがて広い場所に出ると、そこでは大きな焚き火が焚かれ、ジャズバンドが生演奏を披露しているではないか。
見物客はほんの数人。誰もが酔っ払いついでに夜桜見物にやってきた輩のよう。
私たちは近くに敷かれていた大きなビニールシートに座り、しばらくジャズの演奏を聴いた。シートに寝転がって夜空を見上げると、焚き火に照らされた、満開の桜が空を覆い隠している。なんて幻想的な光景だろう。
生演奏のジャズをBGMに、私はうっとりと桜を眺め、時間が過ぎるのを忘れてしまった。こんな経験はやたらと出来るものではない。

それから数年後、桜の季節に吉祥寺に行く機会があり、夜の井の頭公園へ行ってみた。ジャズバンドもいなければ、焚き火も焚かれていなかった。
ひょっとしたらあの夜の、あの美しすぎる光景は、夢だったんじゃないかと思うことさえある。
でも、誓って言うけれど泥酔して見た幻覚では決してない。
あれから何度、春が巡り、何回、花見の席を経験したことだろう。あの夜、荻窪で一緒に飲んでいた友人の一人も、既にこの世にいない。
どんなににぎやかで楽しい花見の席も、あの日本一贅沢な夜桜にかなうものはない。数十年の時が過ぎても、春という季節の、一番の思い出である。

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