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思うこと313

 今度、清流劇場の『野がも』を観劇しに行くので、予習がてら原作であるイプセンの『野鴨』(岩波文庫/1996年)を読んだ。親同士の因縁や過去の出来事に振り回され、その息子であるグレーゲルスとヤルマールは己の信念を貫こうとしつつも、徐々に深みに落ちて行く。撃たれた野鴨はくちばしで藻や水草をはさみながら、どんどんと水底へ潜り、二度と浮き上がってこない…という劇中で語られる野鴨のエピソードは、あらゆる人間に起こりうる「症状」のように見えた。話としてはかなりやりきれない類のものであった気はするが、最も悲劇的な(あるいは悲劇的に見える)ヤルマールとその妻にはなんとなく希望がありそうな感じもあり、だけど、やっぱりなんか個人的にはけっこう凹む。
 とはいえこれが実際の舞台では一体どういう風に演出されるのか、私ははたして再び凹むのか、あの狩場はどうやって表現するのか?…等々、何だか色んな意味で楽しみになった。

 ところで登場人物ヤルマール夫妻は、写真スタジオを経営することで
生計を立てている。イプセンによって『野鴨』が書かれたのは1884年。
19世紀は1839年に「ダゲレオタイプ」という写真撮影法が発表された時代でもあるから、まさに写真黎明期というか、写真というものが認知され次第に人々の間で広がって行く…、的な激動の時代ではなかろうか。イプセンが生きていたのは1828年〜1906年だから、まさに写真誕生〜発展までをごく身近に感じていたんだろうなぁ、などと妄想。
 そう思うと、ヤルマールが『写真のことで何かすてきな発明が僕ならできるだろうって。』と他人から焚き付けられたという、今の時代ではあまりピンとこない彼の事情も、写真黎明期ならではな描写に思える。

そういえば、

禿の紳士 「トカイ・ワインも写真と同じことでね、エクダル君、太陽の光が必要なんだよ。そうじゃないかね?」
ヤルマール 「ええ、そうです、光が確かに必要ですね。」
セルビー夫人 「それじゃ、宮仕えをなさる方たちとそっくりですわね。みなさんも、陽のあたる場所にいらっしゃらなければいけないって、伺っていますけど。」

 …なんて写真の小ネタ会話も挟んでいて、ちょっとニヤリ。イプセンは『人形の家』すら読んだことがないのだが、もしかして他の作品にも写真の小ネタがあるかも…?と思うと、色々読んでみたくなるという、何だか軽率な気持ちを抱きつつ。


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