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思うこと377

 ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』(集英社/1998年/原作1925年)を読む。実はウルフの小説は初めてではなく、ちょっと前に『灯台へ』(原作1927年)を読んでいた。
 たしかこの本の感想は、いまいちまとめきれなくて書かずに終わったのだが、ウルフの小説は読みづらい…と感じてしまいそうになったことは覚えている。これと言った大きなイベントが起こるでもなし、ひたすら夫人やその知人たちのモノローグのようなものが繋がれていく。無論語り手はころころ変わる。
 それでも一冊だけで判断するのはまだ早い!と思い、今回はせっかくなのでこちらも代表作の一つである『ダロウェイ夫人』を借りてみた。

 ところで『ダロウェイ夫人』も、リチャード・ダロウェイの妻であるクラリッサ・ダロウェイの思考を中心に、青春時代のボーイフレンドのピーター・ウォルシュとか、娘のエリザベスとか、全然関係ないと思しき戦争帰りで精神を病んだセプティマスとか、その妻のレイツィアとか、とにかく様々な人々の思考が展開される。
 なんかこれは「意識の流れ」と呼ばれる手法らしいけども、読んでいる方としてはやっぱり疲れてしまう。(散々南米文学を読んでいて何を…という感じでもあるが。)

 しかしながら、とある6月の1日を人々の意識だけで繋いでいく話、と考えると、読み終わったあとは「ほーーーん」と結構満足感がある。クラリッサによる社交パーティの準備、いざパーティの時間が来るとあらゆるお客がなだれ込む。そしてパーティは終わっていく。そんなシンプルな基軸の周辺に、なんと膨大に人間の思考が渦巻いていることか。
 過去を思い出しつつ現在の自分に虚しさも覚えつつ、それでも最終的には生き続けることを選ぶクラリッサの姿勢には、なんとも清々しさ的なものさえ感じる。

 『ダロウェイ夫人』を書いた時のウルフは43歳。作中の人物はだいたい50歳半ば。若かった時代を振り返り、今の老いた自分を引き連れて、一体何処まで人は歩みを続けていけるのか。他人への気持ちや、正しさや、ふとした過ち。
 「人間性がのしかかってくる」という作中のワードは、病んだセプティマス青年の気持ちでもあり、実際に精神の衰弱に苦しんでいたウルフの心からの本音であるような気もする。

 ここまで読んだのだから、『オーランドー』や『幕間』なども読んでみようかな、と思う。それにしてもイギリスの小説って、なんか凄いんだよなぁ密度が!なんでだろう。

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