見出し画像

思うこと329

 トーマス・マンの『ブッテンブローク家の人々』(岩波文庫/1969年)を読み終わった。十数年前に読んだ北杜夫の『楡家の人びと』が今でも印象深く、同時期に太宰治の『斜陽』を読んだところ、しみじみと「没落していく家族」の物語が面白いと感じていた。(面白いとか言っていいのかは分からないが…。)近年チェーホフの『桜の園』を読んだせいか、最近になってまたそのことを思い出し、気まぐれに北杜夫のことを調べていると、なんと『楡家の人びと』は1901年に書かれた『ブッデンブローク家の人々』に影響されて書いたと言うではないか。じゃあ読むしかないな、と問答無用で思ったのがきっかけである。北杜夫が自らの家系をモチーフにして作品を描いたように、『ブッデンブローク家の人々』も実際のトーマス・マンの家族を下地としているらしい。

 トーマス・マンといえば『ベニスに死す』が有名で、もちろんこれは読んだことがあるが、他の作品は読んだことがなかったと思う。同時代のドイツ作家ということで、当然作品に相違はあるに決まってるのだけれども、なんとなくヘッセと似ている感じの読書体験だったような気がしなくもない。ドイツ文学特有の「カチッ」とした感じ(偏見です)。

 まあそれはともかく、いざ借りようとすると、岩波文庫が上・中・下と三冊に渡っており、一冊はそこまで分厚くないものの、ちょっとたじろいだ。
ここ最近ではユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』以来、がっつりした長編小説はあまり読んでいなかったからだ。しかし読まない訳にもいかん!と実際図書館で借りてみると、これがもう無茶苦茶に読みやすい!当時のヨーロッパでベストセラーにもなったくらいだから、確かにこれなら多くの人が
気軽に読めそうだ…と思ったりする。

 話もそのタイトルの通り、商会を営む「ブッデンブローク家」の情景を追う、至ってシンプルなもの。1代目のご老体〜4代目に至るまでの長い彼らの歴史は、主に当主の同行と、2代目当主の娘であるちょっとおてんばなアントーニエを中心に語られる。もちろん途中、市民革命や戦争などの時代の風もビシビシ受けつつ…。アントーニエは幼少期の豪華で贅沢な暮らしから、じわじわと衰えていく自分の家を悔しい思いで眺めている。昔はたいしたことなかった近所の商会が力を付けていったり、家族全員で過ごした豪邸を売ることになってしまったり。彼女なりに努力もしていたのだが、家のためにと良い縁談があれば果敢に飛び込んでも、ことごとく失敗。

 結局、彼女が愛した「ブッデンブローク」という高貴な家柄は悲しくも小さく尻すぼみ、最後には引き継ぐ者もいなくなり、立ち消えてしまう。

 序盤から中盤にかけては、誰が誰と結婚するとか、庶民との許されざる恋愛だとか、何だか昼ドラとかホームドラマみたいなノリで都度都度楽しく読めるのだが、後半はわりとろくなことがなく、最後の当主に当たるハンノ少年の陰鬱な描写はちょっと気が滅入ってしまう。しかしながら、ハンノ少年はブッデンブローク家が長年纏ってきた「業」みたいなものを最後に一人で背負い、早々とこの世から去って行ったようにも見えた。

 それから印象的なのは、各人物の死に際の描写の細かさ。事故でフッと死んでしまう者、病気にあえいで苦しみ抜いて死ぬ者…。そして愛する家族の死に、嘆き悲しむ家族たち。家系というのは、もちろん子孫たちが生きて紡ぐ歴史でもあるが、それと同時に、死の悲しみを丁寧に積み重ねる作業でもあるのだなあと思った。

 というわけで読後はなんだかしんみりしてしまう『ブッテンブローク家の人々』だが、非常に良い読書をした。もし「長そう…」と敬遠している人がいれば、「全然読めますよ!」と今後も大声でオススメしたい一冊。そしてどちらが先でもいいけど、是非『楡家の人びと』も。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?