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思うこと374

 ホセ・ドノソの『別荘』(現代企画室/2014年/原作1970年)を読む。ドノソと言えば『夜のみだらな鳥』(水声社/2018年/原作1978年)だが、これは以前読んだものの、なんかヤベエなあという印象のみが残っており、話の細かい内容はほとんど忘れた。
 しかしながらあの文章の中から物凄いエネルギーを感じたことは確かであった。それでもある種の「夜のみだらな鳥トラウマ」が残ってしまい、なかなか他の作品に手が出せずにいた。かと言って南米文学への好奇心が止まるはずもなく、やっと今回読む決意をしたのが『別荘』であった。

 『別荘』は、恐る恐る読み始めたわりには、かなり分かりやすい話だ。
あとがきにも『夜の〜』よりは話の内容が簡単、的なことが書かれている。

 ベントゥーラー家という一族が、金の鉱山の管理や取引のために夏の間の三ヶ月、マルランダという土地にある広大な別荘で過ごす。基本的には金の採掘や別荘での生活は原住民を使役しているので、一族は悠々自適にただただ時間を消費するのみ。ベントゥーラー家の兄弟姉妹7人と、その配偶者、そしてそれに連なる子供たちが30人以上。
 とにかくそんなわけで人が多いしわりと退屈だし、子供たちに煩わされるのもなあ、と思った大人たちは、子供たちを置いてピクニックに出かけてしまう。(使用人も根こそぎ連れていく)。マルランダには未だに「人喰い人種」がいるという恐ろしい噂と、大人たちが誰もいなくなった別荘。さて、大人たち不在の1日を、子供たちは無事に過ごせるのか?!

 …という感じで、「はじめてのおつかい」ならぬ「はじめてのおるすばん」的な、物語の導入としては非常に親切な始まり方だと思う。最初は子供たち同士の怪しげな関係性とか、子供たちが日常的に一応遊びとして演じている劇中劇『公爵夫人は五時に出発した』とかが絡み合い、なんだかミステリアスで耽美的な雰囲気もある。けれども、次第に9歳のウェンセスラオの父であるアドリアノ・ゴマラが狂人認定されて塔に幽閉されているとか、
別荘を囲う柵をみんなで壊してみたりと、「おいおい大丈夫か」とだんだんハラハラしてくる。
 そしてこのハラハラは決して肩透かしなどではなく、その後、物語の展開と共に、別荘も子供たちも大変なことに
なるのである。まじで。

 この「一体これどうなってしまうんだ?!」的な衝動に突き動かされ続けるため、わりと分厚い本であるが、かなりするする読めた気がする。また、小説を読んでいるというよりも、何か一つの映画を観ているような感覚もある。

 人間同士の様々な執念が渦巻いており、そんな中、土地を覆う「グラミネア」という植物は容赦なく成長し、その過程でおぞましいほどの量の綿毛を飛ばし、なんとそのせいで呼吸困難になるほどに人間たちを苛む。そんな自然界のクールさがなんかかっこいい。(?)

 あと、なんでも面倒ごとがあると「分厚いベールをかける」ことで忘れようとする大人たちのスタンスは、作中ではとても誇張されているように見えるが、現代の我々だって少なからず持っている感覚だと思う。
 そう、「将来どうしよう」などとチラリと考えはするけどすぐに「落ち込むからやめよ!」と思考停止している私なんてまさにこの「分厚いベール」をかけているのである。(考えろよ!)

 そんなわけで、『別荘』、大満足でした。これを機に無駄にドノソ避けなどせずにまた他の小説も読んでみたいと思う。

 ところで、これもあとがきで読んだのだが、生前のドノソが語るところによると、その頃彼の翻訳小説がよく売れている国は、日本とポーランドだったらしい。何でだろう。気になる!!

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