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映画『ありふれた悪事』を観て ~「愛国」の耐えられない軽さ~

◇ 1987年 ◇

時は1987年。
舞台は、韓国のソウル。
たかだか34年前、まださほど大昔とも思えないこの時代に韓国は軍事独裁政権だった。
1987年は、チョン・ドファン政権の任期最後の年。
独裁政治に我慢ならない民衆の、大統領直接選挙制実現に向けての憲法改正を求める声が激しくなっていた。
しかし政権は、直接選挙制への改憲は頑として拒否。
同年の4月13日に「4・13護憲措置」を発表し、現行憲法の規定通り、選挙人団選挙により間接選挙で次期大統領を選出することを決めた。
だがこの「4・13護憲措置」により、かえって民衆の反発はより一層強まり、民主化への機運はさらに盛り上がることになる。

その後、「6・10デモ」、「6・26デモ」、「6・29宣言」というプロセスを経て大きく政治は動き、大統領の直接選挙制の改憲を行うことや民主化措置を実行するなどといったことを政権に約束させるに至った。
これがいわゆる「6月民主抗争」である。
まずはこの映画の背景に、こうした激化する民主化運動があったことを念のため述べておく。
なお、本作のストーリー自体はフィクションであるということも念のため。

ちなみにその頃の日本と言えば、バブルの初期。
Wikipediaによれば、この年、NTTが携帯電話のサービスを開始し始めたとのことである。
分厚くて角張った重そうなあれも、携帯して移動出来るというだけでたいそうセンセーショナルな代物だった。
そして大都市に住むトレンディな人々が、そのような物珍しいテクノロジー片手に膨らみ続ける泡の中でパヤパヤ泳いでいる頃、とある男が心の指針を失いかけた若者を集めて物々しく説法を垂れていた。
その男とは、後に日本中を震撼させる地下鉄サリン事件の首謀者、麻原彰晃である。
オウム神仙の会という単なるヨガ教室が、オウム真理教として正式に宗教団体と認められたのが、まさしく1987年だったのだ。

この韓国と日本の対比は、見ようによっては皮肉なものがある。

自由を勝ち取らんと命がけで韓国の民衆が戦っている最中、その隣の日本では、自由をもて余し過ぎた若者が、プチ全体主義国家まがいの恐怖政治宗教へと足を踏み入れ始めていたとは。

もちろん、いかなる国、時代であっても、人は自由を保障されるべきだ。
しかし、自由を与えられた側の精神がある程度成熟していなければ、その取り扱いはけっこう難しい。
バブルのような実態の伴わない漠とした好景気の中であっても、「今ここ」が満たされていて楽しいのだからとりあえずそれで良しとなる。
しかしそんな甘ったるいミルク色の靄がかかった世界では、道標のようなものははっきりと見えなかろう。
進む道が果てしなく曖昧模糊としているのに、ただ自由のみ無闇に与えられ続ければ、それが不安に変換されるのも仕方あるまい。
人生経験の浅い若い人々の中に、独裁者のごとき過激な導き手に魅せられる者が出てきてしまうのも頷ける。

その逆に、軍事独裁という分厚い殻をぶっ壊し、自分達の力で自由を勝ち取ろうとしていた韓国の若者にとっては、その時期こそ人間として成熟する過程にあったのかもしれない。


◇ 貧すれば鈍す ◇ ※以降、ネタバレあり

どれ程スケールの大きな問題でも、例えばそれが国家レベルの大問題であったとしても、そもそもの出発点は、ある特定の個人の心の中から発生した単純な欲求、あるいは願望からの行動である事が殆どである。
そしてその個人の心の内から湧き出るものは、ごくありふれた感情に端を発しているのではないだろうか。

例えば、日本史上最悪の作戦と言われ約3万人の人の命が犠牲となったインパール作戦だって、そもそもは牟田口廉也という司令官が強固に作戦実行の意思を変えなかったことにより強行されたようなものだ。
もちろん他にも様々な要因は考えられるし、食い止める手段も当然あったはずだが、いずれにしても牟田口廉也という人物が司令官でなかったらば、ここまで悲惨な結果には至っていなかったろう。
言わば、テストステロンの過剰分泌により権力欲や支配欲がギンギンに高まった中年男の単純なわがままが原因だったわけである。

残酷過ぎるほどの、ありふれた理由。

さて。

主人公のカン・ソンジンという刑事は、こちらもまた、実にありふれたキャラクターだ。
粗野で口が悪く少々乱暴な面もあるが、概ね悪気はなく性格の裏表もない。家族思いで、友情にも厚く、部下の面倒見も良く、情も正義感もそれなりに備えている。
つまり、基本的に常識的な善人で、典型的な古き良き普通のおじさんだ。
何よりこの刑事がありふれていると感じるのは、良くも悪くも「大事にしているもの」が、人並なわかりやすさで一貫しているところ。
多くの人が好むものを好み、嫌がることを嫌がるタイプ。
しかしそんなわかりやすさこそが、実は、悪を企む者にとって非常に好都合であったことが後々わかってくる。

すべては、たまたまソンジンが逮捕した男、キム・テソンが、別の凶悪事件の犯人だったと告げられることから始まる。

その別の事件とは、目下韓国全土を震撼させている連続殺人事件。
そして、キム・テソンが犯人だとする極秘資料を持ってきたのが、大統領直属の情報機関、国家安全企画部の室長、チェ・ギュナムである。
つるんとした上品な面持ちのギュナムは、まったく表情を顔に出さない。
にも関わらず、何やらえも言われぬ威圧感。

とりあえず渡された極秘資料をもとに捜査を始めるソンジンだったが、何せ目の前にいる凶悪犯であるはずのキム・テソンが、超絶弱々しい。
恫喝すれば、悲鳴をあげてプルプル震えているし、身体も痩せこけていて体力も無さそうだ。
しかも連続殺人は、かなり広範囲に渡って行われているというのに、テソンは車の運転すら出来ないと言う。
もう誰が見たって、こいつは世間を震撼させている極悪非道のジョーカーの器ではない。

そこから先の展開は、案の定と言えば案の定だが、これは完全に冤罪であったことが判明。
真犯人はすでに死んでおり、生きて裁かれる人間が存在しないことが、ソンジンの友人である新聞記者、チュ・ジェジンの取材によって明らかになったのだ。

しかし国家としては、今までの捜査が無駄だったとは思われたくない。
国民を納得させるドラマティックな「事実」が欲しかったのだろう。
要するに、でっちあげ。
意図的に犯人を捏造したわけだ。


当然のごとく、ソンジンは葛藤した。
だって彼は、あくまでも普通の善良なおじさんだから。
無実の人間に罪を着せ、その者の生涯を台無しにするのはいたたまれない。しかし実はおじさんには、弱点があった。

それは、足の悪い息子、ミングク。

ミングクは足が悪いばかりに、どうやら学校でもいじめられているらしい。ソンジンにとってこの息子は、何を犠牲にしても守りたい宝物なのだ。
もちろん、そんなことは百も承知のクールガイ、ギュナム。
ソンジンを意のままに操るため、諸々根回しをしつつ、ここぞという時に「息子の足の手術をしてあげよう」という手札を切ってくる。
手術を受ければミングクは、普通に歩けるようになる。
だがそのかわり、キム・テソンを凶悪犯に仕立てる手伝いをしなければならない。

息子の足か?
キム・テソンの人生か?
人間としてのプライドか?


とりあえず色んなものを天秤にかけるはかけるが、やはりソンジンにとってダントツに重いのは息子の存在だ。
新聞記者のジェジンより真っ向から「正義」を突きつけられ、ミングクが生きていく未来のためにも、国の悪事に荷担するのはやめるよう説得される。
だがソンジンは、今すぐ息子の足を治してやりたいという願望と、おそらく国に刃向かうことへの恐怖から、キム・テソンを凶悪犯に仕立てる道を選ぶ。

そうと決まれば、何が何でもソンジンの気持ちを揺らがせまいと、車だ女だとポイポイ賄賂をよこしてくるギュナム。
足の手術の件に関しては、ぎりぎり理解出来る余地もあろうが、車や女でホイホイ釣られるおじさんには、多くの人が「テメェ」と拳を握りたくなるだろう。
ただ、仕方ないと言えば仕方ない。
これまでのソンジン一家が恵まれなさ過ぎた。
聴覚障碍者の奥さんが夜な夜な袋貼りの内職をしていたり、バナナのお土産に飛び上がるほど大喜びするミングクの様子を見れば、彼らが極度の貧困状態にあることは一目瞭然。
だから少し贅沢を与えるだけで、簡単に操ることが出来てしまう。
結果、ごく普通の人間が、ごく自然な流れで巨悪に加担するルートに乗ってしまったのだ。


◇ 立ち上がれ、普通のおじさん! ◇

一方、貧困という弱味につけこまれ、悪に加担させられ続けるソンジンのような凡人もあれば、あくまでも正義を貫きたい一途な熱血凡人もいる。
それがソンジンの親友である新聞記者のジェジンだ。

政治批判を記事にしてはボツにされ、ただでさえフラストレーションをため込んでいる新聞記者。
軍事独裁政権下で正しいジャーナリズムなど、もはや必要性は皆無。
あって欲しいのは、国家においしいプロパガンダ仕様の「事実」だけ。
しかしジェジンは、人生まるごと新聞記者みたいな男だ。
巨悪を暴き糾弾せずして何が記者だと言わんばかりに、命がけで取材を続ける。
当然、政府はこの男を放ってはおかない。
追い詰められたジェジンがどこへ逃げ込んだかと言えば、こともあろうにソンジン宅だった。

どこまでもジャーナリストとしての矜持を守り抜くジェジンと、家族への想いを優先させ、刑事としての矜持を捨て去ったソンジン。

だが向き合った彼らの間には、まだ何がしかの友情が存在していた。
繰り返すが、それは確かにあった。
にも関わらず、ソンジンはジェジンを裏切って政府に密告してしまう。
なぜか?
間が悪いと言えば、間が悪い。
ジェジンがソンジン宅に逃げ込んだ日の翌日は、息子の足の手術が行われる予定だったのだから。

結果、ジェジンはギュナムによる拷問で死亡。

さすがのソンジンも、ジェジンが死んだとなれば目も覚める。
まずは、キム・テソンの手錠を外し、次にジェジンがソンジンの家に残した連続殺人事件の真犯人に関する資料を持って新聞社へ。

そうだ、立ち上がれ、ソンジン!立ち上がるんだ、普通のおじさん!

心の内で私は叫んだ。

そして、映画はクライマックスへ。
「すべてうまくいきますよ」
理不尽に拘留され、理不尽な暴力を受け続けたにも関わらず、手錠を外されたキム・テソンはまるでソンジンを慰めるように言った。
だがしかし、すべてうまくいくなんてことはあり得ない。
むしろ、国が敵である以上、すべてがうまくいかない。

ソンジンが己の矜持を取り戻し真っ当に生きようと決意した直後、今度は家の中にガスを吹き込まれ二酸化炭素中毒で何と家族まで失ってしまう。
さらに命からがら生き残ったソンジンも、かわいがっていた部下のドンギュに殺されそうになる。
隅から隅まで、見事に最悪の事態コンプリート。
だが、まだわずかに残っていたドンギュの良心によって、ソンジンの命だけは救われる。

しかし生き残れば生き残ったで、ジェジンの死も家族の死もすべてソンジンの仕業として処理されてしまった。
罪を認める書類に拇印を求められるソンジンだが、最後の力を振り絞って抵抗する。
……とそこへ、ここぞとばかりに切り札が開示される。

実は、息子のミングクが生きていたというオチ。

愛する息子を人質に取られたソンジンは、やむなくやってもいない罪を認め、散々都合良く使い回されてきたであろう「北のスパイ」という事実無根の罪状にて投獄されることに。

とにかく救いがない。

そうだった、これが韓国映画のお家芸。


◇ ただそれだけの思い ◇

ソンジンは、ただ家族を幸せにしたかったのだ。
究極、ただそれだけ。
特別に欲深かったわけでもない。
わがままでもない。
意地悪でもない。
イデオロギーもない。
ちょっぴりおだてに弱い、ええかっこしいのお茶目なおじさん。
それが、カン・ソンジンという男。
しかしそんな罪無き凡庸さとどうしようもない貧困が、彼をありふれた悪事へと導いた。
結果、親友を失い、妻を失い、社会的立場を失い、息子と過ごす時間を失い、己の自由も失ったのだ。

では、ソンジンをどん底へ突き落としたチェ・ギュナムという男はどうだ。
彼だって、別にそれほど珍しい人間ではないだろう。
どの国にもいる、人に情を寄せることは非効率的なことだと本気で考えている、上級国民マインドのアイツらみたいなもん。
きっと腹ん中じゃ「能力ないヤツが苦労しても、それって自己責任じゃね?俺のこと詐欺とかゆうヤツいるけど、結局利用されるヤツが悪いんじゃん」などと冷徹な優生思想を誇っているに違いない。
つまり、他者の気持ちを利用することだけは一生懸命考えるのに、想像することは一切しない、ただのマイルド・サイコパスだ。

ただ、こんな奴に権力を持たせるのが一番怖い。

結局、軍事独裁政権が誕生してしまうのも、この手の人間がトップの座に君臨するからこそ。
一人一人は、何のことはない、探せばよくいるありふれた人間なのだけれど、配置される場所一つで世界の様相は大きく変わる。
先に述べたインパール作戦の司令官、牟田口廉也と同様である。

とりいそぎ権力者達は、弱い立場の者に狙いを定め「お国のため」「首相のため」と言って強引に従わせたり、金銭や立場をちらつかせて弱点をついたり、あるいはダイレクトに弱味を握って脅迫したりしながら、もともと悪いことが出来るようなタイプではなかった普通の人々をも悪事に加担させる。
常識的な感覚を持つ、どちらかといえば善良な人ほど弱いところを突かれると揺れやすいのかもしれない。
きっとこれは、誠実で真面目な人ほど堕ちやすい地獄。

日本における、当該の様々な疑惑が頭をかすめる。
真っ先に思い出されるのは、森友学園問題だ。
※この事件は『新聞記者』という邦画の元ネタにもなっている。

国有地売却に関する文書改竄に加担させられ、その罪の重さに耐えきれず、そして自分一人に責任をなすりつけられることへの恐怖で、自死にまで追い込まれてしまった近畿財務局の男性職員。
この男性職員は、「僕の契約相手は国民です」と言っていたそうだ。
まさに国家公務員の鏡である。
国家公務員および、この国の政治に関わる人間すべてが、本来であれば彼のような意識を持たなければいけない。

しかし現在我が国では、内閣総理大臣からしてそのような意識をカケラも持ち合わせていないことは、今や多くの国民が知るところであろう。

逆に言えば、もしその自殺した男性職員が、地位や名誉や金銭をチラつかせれば秒で悪事に荷担できてしまうような(現職議員や官僚の中にもあまた存在する)厚顔無恥な悪党であれば、まだまだ悠々と生きていられただろう。
それどころか、森友学園問題に関わった幾人かの官僚のように、罪をかぶった見返りに出世させてもらえて、贅沢な生活を謳歌していた可能性すらある。

そう考えれば、誰よりも強い正義感を持ち、ひたすら職務に実直に誠実に取り組んできた彼こそが、(巨悪ではあるが)ありふれた悪事に飲み込まれて潰されてしまった最大の犠牲者と言えるだろう。
本当に、こんな皮肉なことはない。


◇ 愛国と反日のおかしな定義 ◇

ちなみに、権力を振りかざして弱者を従わせようとする輩がやたらと「愛国」という言葉を使いたがるのも一つの特徴なのか。
映画の中でも、ソンジンを従わせたい時のギュナムは、きまって「愛国心の下に。ね?」みたいなことをさらりと言う。
他人を疑うことなく素直に生きてきた人間ほど、この「愛国」というパワーワードに弱い。
反射的に「はい!」と言ってしまうのだ。

当の権力者自身は、たいてい「愛国」ではなく「保身」で動いている。
なのに「愛国」という言葉を使えば、まるで自分らの悪事全てが肯定される魔法の言葉だとでも思っているのか。
まあ、そもそも国民を大事にしない者達に愛国心など、これっぽっちもあるはずないのだが。

そして、ウチ(今の日本)も同じ。
「森友加計桜」などと言われ、先に述べた森友問題を含む様々な疑惑が山積している安倍元首相が、五輪開催に関して「月刊Hanada」(8月号)の桜井よしこ氏との対談でこんな発言をしていたらしい。

「五輪に反対する人は反日的」

えっ?

彼の言い分は以下のようなものである。

極めて政治的な意図を感じざるを得ませんね。彼らは、日本でオリンピックが成功することに不快感を持っているのではないか。共産党に代表されるように、歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています。

7/3(土) 15:10 日刊ゲンダイDIGITAL より引用

えっと……コロナの問題は一体どこへ?
今、五輪に反対している殆どの人にとって「政治的意図」とか「共産党の歴史認識」とか、ぜーんぜんカンケーありませんからね。
コロナですよ、コロナ。
日本国を愛し、日本に住まう人々を感染症およびそれに伴う被害から守りたいからこそ、五輪なんかやってはいけないと言っているのに反日呼ばわり?
これが、我が国最長政権を誇った元首相であり、自称愛国者の弁である。

つまり、この人の言う「日本」とは、自民党が支配する「政府」のことであって、政府に逆らえば「反日」認定というわけだ。
そして彼の言う「愛国者」とは、自民党が支配する「政府」を支持する人のこと。

「朕は国家なり」by ルイ14世

かつて安倍前首相は、この言葉を吐いたルイ14世に例えられたことがあったが、まさにといった感じ。

でもね、実際は、五輪に反対する者こそ愛国者でしょ。
そういう意味で、私は、間違いなく、愛国者だ。

多くの日本を愛する国民達が、反対しても、反対しても、反対しても、何度反対し続けても、やはり五輪は強行されるようだ。
五輪強行こそ、まさに令和のインパール作戦だと言われているのに。

一部の関係者の利権と欲望を満たすために、おかしな愛国論を掲げて無理矢理開催される東京五輪。
この、ありふれた強欲な人々の犠牲となり、今後コロナによってどれほどの人々の人生が奪われるのだろう。

暗澹たる思い。

一体これのどこが民主国家なのか。
本当なら、1987年の韓国の民衆くらい、今の日本の民衆は怒っていいのだ。


映画の話に戻るが、6月民主抗争の末に、韓国の民主化は実現する。
終盤、国会の前に集まったデモの群衆の先頭に、最後まで正義の戦いを貫いた新聞記者、チュ・ジェジンの遺影が掲げられていた。

「国家の主権を人民に」という、人間の普遍的な、当たり前の、ありきたりの、ありふれた願望が、膨大な数で集結したことにより、歴史は動いたのである。

ちなみに、主人公のカン・ソンジンの無罪が認められるのは、何とこの三十年後。
彼の払った犠牲はとてつもなく大きいが、生きているうちにその日が来たことがせめてもの救いだ。

こんな世の中だけど、私の中にもまだ正義を信じたい気持ちは残っている。
いや、信じなければいけないのだろう。
諦めてはダメだ。
そんなありふれた思いを抱くに至った、とても善き映画体験だった。

(END)

『ありふれた悪事』(英題:Ordinary Person)
2017年/121分/韓国
監督:キム・ボンハン
脚本:チョ・サムエル
原作:キム・ボンハン
出演:ソン・ヒョンジュ チャン・ヒョク キム・サンホ
参考文献
1987年の日本 ※
Wikipedia
6月民主抗争 ※
Wikipedia
安倍前首相「五輪に反対する人は反日的」またまたトンデモ主張(日刊ゲンダイDIGITAL )


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