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鎌倉 杉本寺 (そして南都)→報国寺と浄明寺

鎌倉駅からバス停4つ分くらいのところにある杉本寺(すぎもとでら)。
鎌倉最古仏地。

開山 行基
開基 光明皇后

!!行基と光明皇后!!

こちらは近鉄奈良駅前 行基上人。
現在の街での位置は、
渋谷のハチ公
京都の土下座
に相当する(と思う)。


光明皇后が行基上人と藤原房前に命じて十一面観音を安置。
をを、藤原北家も登場。

とっても立派な仁王門です。

隣の家の火災の際に、本尊三体(恵心慈覚行基 作の十一面観音)自ら庭内の大杉の下に火を避けられた。よって杉の本の観音様。

自主避難。
自発的で迅速な決断と行動の重要性を伝えるいい話だ。

源頼朝が御堂を再興。

運慶

階段を上り進んでいくと、本堂が見えます。本堂の中は撮影禁止です。

近畿でいうならば、百毫寺くらいの敷地面積感覚。

で、私はこの本堂の中で受けた印象は
西大寺

私にとって十一面観音といえば大和長谷と大和西大寺。
とか考えながら階段を上ってきましたが、
この観音様との距離の近さや、本堂にお参りしたときに受ける印象がまさしく西大寺なのです。伽藍配置とかは違うのわかるんですけど。

そこで本堂でお掃除をされていた女性に訊ねてみました。

「行基上人が開山されたということは、奈良時代に鎌倉と奈良との間で交通路の確立があったということでしょうか。
(やはり海路で)
鎌倉は早い段階で平城京にとって、何かの拠点だったのでしょうか。」

これは大和長谷と鎌倉長谷のつながりをはじめ、長年自分で納得できる回答や仮説にたどり着けていない問なのです。

しかし
「・・・ちょっとすいません・・・住職ならわかるかもしれないんですけど・・・」ということで、今回答えは得られませんでした。

なんかちょっと、隠者を尋ねて遭わず(尋隠者不遇 賈 島 )のきもち。
(松下問童子 言師採薬去 只在此山中 雲深不知処)


こちらの十一面観音、放逸の輩が御堂の前で馬を乗り打ちして落馬する者が多発するということで、行基作の十一面観音は袈裟でおおわれて、現在は覆面観音。秘仏とされたということ。

え?無礼者は落馬させ続ければよくない?と血の気のある武闘派な意見が私の脳をよぎりますが。

五輪塔とお地蔵様。
奥に権現様。

五輪塔。西大寺奥の院(法界躰性院)も五輪塔やったな。

熊野権現様。祠があります。
祠の裏のやぐらに、石塔?
その隣のやぐらに丸石。

実感としては、私はこの丸石こそがご本尊な気がする。
なんか泣きそうです。
私は巨石信仰だかの民族の末裔なんでしょう。摩崖仏とか石像とか五輪塔とか、他人事ではないのです。


この近くに、報国寺というところもあったので、そちらもさらっと。

でたー
無学祖元に師事。

「東帰」というと「不東」を想起。三蔵法師玄奘の、「天竺に達せずば東へ帰らず」。

春光渡る門

竹林の寺で有名なのですが、私は石庭の方が気に入りました。

祠!!

岩肌に彫られている祠がいい。惹かれます。
鎌倉には多いですね。

抹茶と干菓子をいただきます。

敷地内、抹茶をいただくところは満席。

近畿は竹林といえば嵯峨野(たぶん)

竹は植物で、枯れるときは竹林(竹藪)ごと一気、なのですが、この庭がどう手入れされるのか、私にはわからない。60年~100年で一気に林ごと消える竹の植生が不思議で仕方ない。中は空洞なのに丈夫でまっすぐとか、どういう原理なのかわかない。(でも、もともと私は「生物」的な科目がまったくわからない。)



報国寺から道なりに坂を上がると、左手に洋館。

中には入れません。



来た道戻って通りの向こうに鎌倉五山第五位 浄明寺。さらっと。

なんだかここは、敷地内の石窯ガーデンテラスとかいうレストラン(のほう)が有名なようで、この日もそちら側に沢山の人が流れていきました。ここでも和菓子がいただけるようでしたが、そちらもいっぱい‥

報国寺もそうですが、旨いもの処に人が沢山います(笑)。


鎌倉を何ヶ所か見て、ちょっと予習復習してから見直したいところもありました。しかし、やはり京奈和や近鉄沿線よりも人が多いですね〜




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