20世紀の歴史と文学(1925年)

第15回衆議院議員総選挙で議席を増やした加藤高明内閣は、選挙公約どおり、普通選挙法を成立させた。

この普通選挙法の成立によって、納める税の金額によらず、満25才以上の男子に選挙権が与えられたのである。

ご存じのとおり、当時は女子には選挙権は認められておらず、第二次世界大戦が終了した翌年4月の選挙まで、女性は投票できなかったし、女性の国会議員も誕生しなかった。

今では、満18才以上の男女に選挙権が与えられているが、1945年から2015年までは、長らく満20才以上の男女に選挙権が与えられていた。

18才で成人という位置づけになったことと混同している人もいるが、「18才成人」が法的に認められたのは、2年前の2022年4月である。

成人年齢や男女の選挙権については、本シリーズで、またどこかで触れることになるだろう。

さて、最後に梶井基次郎の『檸檬』の短編小説の一部を紹介することにしよう。

梶井基次郎の処女作である。(処女作という表現は古いのだが)

では、原文の一部をどうぞ。

その日私は何時になくその店で買物をした。
といふのはその店には珍らしい檸檬が出てゐたのだ。
檸檬など極くありふれてゐる。
が其の店といふのも見すぼらしくはないまでもただあたりまへの八百屋に過ぎなかつたので、それまであまり見かけたことはなかつた。
一體(いったい)私はあの檸檬が好きだ。
レモンヱロウの繪具をチユーブから搾り出して固めたやうなあの單純(たんじゅん)な色も、それからあの丈の詰つた紡錘形の恰好も。
――結局私はそれを一つだけ買ふことにした。
それからの私は何處(どこ)へどう歩いたのだらう。
私は長い間街を歩いてゐた。
始終私の心を壓(おさ)へつけてゐた不吉な塊がそれを握つた瞬間からいくらか弛(ゆる)んで來たと見えて、私は街の上で非常に幸福であつた。あんなに執拗(しつこ)かつた憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされる
――或ひは不審なことが、逆説的な本當であつた。それにしても心といふ奴は何といふ不可思議な奴だらう。 
その檸檬の冷たさはたとへやうもなくよかつた。その頃私は肺尖を惡くしてゐていつも身體(からだ)に熱が出た。
事實(じじつ)友達の誰彼に私の熱を見せびらかす爲に手の握り合ひなどをして見るのだが私の掌(てのひら)が誰れのよりも熱かつた。
その熱い故(せい)だつたのだらう、握つてゐる掌から身内(みうち)に浸み透つてゆくやうなその冷たさは快いものだつた。 
私は何度も何度もその果實を鼻に持つて行つては嗅いで見た。
それの産地だといふカリフオルニヤが想像に上(のぼ)つて來る。

以上である。

梶井基次郎は、このとき24才だったが、「その頃私は肺尖を惡くしてゐていつも身體に熱が出た」というのが上記の本文中にもあるとおり、7年後に肺結核で亡くなった。

当時は、結核は不治の病として恐れられており、多くの人が若くして亡くなった。

梶井基次郎より3才年下だった堀辰雄も、結核に苦しみ、療養生活を送りながら1953年に48才で亡くなった。




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