現代版・徒然草【77】(第43段・のぞきの心理)

人の家の中をのぞきたくなるのは、罪なことだと思っている人は、どれだけいるだろうか。

男女関係なく、隣や向かいの家にはどういった人が住んでいるかを知るためには、自分の目で確かめないと不安なのだろう。(よこしまな下心があって覗く人もいるが)

昔は、マンションやアパートなど建っていなくて、貴族の邸宅のように警護人がいなければ、一般庶民の家の庭など自由に出入りができた。

今ならば、住居侵入罪で捕まる事案である。

では、原文を読んでみよう。

①春の暮つかた、のどやかに艶(えん)なる空に、賤しからぬ家の、奥深く、木立もの古りて、庭に散り萎れたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、南面(みなみおもて)の格子皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたる、御簾(みす)の破れより見れば、かたち清げなる男の、年廿(はたち)ばかりにて、うちとけたれど、心にくゝ、のどやかなるさまして、机の上に文(ふみ)をくりひろげて見ゐたり。

②いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし。

以上である。

①の冒頭で語られている状況をまとめると、晩春の穏やかな空の下で、身分がそんなに低くない人の家を見かけたが、古めかしい庭の木立のそばに散り萎れた花を見過ごしがたく、庭に入ってみたという。

その庭から見ると、南向きの格子戸はみな下ろされて閉められていたのでさびしい感じがしたが、東側に回ると、妻戸(=両開きの戸)がちょうどいい感じで開いていて、そこに垂れ下がっている御簾の破れ目から男の姿が見えたわけである。

その男は、20才ぐらいの美青年であり、リラックスした感じで、巻物の書物を繰り広げて読んでいたのである。

それで、②の文のとおり、ご近所さんにどういった人なのか尋ね聞いて回りたいものだと言っているわけである。

しかし、今の時代は、人にもよるが、こんなことを尋ね歩いていたら、警察でもない限り怪しまれるだろう。

人の個人情報を知ることになるわけだから、聞く側も教える側も、よほど信頼関係がない限り、迂闊なことはしゃべれない。

とはいえ、街の至る所に監視カメラが設置されていることに違和感を持たないどころか、かえって安心してしまっている私たちは、やはり自分の保身の都合上、不安要素はできる限り取り除きたいものなのだろう。

まったくもって窮屈な時代になったものである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?