古典100選(5)雨月物語

学校の教科書にも取り上げられている『雨月物語』は、江戸時代に上田秋成(うえだ・あきなり)によって書かれた小説である。

上田秋成が42才のときに刊行されたものであるが、上田秋成が生きた時代は1734年から1809年の間であり、子どもの頃は、8代将軍吉宗の治世だった。

吉宗の死後(1751年以降)は、十返舎一九が1765年に生まれ、1802年に『東海道中膝栗毛』が出版されている。

上田秋成が生きたのは、そんな時代である。

さて、雨月物語は、9つの短編で構成されているが、その中の「浅茅が宿」(あさじがやど)は、夫の帰りを待ち続けた妻のせつない最期を知り、夫が後悔する場面が有名である。

では、原文の一部を読んでみよう。

こゝにはじめて妻の死したるを覺りて、大いに叫びて倒れ伏す。去とて何の年何の月日に終りしさへしらぬ淺ましさよ。人はしりもやせんと、涙をとゞめて立ち出れば、日高くさし昇りぬ。先づちかき家に行きて主を見るに、昔見し人にあらず。かへりて何國の人ぞと咎む。勝四郎礼まひていふ。此の隣なる家の主なりしが、過活のため京に七とせまでありて、昨の夜歸りまゐりしに、既に荒れ廢みて人も住ゐ侍らず。妻なるものも死しと見えて、塚の設も見えつるが、いつの年にともなきにまさりて悲しく侍り。しらせ給はゞ教へ玉へかし。

以上である。

この場面の前は、夫である勝四郎(かつしろう)は7年ぶりに都から故郷に帰ってくるのだが、夫が帰る前に、妻の宮木(みやぎ)は亡くなってしまう。

ところが、妻の亡霊を夫は荒れ果てた家の中で見ることになり、当初は、妻が生きていると錯覚し、一晩をともに過ごしたのである。

だが、夜が明けてみると、妻の姿はどこにもなく、やはり妻は死んでいたと知って夫は叫ぶのである

隣の人に聞いても、かえって勝四郎自身がどこの国の人だと訝しがられるのだが、わけを話すと、近くの老人の居場所を教えてもらえることになった。

この続きが知りたい方は、文庫本が売られていると思うので、読んでみるとよいだろう。

雨月物語は、「浅茅が宿」のほかにも、「白峯」「菊花の約」「夢応の鯉魚」「仏法僧」「吉備津の釜」「蛇性の婬」「青頭巾」「貧福論」がある。

「貧福論」は、岡左内と黄金の精霊との会話が中心であり、豊臣秀吉の治世を描いている。

「上田秋成研究事典」が笠間書院から税抜2800円で刊行されていて、なかなかボリュームがあって詳しい解説が載っている。

ネット検索の情報以上のものが得られるので、こちらもぜひ入手するとよいだろう。


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