現代版・徒然草【85】(第80段・本業と趣味)

多趣味な人は幅広い分野に知識があって、周りからも一目置かれる存在ではあるが、「では、本業は?」となったときに、意外にもたいしたことないなって思うことがある。

昔の人は、どうだったのだろうか。

では、原文を読んでみよう。

①人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。
②法師は、兵(つわもの)の道を立て、夷(えびす)は、弓ひく術(すべ)知らず、仏法知りたる気色し、連歌し、管弦を嗜み合へり。
③されど、おろかなる己れが道よりは、なほ、人に思ひ侮づられぬべし。 
④法師のみにもあらず、上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじょうびと)・上(かみ)ざままで、おしなべて、武を好む人多かり。
⑤百度(ももたび)戦ひて百度勝つとも、未だ、武勇の名を定め難し。
⑥その故(ゆえ)は、運に乗じて敵を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。
⑦兵尽き、矢窮まりて、つひに敵に降(くだ)らず、死をやすくして後、初めて名を顕はすべき道なり。
⑧生けらんほどは、武に誇るべからず。
⑨人倫に遠く、禽獣に近き振舞、その家にあらずは、好みて益なきことなり。

以上である。

①の文では、人間は自分が疎い分野について好奇心を持つと言っている。

具体的に、当時は②の文のように、坊さんは武道に関心を持ち、東国の武士(=夷)は弓術を知らず、仏法について知ったかぶりでいて、連歌や管弦楽を嗜んでいたという。

③の文のように、自分の専門分野で恥をかくよりは、他人に侮られることがないと言っている。

実は、④の文のように、兼好法師が生きた時代では、僧侶に限らず、貴族や役人のほとんどが武術を好んでいたという。

ただ、⑤から⑧までの文にも書かれているとおり、武勇というものは、百戦錬磨で勝ち続けても認められるものではない。気運に乗じて一気呵成に敵を叩きのめすと名を成すことはできる。また、兵力が尽き、放つ矢もなくなって、それでも敵前で降伏せずに死力を尽くし戦って死んでこそ、名声を得るのである。戦いに生き残ったからといって、それは誇れることではない。

⑨でまとめているように、武家出身でない者が、そもそも人を殺すという動物的な感覚で生きている武の道に足を踏み入れても、何の意味もないと言っている。

そう考えると、現代の私たちは、なんと気楽に働いているのだろうとフシギな気持ちになる。

「過労死」なんていう言葉が、この時代で出ることなどなかったはずだから、当然といえば当然だが、好きな仕事で死ぬのなら、本業にもっと身を入れて働けるものではないだろうか。



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