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【読書メモ】「いじめ自殺」の社会学

不登校と並ぶ大きな学校現場の課題に「いじめ」があります。
後で書くような事情から、いじめに関してはできるだけ避けてきたのですが、今年度はなかなかそうもいかなくなって、少しずつ読み始めることにしました。

いじめに関する文献も不登校と同じかそれ以上に膨大で、言い方は悪いのですがピンからキリまであるので、どれを読むべきか迷っていたせいもあります。

たまたま地元の図書館で目に留まり、借りて読み始めました。

amazonのレビューにもあるように、社会構築主義にもとづいて「いじめ」を分析しようと試みているので、枠組みが難しいです。
私も途中で脱落するかも、と思いながら読んでいましたが、その少し前に読んでいた『不登校のポリティクス』よりはずっと読みやすくて、途中から面白くなってきて、最後まで読み終えることができました。
いじめをテーマにした学術書を読了できたのは初めてかも。

「いじめは死に値する苦しみである」という認識が社会文化的につくられたものであることを、新聞、テレビ番組、書籍のなかに観察される「いじめ言説」を分析することにより明らかにする。

amazonより

いじめが社会問題化し始めたのは1980年代半ばだそうですが、その少し前、小学生だった私は、クラスの友だちから無視され続け苦しんでいました。
中心的な子の気分で、ある時期は仲良く話をしたり一緒に学校から帰ったりできるのですが、ちょっとしたきっかけでその子の機嫌が悪くなると、1週間も2週間も口を利いてもらえなくて、本当にひとりぼっちでした。

そんな風に無視され続けていたあるとき、「私なんて、生きている意味がないんじゃないか」とふと思って、3階にあった教室のベランダ(当時はまだ子どもがベランダに出られた)から飛び降りようとしたところをクラスの他の子(グループとは全然関係ない子だったと思う)に見つかって、未遂に終わるということがありました。
この一件は当然担任の先生の耳も入り、授業が終わった後教室に残って先生と話をしたような記憶が(ぼんやりですが)あります。その後、先生は家にも来て母と話をしていたように(これもぼんやりですが)記憶しています。
母からの勧めだったのかそこは覚えていないのですが、次の日は学校を休みました。

この本は、いじめをなくすことではなく「いじめ自殺」をなくすことを目指そうと、構築主義をもとに記述しています。
その試み自体は理解できるのですが、「いじめは死に値するほど苦しいものである」という言説の流布が「いじめ自殺」の大きな要因ではないかとの主張は、40年以上前、いじめが苦しくて希死念慮に駆られた私からすると、ちょっと違うんじゃないの、と言いたくなってしまいます。

終章で「いじめ問題」の解決として出された提案のひとつ「ナラティブ・セラピー」の手法を応用した「物語」の自己書き換えは、ちょうどオープン・ダイアローグやナラティブ・セラピーを学び始めているところでもあり、非常に興味深かったです。
ただし、7章までの社会構築主義的分析と少し噛み合っていないというか、少し唐突な印象を持ってしまったのも事実です。

とはいえ、それまで(かじる程度ですが)読んでいたいじめに関する他の本と比べると、いろいろな意味でチャレンジングで面白かったです。

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