漫画や小説のストーリー構想は論文とよく似ているらしい
今朝お互い休みで時間に余裕があったので息子と話していたら、彼が好きなアニメのストーリー展開の話になりました。
アニメ、あるいはその原作になった漫画の作者のもともとの着想がそのまま作品のストーリーとなって現れることは稀で、大抵はもともとの着想からかなり膨らみ、かつ全然違う方向に行くのだそうです。
その結果、漫画の場合だと当初想定していたよりも連載期間が延びる、あるいはアニメだと放送される期間が長くなる、ということが起こるのだそうです。
これって、修士論文や博士論文と似てるのかも、と思いました。
研究テーマや目的ははっきりしていても、それらを構想するプロセスの中で
こんなことも明らかにしたいな とか あっちはどうなんだろう?
みたいな疑問や知りたいことがどんどん増えて、いつの間にか分量が増えたり当初の目的から逸れる、ということが往々にして起こるのではないでしょうか(実際私自身はそうでした)。
漫画やアニメの場合は、連載あるいは放映期間が伸びることで商業的なメリットが出て肯定的に受けとめられることが少なくないようですが、論文は何らかの形で区切りをつけないとエンドレスになってしまいます。
「明らかにしたいこと」を限定するって、大変だけれども大事なんだろうなあ。
それと、例えば「進撃の巨人」だと、ギリシャ神話がもとになっているとも言っていました。
大作であればあるほど、神話とか哲学とか宗教が絡むのは、論文でいうと「理論的枠組み」をどこに求めるか、といった点と似ているのかも。
息子とアニメの話をしていて、そんなふうに考えました。
社会人の次男はあと1年足らずで家を出てひとり暮らしを始める計画を立てています。長男はすでに家を出ていて、次男も出た後の私は「おひとりさま生活」に入ります。
息子とこんな風にとりとめもなく話ができる機会はもうそんなに多くはないんだろうな。
日々何かと慌ただしく過ぎていくけれど、子どもたちが小さかった頃フルタイムで仕事をしていて全く余裕がなかったから、せめて子育ての最後の最後くらい、彼の話をきちんと聴いてゆっくり向き合いたいと思っています。
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