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「想い」は受け継がれていく

 諸君、僕は京都が好きだ。

 1000年以上の長い間、日本の首都として機能し、文化の中心となった古都の京都。首都としての機能を東京に譲り、地方都市となった京都。歴史と文化の街として、観光都市になって毎年多くの人が訪れる美しい街、京都。

 いわゆる「洛中」と呼ばれた場所や、観光地として名高い神社仏閣が多い京都市だけではない。
 長岡京として一時的に首都機能が置かれた長岡京市や、宇治抹茶や源氏物語で有名な宇治市も、好きで訪れている。もちろんどちらにも、歴史のある神社仏閣は多い。

 周辺地域も含めて、僕は京都が大好きだ。

 さらに僕の受胎告知の地は、京都嵐山の竹林だ。
 昨年に両親から聞いて知ったことだが、若い頃の両親が2月に京都を旅行中、嵐山の竹林の中で、母親が突然体調不良になった。慌てて病院に行き、検査を受けた結果、僕がお腹の中にいたことが判明したらしい。
 それを知って以降、度々ネタとして発言している。

 そんな京都が大好きな僕だが、実は頻繫に訪れるようになったのは最近からだったりする。
 高校生の時に家族旅行で一度だけ訪れて、大学生の頃に一度だけ宇治市に訪れた。それ以降は平成の終わりごろに伏見稲荷大社へ足を運ぶまで、訪れたことが無かった。それなのに今では、年に数回は休みを使って京都に訪れるほどになった。

 なぜそこまで京都が好きになったのか。
 気になった僕はしばらく考えた末に、ある葬儀でのことを思い出した。

「もしかしたら、あの時に『想い』を受け継いだのかもしれない」

 そう信じるようになった出来事とは、何だったのか。
 よろしい、ならば執筆だ。
 しかし僕にも守秘義務がある。個人を特定するような具体的な情報は一切書かない。そして念には念を入れて、意図的にフィクションも織り交ぜている。
 どこがフィクションでどこがノンフィクションか。それは諸君が判断してほしい。

 征くぞ、諸君。


忘れられない葬儀

 僕は葬儀社にて施行担当者として勤務していた時に、いくつもの葬儀に立ち会い、多くの故人様を送り出すお手伝いをしてきた。

 ひとつひとつ、どれも同じ葬儀は存在しなかった。葬儀とは1回限りのものであり、同じ故人様はもちろん、同じ遺族だっていない。
 だからこそ「どんな葬儀も安心して終わらせられるマニュアル」というものが存在しない。大切な方を亡くしたばかりの遺族に寄り添い、厳粛で悔いの無いお別れをお手伝いすることが、施行担当者としての僕の使命だった。最初こそ「大変」で「きつい」という思いばかりしていた仕事だったが、しばらくすると「誇り」を持てる仕事になっていった。施行担当者ではなくなった今も、僕は施行担当者として葬儀に携わり、多くの故人様を送り出すお手伝いをしてきたことを、誇りに思っている。

 そんな中には、忘れられない葬儀だってある。
 そのうちの1つが、ある喪家の葬儀だった。

 亡くなったのは、40代の奥様。
 喪主は同じく40代の旦那様。
 闘病中に先立たれた悲しみは、察するに余りある。

 僕は受注をする中で希望を訊きながら、いくつかの提案をした。

「メモリアルコーナーを作って参列者に見ていただく」
「奥様が大好きだった音楽を式場で流し、出棺の際にもお気に入りだった曲を流す」
「ナレーションに思い出に残っていることを取り入れる」

 どれもこれも、どこの葬儀社の施行担当者であっても、必ず提案するようなものばかりだった。
 そして喪主様は、全ての提案に「お願いします」と依頼してくれた。
 依頼を受けたのであれば、全力で取り組む。それが施行担当者としての当たり前の姿勢だ。

 僕は喪主様からCDをお借りし、メモリアルコーナーの場所を準備し(飾る写真や思い出の品は喪主様とご遺族様が持参した)、奥様の様々な思い出を喪主様とご遺族様からお伺いした。幸いにも通夜と葬儀まで少々日にちがあったため、多くの思い出を伺うことができた。

 その中に「京都が好きで度々ご友人と訪れていた」というものがあった。

 気になった僕は、どのような場所に行ったのか、具体的に伺ってみた。
 すると喪主様は、アルバムを持って来て、写真を見せながら僕に話してくれた。

 奥様とご友人らしき女性による、旅先での楽しいひと時。
 その一瞬を切り取った写真は、まるで声が聞こえてくるようだった。

「ここが〇〇で、ここが△△なんです。そしてこっちが――」

 喪主様から伺った場所をメモに残し、僕はそれらを含めて司会者がナレーションに取り入れることを約束した。
 写真のいくつかは、メモリアルコーナーを彩り、参列に来た多くの方の目に触れていただけた。僕も通夜や葬儀の前に、準備をしている時に何度も見た。
「美しいなぁ……。もっとたくさんの場所に訪れたかっただろうに……。奥様も残念だったろうなぁ」
 写真を見つめながら、僕は奥様がどんな気持ちだったのか、考えずにはいられなかった。

 葬儀は無事に終わり、僕は施行担当者としての仕事を全うした。


受け継がれた「想い」

 不思議なことに、その葬儀から僕は京都に訪れる機会が増えた。
 度々訪れている伏見稲荷大社だけではなく、他の神社仏閣や観光スポットにも訪れるようになり、効率的に見て回るためバスの一日乗車券を必ず購入するようにもなった。

 元々僕は、インドア派だった。本を読んだりゲームをしたりと、部屋にこもってやる遊びが好きだった。旅行は数年に1回するかしないかだった。
 それなのに、京都へ度々訪れるようになったのである。少し前までの自分とは思えないほど、行動的になった。

 僕がそうなったのは、奥様から「想い」を受け継いだのではないかと思っている。
 奥様は「死」と「葬儀」を通して、たくさんの「想い」を喪主様とご遺族様に伝えてから、旅立った。残された喪主様とご遺族様は、奥様からの「想い」を受け取り、少しずつ悲しみを癒しながら再び歩んでいくと僕は思っている。その時は分からなくても、毎年訪れる命日や法要、かつてのご友人との会話で奥様の「想い」を感じ取り、いつか「そういうことだったのか…」と理解して奥様への思いを深めるのだろう。
 僕はたまたま葬儀の施行担当者として、ご葬儀をサポートする立場になっただけだった。しかし、そんな僕にも奥様は「想い」を伝えてくれた。

 京都を訪れる度に「あの奥様も、ここに訪れたのだろうか…」と思いながら、僕は京都各地を巡る。そこで感じ取ったものが、奥様の「想い」なのかもしれない。
「ルトさん、京都ってこんなにも素晴らしい場所なんだよ! 日本に京都があって良かったって、そう思わない!?」
 きっとそんな「想い」を伝えてくれたのだろう。

 人の「想い」は決して無くならない。
 人から人へ、受け継がれていく。
 形は変わっても「想い」は変わらない。
 それは、その人の「本当の気持ち」である。

 僕はそれを信じながら、今日もまた前へ進んでいく……。

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