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メタ認知からメタ感性へ~デジタルセンスの活用可能性~

さて、この記事では私が研究でチャレンジしたいと考えている内容について少しだけオープンにします。といっても、論理的にまとめられているかといえばそうではないので「こんな事を考えている人がいる」という程度で見ていただけると幸いです。
また今回は工学的な実現姓を問うておらず概念的な部分で世の中の事象とともに必要性を感じていただきたいと思っています。

メタ認知とは?

本題に入る前にメタ認知(Metacognition)という言葉について振り返っておきましょう。2010年代にビジネスの場で流行したことから知っている方もいるかもしれませんが、メタ認知(能力)は自分自身の認知プロセス(つまり、思考や学習、記憶、理解)に対する認識や理解の能力を指します。かなり抽象的に表現するならば、自分が自分自身の考え方や判断の傾向についてどれほど理解しているかということです。
余談ですがメタは「高次の」という意味で、メタ認知は高い次元で自己を理解するという意味を持っています。ここではWikiの説明も加えておきましょう。

メタ認知は「客観的な自己」「もうひとりの自分」などと形容されるように、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力である。メタ認知的知識とは、自分自身の状態を判断するための知識を指す。メタ認知的知識をもとに自分の考えの矛盾に気づき、課題の特性を把握した上で解決方略を修正していくといった活動を行うことができる。「一度にたくさんのことを伝えても、聞き手はそのすべてを覚えられないだろう」「難しい話をするときは、具体例を示すとわかりやすくなるだろう」といった人間の認知特性や課題、方略に関する知識を経験から蓄積しており、それぞれを必要に応じて活用している。

自分が何かを行う際どのようなプロセスを踏んでいるのかを知ることや、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し、それを実行するという特徴から以下のような4つの機能で表現される。

Knowledge Monitoring Ability(知識を監視する能力)
Knowing about knowing(知ることについて知る)
Cognition about cognition(認知についての認知)
Understanding what I understand(自身の理解についての理解)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E8%AA%8D%E7%9F%A5

メタ認知が流行した背景

メタ認知が流行したのは2010年代半ばから後半であったと記憶しています。これは筆者の観点ですが、人材不足の中で大企業とベンチャー企業で人材の取り合いがあり、またその人材の柔軟性を測るためのキーワードとして用いられたものだと理解しています。つまり、今やっていることを頑張れば企業が成長する時代を終え、変化に適応していく・作っていく時代に突入したときにどれだけ柔軟性がある人材を取れるかという視点があったのではないでしょうか。変化の多い時代にはより多くの情報を浴びることになるので、それに対するある程度の自己理解がなければ学習や思考を順応させていくことが難しくなります。
したがって自己を把握し、自己を調整できる人材が必要であったということなのだと思います。確かに昨今は専門職でもある程度業務幅を求められますし、多用な考え方の理解ができてこそわかることもありますから、VUCAの時代にフィットした考え方だったのだと思います。

メタ認知の課題(形成と活用)

一見、メタ認知には大きな価値があるようにも思えますが課題も少し感じます。わかりやすく説明するために、Quadcomさんの記事から画像をお借りしました。図解のうち左側がメタ認知の領域です。

https://quadcom.jp/marketing/importance-of-metacognition/

自分を知るためには自分の感情に向き合う必要があり、その感情から過去の体験や経験を結びつけて価値観を理解することになります。しかしメタ認知形成の観点から言えばこれはとても難しいことです。社会が高度化・複雑化すればするほど人間が経験するイベントや接触する人との関係は複雑になり、自分の感情がどこから来ているのかわからないということは大いに起きうるでしょう。それは生活上の事情かもしれませんし、仕事の職務上の傾向かもしれません。これが形成に関する課題です。

またこの点は活用課題にも繋がります。感情の由来がわからないということは、価値観が曖昧になるということですから、相手は自分の価値観を正しく読み取ることができません。例えば、「幼い頃に親が厳しくてきれい好きだ」という価値観と、「隣の席の上司からの八つ当たり回避のためにきれい好きが定着した」という価値観は「きれい好き」という点で共通するものの感情の由来はまるで別モノです。こういった小さく無意識なミスコミュニケーションの発生が大きなコミュニケーションの行き違いに発展していくのではないかと感じています。仮にメタ認知能力獲得の過程で「きれいにしていないと落ち着かない」という自己発見ができたとしても、その背景にあるコンテキストが欠如することで理解の限界を迎える課題が生まれますし、このような当たり前の感覚は改めて誰かに問われることがなければ深掘りされる機会すらありませんね。

センスをデジタル化できないか

さて感覚が共有できないことが問題になる場面はメタ認知だけではありません。車や機会の操作など人が感覚的に行っていることは、とても共有が難しいですね。例えばキーボードを早く打つということを教えようにも正直なところ無意識にやっているので教えるのがとても難しいです。私生活の小さなものであれば小さな課題で済みますが、日本社会においては製造業や物流業、建設業においてこの感覚が課題になっている領域があります。それが技術承継です。メーカーや物流、建設の現場において一部の職人の肌感覚で成立してきた前提が後継者不足や教育の難しさによって揺らいでいます。

事例:物流のフォークリフトの操作をどのように教えるか

ここで感覚を共有した企業の事例を1つ紹介しましょう。ある物流企業ではフォークマンと呼ばれるフォークリフトを操作する人の教育に課題がありました。そこではベテランと新人でフォークリフトの操作時間にかなりの差があり、時間勝負の物流現場における課題として解決が求められていました。
ベテランスタッフはその道一筋で何十年とやっているため無意識に体が動いており、自分で意識しているポイントがわからず教えられないという状態になってしまったようです。一方で教わる側は新人ばかりでどこを見て学べばいいかわからない状態。この無意識の感覚を共有するために、こちらの企業では「視線計測による感覚の可視化」を行いました。感覚的な無意識を言語化することはできずとも体は動いていますから、その中で視線に注目して可視化をしたわけです。
この事例では、フォークリフト操作の映像にベテランスタッフの視線計測情報を重ねてVRコンテンツとして感覚の共有を行いました。

擬似的なセンスの可視化に必要な要素

フォークリフトの事例を取れば、無意識の感覚を共有するために、無意識が反映されている身体のうち視線に注目してその動きをデジタル化することで共有を実現しました。これを少し一般化すると次のような条件にまとめることができます。

  • 無意識が反映される対象の設定

  • 対象となったものの可視化

  • 可視化されたものの特徴量抽出

  • 人ごとの差分検出

このフレームは人の感覚を可視化して判断するモデルを構築する際に概ね辿るものです。手先の感覚を共有したければハンドグローブやカメラで指先の動きをデータにして可視化するのでしょうし、表情の感覚を共有したけレア表情筋や目の動きをデータ化するのだと思います。

では「感性」をデータ化することはできないのでしょうか。

デジタルセンス「メタ感性」は作れないのか

ここでようやくタイトルの本題ですが、感覚をデータ化して共有できるのであれば、もしかすると感性も同様に擬似的な可視化ができるのではないかと考えています。QuadComさんの画像でいえば左側の価値形成の部分を何らかの方法で明らかにできれば、自己との対話はもちろん、他者との対話において大きな変化がありそうです。
感性とは平たくいえば「何に対してどう思うのか、それはなぜなのか」という情報の群です。「ショートケーキが好きなのは、甘すぎず癖がないから」という情報セットもあれば「モンブランが苦手なのは、独自の甘み深さ」というセットもあります。こういった情報群を形成することで新しい食品に関する感じ方を予測することができそうです。
同じようなアプローチで「夜遅くまで働いている人を見て、●●だと感じた」という労働に対する個人の感覚が色濃くでるデーアセットを作れば、その人の労働に関する価値観のセットができそうです。

メタ感性は人の理解を深くするか

本記事のタイトルの末尾には活用可能性という文字がありますので、上記のようなデータでまとめられたセンス情報がどのように活用できるかについても触れておきます。
これまで誰か特定の人のことを知るためには深いインタビューが必要でした。しかしながら初対面に近い状態で本音を引き出すにはかなりのスキルが必要であり、インタビューに関するテクニックが多く発展しています。同じように本音を引き出せない場面として仕事の場があります。企画部と開発部では方針や業務が異なりますから、当然ある1つの事象に対して感じることも差がありますが、どちらかにパワーバランスが偏ってしまう場合には本音で語り合うことは難しく、配慮しようにも相手のことが分からず配慮できないという状況が生まれます。踏み込んだ話をすれば企画部が「開発部の余裕のために納期をずらした」ことが開発部では「後発のタスクに影響があるものを相談なく動かした」と批判的に捉えられることもありそうです。

このような、制約条件や環境条件によってコミュニケーションに難しさが生まれる場面では相手のことを事前に理解しておくための別の方法が必要です。相手の情報を探しておくトレンドをウォッチするなど営業的なプロセスで行うようなものではなく、知りたいのは「ある事象に対してどう感じるか」と「それはなぜか」です。完全ではないにせよ、そのヒントが得られることで活用の道が見えてきそうです。
以下の画像はイメージを掴んでもらうためのChatGPTの画面ですが、このようにして価値観データセットに問いかけることで、自分が知らない世界の前提を少しでも理解することができますし、体験しようがないことや想像を絶するような場面の感情も、きっと再現できるのではないかと思うのです。もしメタ感性が再現できれば、怖いこともあるかもしれませんが、コミュニケーションの負担が減らせるんじゃないかなと思っていたり・・・。そんな未来ってどうでしょうか。(次回につづく)

※質問の内容とAIによる回答に対して是非を問うものではないないことを明記しておきます。

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