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スケートボードから知るストリートカルチャー

 兵庫県にスケートパークをつくるためのクラウドファンディングが実施されており、無事に達成されたようです。とても嬉しい気持ちになったため、この文章を書きつけてみます。

スケートボード「不毛の地」

 アフリカはスケートボード「不毛の地」と言われていました。ところが、ウガンダでは、スケートボードの人気が爆発してます。その中で、あたらしいボードを買った若者たちがお下がりを年少者に与えたり、みんなで共有しあったり、みずからの表現の中で輝きを持つようになっているようです。しかし、「スケートパークはあるのにスケートショップがない」という問題が残っていました。その流れの中で、The Uganda Skateboard Union(ウガンダ・スケートボード・ユニオン)が立ち上げられ、地域からスケートボードブランドが生まれるまでになっています。

 他にも、モロッコでは、観光地として有名な土地は、だいたいにしてドラッグや依存症が問題となっていました。しかし、そのような中、スケートパークに若者たちがあつまりお互いに支えあうことで、その手の問題に対するシェルターとしての力を一部で持つまでになっています。そして、若者たちは日々抱える経済的な悩みから解放され、仲間と教え、教わり、助け合い、スケートボードのパーツを交換するなど、居場所となっています。その中で、ひととの接し方や敬意の持ち方を学ぶようになり、他者や社会との関わり方を身につけるようになっているのです。さらに、スケートパークは、恵まれない人びとや難民との間での、異文化コミュニケーションや自己表現、ある種のレジリエンスの涵養に寄与しているという話もあります。

ストリートカルチャー

 たしかに、ある面でストリートカルチャーは「やっかい」であり続けてきました。というのも、ストリートと言えば「通り」のことですが、通りには表の通りと裏の通りがあります。そして、ストリートカルチャーについて言えば、それは「裏通り」を意味します。この「裏通り」が大切なのです。それは、ある種のオルタナティブを意味します。ところで、レールをはずれてしまった人はどのように生きるのでしょうか。エリート街道から外れてしまった人はどのように生きるのでしょうか。彼らには価値がないのでしょうか?

 そんなはずはありません。

到達への道

 ゴールにたどりつくことを目的とすれば、そこに表通りから向かうか、裏通りから向かうかに大した差はありません。それよりも大切なことは、思ったように行かなかったとしても、それでもなおいられる場所があること、そしてべつの道からすすめることです。様々な人と知り合い、支えあい、みずからを自由に表現し、仲間に囲まれて立ち直り、そしてあらたなことをはじめることにつながりうる場所。それが「スケートパーク」です。ステキですね。

 政治理論家のハンナ・アーレントは「活動(act)」を重要視しました。「活動」とは、「はじめる」ことであり、「うごかす」ことです。それは本性的に、既存のものには期待できないようななにか新しいことが起こることを意味します。ストリートカルチャーの重要性はそのようなところにあるのです。メインと言われるカルチャーとは違うもの。それはサブカルチャーかもしれませんし、ストリートカルチャーかもしれません。どのような「なにか新しいこと」が起きるのでしょうか。各地で様々なオルタナティブカルチャーの胎動が見られます。たのしみです。

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