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2023年に読んだ本からオススメの10冊

毎年恒例の年間読書振り返りログを残しておきます。ケニアで晴耕雨読生活していた去年は140冊ほど読んだのですが、日本に戻って本格的に仕事復帰した今年は80冊。読む本も、リサーチ/インプットを兼ねた仕事関連が主を占めた印象です。

けれど、その中から選び出した10冊のうち、ビジネス関連は『ビジョナリー・カンパニーZERO』と『エフェクチュエーション』くらいのもので、ピュアな読書ジャンルとして、自分はやっぱり文学寄りのものが好みなのだと再発見。


欲望の見つけ方(ルーク・バージス)

もしかしたら2023年個人的ベスト本はこの本かもしれない。読書好きの友人にも対面で何人か激推しした記憶がある。ピーター・ティールの思想に最重要な影響を与えたルネ・ジラールを真正面から理解しようとするのは難しいけど(『世の初めから隠されていること』)、この本は平易に核心的なモデル部分だけが解説されているので理解がしやすい。

ジラールによれば、人は真似を通じて、ほかの人が欲しがるものを欲しがるという。自分が欲しいものは、自分の内からはわいてこない。自分が欲しいと思っているそれは、必ず誰かの影響を受けている。さらに、人が欲しがるものを欲しがることで競争が生まれ、競争はさらなる模倣を生む。

人は人が欲しがるものを欲しがる。人は絶えず影響の連鎖のうちにある。内発的な動機などあるのだろうか。競争はさらなる模倣を生む。行動経済学の深層のような、進化論とも地続きなような、それくらい骨太な理論だと思う。

ビジョナリー・カンパニーZERO(ジム・コリンズ、ビル・ラジアー)

ビジョナリー・カンパニーシリーズは平均的には②の「飛躍の法則」が一番人気なのかもしれないけど、人によって③「衰退の五段階」⑤「弾み車の法則」など、刺さる一冊は人生のライフステージやタイミングによっても変わりそう。その意味で、もっともドラマチックで普遍に胸を打つ一冊を挙げるなら、やっぱりZEROになると思う。

第一章から震えが止まらない。ジム・コリンズはたった一つの人生を“ビジョナリー・カンパニー”の探求、そして書物にまとめることにオールインした。その生き様が言霊として立ち現れてくる感覚さえある。使命が物質化した本、とさえ言える。

ルワンダ中央銀行総裁日記(服部正也)

『ルワンダ中央銀行総裁日記』読み応えすごかった。1965年、日銀職員からルワンダへ中央銀行総裁として派遣される。何一つ整っていないカオスの渦中、一つ一つ実直にコトに挑みながら、国家改革という大義に向かっていく。何より心打たれるのは、人種や文化の陥穽に掠め取られることなく、人間としての徳の通し切る姿勢と心意気。

ルワンダ経済の現状はきわめて困難であるが、絶望的ではない。国民は働き者で、社会的階級制度はなく、政府は真面目で国民に直結しており、欲望は控え目で、過大な野心なく、有望な農業鉱業資源にも恵まれている。いまや勇気をもって経済再建の諸施策をとり、ルワンダ国民に経済発展を保証すべきである。

日本に帰ってからよく、働き甲斐のある仕事だったでしょうといわれる。たしかにそうだったが、私として一番よかったのは、毎日なにかを学び、学んだことを実施に移す生活、反射的な行動は許されず、たれも相談する相手もなく、一人だけで考え、行動する生活だったような気がする。

地図と拳(小川哲)

『地図と拳』ものすごい重厚感の小説だった。同じ著者の『君のクイズ』の軽妙ポップさとの対比に驚愕する。歴史と土地を超えて、人と時間を繋ぎ止めるものとしての地図。情熱と執念が時空を超えるさまが清々しい。

「それはまた次回」と周は話を終えた。街外れの河原に寝転び、夜空を眺めながら周は話の続きを考えた。そして、自分の作り話が、それまでの人生で知っていた知識と結びつく瞬間を経験した。事実と噓の境界が溶け、今までばらばらに光っていた星々が星座になったのだった。

自分は彼らの想いに、感情に、歴史に火を放った。支那の冬の夜の寒さを凌ぐために。そして、見失った自分の陰茎を探すために。自分はそうやって、この戦場を生き抜いてきた。 中川は明るくなってようやく見つけた陰茎を握り、火のついた家屋に向かって立小便をした。

過去と未来は、別の概念ではなく、同じ大地の中にある。過去を知るために地面を掘ると、張り巡らされ、絡みあったいくつもの事情が根こそぎ露わになった。その根を空に向けて逆さにひっくり返すと、そのまま未来の可能性になるのだった。

史実に基づく歴史小説は“あり得たかもしれない”自分をその舞台設定に投射する。なぜ自分ではなく、彼/彼女だったのか。目の前を覆う理不尽の束を前に、人はどう足掻き、祈り、意味を見出し、手応えのない未来へ想いを託そうとするのか。イマジネーションの発芽を身の覚えながら進める読書は重いけれど、爽快ですらある。

生成と消滅の精神史 終わらない心を生きる(下西風澄)

在野で独立研究者として活動されている下西風澄さん初となる単著『生成と消滅の精神史』。自身が語るよう、中学生時分に哲学に開眼し、思索を重ねてきた一つの集大成で、埋め込まれた思考の深さと時間の長さを感じる。

心は自然に存在するのではなく、むしろ心が存在すると「みなす」ことによって存在が始動するものならば、心とはそもそもメタファーである、と考えることができる。

人間的な心において、強さとは完全性の別名であり、弱さとは脆弱性の別名であった。しかし生命的な心はこれを逆転させる。心はふとしたことで崩壊してしまうという意味においてはかくも弱く、しかし逆に、心はどれほど崩壊してもまた自ら生成するという意味においてはかくも強い。心の弱さとは脆弱さではなく変様することの可能性であり、心の強さとは強靭さではなく再開することの可能性である。

人間は意味なしには生きることはできないが、意味に縛られても生きていけない。この不条理は人類に与えられた課題である。西洋では究極の意味として神が君臨し、近代では理性の王国としてヘーゲルが道筋を与えた。他方で東洋では逆に意味の世界を否定して無垢で無為な自然の桃源郷を求める老荘思想が栄え、禅の思想は超脱を目指す道筋を与えた。究極の意味か究極の無意味、人間はこうした二択の間に彷徨い苦悩する。

心の生態学の起源を哲学に求めながらも、学際的な視点からサイバネティクスから最新のAI、そして明治期の文学まで、独自の探索法で思索を深めていく。いくつもの撚り糸を思考の編集点によってアプローチする、そのオリジナルな眼差しこそ人間が専有する知であり、定量化できぬ好奇心の発露なのだろう。

下記のインタビューを併せて読むと、著者の遍歴や向かおうとしている先も分かっていい。人文知に軸足を置きながら、学際的に研究を進める一つの見本だ。

じぶん時間を生きる TRANSITION(佐宗邦威)

『じぶん時間を生きる TRANSITION』完全に自分の本として読めた。本や映画は触れるタイミングによって受容できる質が決定的に変わる。生産性の奴隷的に働き通し、ぶっ倒れてケニアで晴耕雨読の生活、そして今また東京に戻ってこれたこのタイミングで生き方を自省しながら読書できた。

仕事を辞めて何もしないのは、精神的にとてもきつい。誰かに会うときも、後ろめたい気持ちが先に立ち、「顔向けできない」という感覚に襲われた。自分が何者でもなくなってしまった恐怖と、先の見通せないキャリアにただ絶望していた。 しかし実は、そういう何もない時期にこそ「余白」が生まれ、新しいものが入ってくることが多い。

「豊かさ」と「生産性」にはたいして結びつきがないことを20代の頃は知らなかった。いまは無為に時間が過ぎることを恐れなくなった。かならずしも時間を生産性に還元するより、今を、今日をたのしむ。記憶の積み重ねこそが資産になるのだから。

言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか(今井むつみ、秋田喜美)

この本を読んだとき、ちょうど『ChatGPT vs. 未来のない仕事をする人たち』を執筆しており、意識的にLLM周りをリサーチすることは多かった。この本に関していえば、表面的な言語理解というより、原理的に自然言語の仕組みを理解できた感覚がある。大胆な仮説を読み込む過程がエキサイティングだった。記号接地問題や言語の身体性、自分の知識が浅かった部分がアップデートされた。

結局言語はどんなに進化しても、人間が使い手である限りは、完全に「恣意的な記号の体系」にはならないだろう。全体から見るとごくわずかではあるが、一部のことばには身体感覚と直接つながるアイコン性が宿り、それがハルナッドの言うところの「記号接地をするための最初の一群のことば」となる。

つまり言語習得とは、推論によって知識を増やしながら、同時に「学習の仕方」自体も学習し、洗練させていく、自律的に成長し続けるプロセスなのである。

ハンチバック(市川沙央)

その人にしか書けない小説がある。と、いうか本来、文学とはそういうものである。短い小説ではある。けれども、1ページ目をめくり始めたときから、ラストまでそこに込められた怨念にも似た熱量に一気に覆い被さられる。身体性と言葉に変換し、物語を操るように、自分の体験と言外のメッセージが迫り来る。いろんな意味で息を飲む物語。

厚みが3、4センチはある本を両手で押さえて没頭する読書は、他のどんな行為よりも背骨に負荷をかける。私は紙の本を憎んでいた。目が見えること、本が持てること、ページがめくれること、読書姿勢が保てること、書店へ自由に買いに行けること、──5つの健常性を満たすことを要求する読書文化のマチズモを憎んでいた。

わたしたちが光の速さで進めないなら(キム・チョヨプ)

韓国のSF小説『わたしたちが光の速さで進めないなら』。短編集のどの作品も科学的テーマが設定されているのだけれど、欧米系のSFに比べたテクノロジーゴリ押しよりも、どこか爽やかでクールな印象がある。それはキャラクター描写もあるし、文体もあるんだろう。さながら、“ホワイト・ミラー”といったような。SFのレンズを通して未来を夢想する、というより、SF物語が現在や過去を逆照射し、僕らが忘れたり、失いかけている価値観に想いを巡らせてくれる小説だ。

「考えてもごらん。完璧に見えるディープフリージングですら、実際には完璧じゃなかった。このわたしですら自分で経験してみるまでは気が付かなかったんだ。それどころかわたしたちは、まだ光の速度にも到達できていない。それなのに人々は、まるで自分たちがこの宇宙を征服したかのような顔をしている。宇宙がわたしたちに許したのは、たかだかワームホールの通路を使ってたどり着けるごく一部の空間にすぎないというのに。かつて一瞬にしてワームホールの通路が現れ、ワープ航法が破棄されたように、もしもまたワームホールが消えたとしたら? そうしたらわたしたちは、さらにたくさんの人類を宇宙の彼方に取り残すことになるんだろうか?」

エフェクチュエーション(吉田満梨、中村龍太)

最近読んだビジネス書で圧倒的に良かった。起業家はもちろんフリーランスにとっても強力な武器になる実践的な思考法だと思う。目的ではなく手段に、予測ではなくコントロールに力点を置いた戦略的な立ち振る舞いが読みやすい文章で学べる。さすが横田さんの編集。読者が読み進めるにあたり、ストレスがないように気が配られている。

熟達した起業家には、最初から市場機会や明確な目的が見えなくとも、彼がすでに持っている「手持ちの手段(資源)」を活用することで、「何ができるか」というアイデアを発想する、という意思決定のパターンが見られました。このように「目的主導(goal-driven)」ではなく「手段主導(means-driven)」で何ができるかを発想し着手する思考様式は、「手中の鳥(bird-in-hand)の原則」と呼ばれます。

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下記は、過去の年間読書まとめ。

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