見出し画像

今ちょっと体と心の変化に追いつけない感じ② 〜完〜



いつも書きながら整理するタイプなので、書き始めたら1時間くらいは画面と睨めっこしている。仕事柄文章を書くことも求められるし必要だと思うから自分なりに伝わりやすさを意識して書いているけど、自信がない。文章上手な人って憧れる。読みやすかったり流れがわかりやすかったり。これってやっぱり本を沢山読んできたかどうかの違いなのかな。

前回の続きで、上司に大泣きしながら伝えたことだったり、自分の思いをしっかり相手に伝えられなかったり依頼主から無碍に扱われていると感じて打合せ後に大泣きしたことをまとめてパートナーに話した。(打合せ後大泣きの件についてはその日から数日間はパートナーに事情を説明できずにいたので 話せるタイミングで伝えた)
相手曰く、私は泣いたりする時感情が先に出ていて どうして泣いているのか?何にどう何を感じたのか?の部分を整理して理解すると違うのではないかと。

ふむ。

確かに辛かったり苦しかったりその時は耐えることで精一杯で、悲しい・苦しいが頭と体の中にいっぱい充満してしまっている感じ。普通に痛い。
それが終わって、言われたことを思い返したりその辛かった時間を繰り返すことでその苦しかったことがぶり返して理性では止められなくなってしまって泣いた、という感じかな。

でもじゃあ一体私はどこに、そう感じたのか。言われて思い返して、あ…と思い当たるところがあった。あってよかった。泣くほどつらいことでも有難いことに人間の脳みそは良いようにできていて、ちょっとずつ忘れていく。当時から1日でも時間が経てば その時の新鮮な感情は薄れて濁っていく。考えて、思い当たるまでに少し時間はかかったけど、ここだなと思う点があった。ものづくりしていて思うのは、0→1も、1→10、1×10もそれぞれその道の職人がいてできること。どの立場も簡単ではないし、技術がいること。世の中には本でも動画でも学べるツールは沢山あれど、自分のものにするまでには一生かかるものもあるし 一生かかっても厳しいものもあるだろう。相手もそれをしている人であるのに、違うジャンルのものづくりをする私であったり他の人に対して、敬意を感じられなかった。もちろん出来上がりに関して納得がいかないことは意見として必要だし、求めているものとの相違部分はしっかり伝えるべきではある、提案したものではないものを後々に要求されることもあり得る。わかる。けれどもまず依頼があっての制作物に関して、なぜここまで、こんな言葉を言われるのだろうと感じてしまった。喉まで出かかっていた言葉を必死に飲み込んだ。それでも私は納得のいく道を見つけなくてはならない。どう未来を明るく、前向きに進めていけばいいのか、次に何をすべきなのか必死だった。何本も刀を胸に刺されたような状態だったけど、今の目の前にいる人たちのことを好きになんかなれるはずもなく、ただ嫌いにもなれなかった。

何がつらかったのか、色々考えた結果 ものづくりをする人へのリスペクトがなかったことと、その人たちの言葉から自分は傷ついているのに嫌いにはなれないこと。
この人のことなんでか好きになれない… があるように、嫌いになれないこともあるんだなと時間が経ってからわかった。
そういえばいつからか嫌いな人が自分にはいない。昔はいたような。自分にとってストレスを与えてくる人やものについて悩んだり考え込む時間が勿体なくて、どう過ごしたら自分の気持ちが楽になるのか、毎日取り組みたいことに集中して過ごせるかを考えていて、そこに意識が行かないように過ごしていたんだった。そうすると何故か自然とそのストレスの対象たちは自分から遠ざかっていった。今思えば結構不思議だったな。
きっと嫌いな人がいることが自分にとってはストレスなんだろうなと思うし、そう言った訓練を積み重ねて今があって。でも嫌いにはなれないけど 好きでもない。無理にどちらかに気持ちを振り切らなきゃいけない訳ではないよね、曖昧なままどっちつかずの気持ちでだって 問題はないよね。

人は変わる、私も変わる、「変わった」の積み重ねが今。凝り固まった脳みそをどう緩く解いて受け入れていけるかはきっと今後も大きな課題なんだろうな。

時間はかかるけど 自分の感情の経緯がちょっとずつ辿れてきた。少し楽になるものがあった。

最近Amazonプライムで A Table!を見て、「幸福は人格である」という言葉が出てきた。浅はかな感想だけど 深いな〜と思った。
どういう意味かというと「自分自身でものを考え、感じ、行動することこそが幸福である」とのこと。具体的にどういう状態が幸福とか、どうなることが幸せ、とかではなく自分の頭で、足で、腕で、という人格からの行動に幸福は宿っているのかな。生きてるって感じ。




この投稿を何日かに分けて書き綴っていたけど 毎日変わる自分によって何が言いたかったかまとまらなくなってきた、(むしろ通常運転か…)

毎日変わる自分のこと、主観的にも客観的にも受け止めていたいなと思った。どうしてそう感じるのか、原因は何だったんだろう、考えることを放棄しないで 一つ一つ紐解いていった先に わかるものもあるんだろうし、何もなければなかったということがわかる。

行動した人にしか言えないことを、増やしていこう。
行動次第。



今日も暑かった、けどお昼に食べたお蕎麦美味しかったな。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?