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何も言わない父の凄さ

前回は母に関することを書いたので、今回は私の父のことを書いてみたいと思います。

私の父が凄かったなと思うことを一つ上げるとすると、「何も言わない力」ではないかと思っています。もう少し具体的に言うと普段は全く何も言わないのに、ここぞというタイミングを見極めて前に出てくる力です。

本人は自覚してないようにも思いますが、私はこの力は本当にすごいものだと思っています。

真面目で寡黙な父との思い出


私の父はとある有名な私立の進学校で歴史の教員をしています。身長は170センチほど。細身で、髪型は短髪の白髪交じり。本が大好きな穏やかな人です。

父を表す形容詞を上げるとすれば真面目、静かといった言葉がぴったりかと思います。これは祖母から聞いた話ですが、学生時代の父はいわゆるガリ勉を絵にかいたような少年で、暇さえあれば本を読んだり勉強したりしていたそうです。

私が幼かったころは何も言わずに一緒に公園に行ったり、ちょっと遠出して博物館や水族館によく連れていってくれました。

そんな父ですが、振り返ってみるととにかく私のやることに何も口を出さない人でした。

私は小学校に上がるくらいから興味のあるアクティビティが増え、水泳、野球、バスケットボールなど、友達から誘われたものはひたすらやりたいと首を突っ込むようになっていました。同時にいくつもやりたいと言い出したら止めそうなものですが、父は特に止めることなく許可してくれました。

勉強のほうでも同じクラスの子に成績で負けたくない思いから進研ゼミや塾に行きたいといった話をすることもあったのですが、それも特に反対しません。なんでやりたいと思ったのかを簡単に聞いて、じゃあやってみればということでこれもOK、そんな人でした。

中学から大学院、就職に至るまで
変わらないスタンス


父の私に対して何も言わないスタンスはずっと変わることはありませんでした。特に不思議だったのは私の進路に関して一切口を出さなかったことです。

父の勤める学校は有名な進学校で、毎年東大生を数十名送り出すような学校です。そんな職場で働いているわけですから多少は私の進路について関心があったのではと思うのですが、結局最後まで父が私にどんな学校に行くつもりなのかと聞くことはありませんでした。

また大学院卒業後の就職についても、私が一風変わった不動産の賃貸会社に就職することに全く意見しませんでした。一応私からどんな会社なのかを説明はしたのですが、「そうか、お前が良いならいいと思うぞ」。それ以外の言及は一切なし。ここでも何も言わないスタンスを父は貫きます。

私自身、自分のことは自分で考えて決めたいタイプなので反対されても押し通したとは思うのですが、ここまで何も言われないのはちょっと不思議な気もしていました。

しかしある日の父との会話から、なぜここまで何も言わずに来たのか、父がどんな考えを持っていたのかを知ることになります。

父が初めて手を差し伸べてきた日


私は現在エムスリーキャリアという会社に勤めていますが、入社したきっかけは新卒入社した会社が倒産したことにあります。

会社の経営は入社1年目の2015年8月ごろからかなり雲行きが怪しくなり、実際に倒産することになった2016年10月には3か月分の給与が振り込まれないほど追い込まれていました。

当時の私は都内にマンションを借りて一人暮らしをしていたのですが、3ヵ月も給与が出なかったので学生時代からの少ない貯金も枯渇し、家族に助けを求める必要が出てきてしまいました。

理由が理由なだけに連絡するのも憚られたのですが、私は父に電話し、次の就職が決まるまで少し資金援助してほしいことを伝えました。すると父は「よく頑張ったな。お金はすぐ振り込むが、ただお金を出すだけでもなんだから久しぶりに2人でご飯に行こう」と言ってくれ、実家の近くにある小料理屋で会うことになりました。

父が何も言わなかったわけ


待ち合わせ場所の小料理屋に行くと、父が先に着いて待っていました。私の気まずい気持ちを察してか、父は笑うのでもなく、ただ穏やかな表情で「まあとりあえずビールでも飲んだら」と勧めてくれました。

ビールを飲んで少し落ち着くと、私から会社でどんなことがあったのかを話し、改めて助けてほしい旨を伝えました。「わかった、もう大丈夫だから。何も心配するな。」父はそう言ってお金の入った封筒を私に差出し、また料理を食べ始めました。

その時にふと、私から質問をしました。

:就職するって伝えたとき、父さんは何も言わなかったけど実際どう思ってたの?知ってる会社に勤めて欲しいとかなかったの?

:そんなこと考えたこともない。お前が自分で決めた道だから、それが一番の道だと思ってたよ。

:でも父さんの学校で進路相談に対応したりするでしょう?それと同じように何かアドバイスというか、一言あっても不思議でないと思うけど?

:自分は大学を卒業して教員になった。以来ずっと教員をしてるのはお前も知っているだろう。つまり自分はいわゆる就職活動をしたことがないし、一般企業に勤めたこともない。そんな人のアドバイスが何になる?なんの根拠もないアドバイスほど無責任で怖いものはないよ。学校でもそうだけど、自分にできるのは相手が何をしたいのかを聞き、その理由を理解して、あとは応援するだけだよ。あとは必要になったときに助ければいいわけでさ。

この時、父の考えを理解した気がしました。父はある意味一貫した信念に基づいて、私の考えをずっと尊重し、見守っていてくれたのです。店を出た帰り際、最後に父はこう言ってくれました。「これくらいのことならいつだって助けられる。何も心配いらないから、また次に向けて頑張れ」

私はただ頷き、帰りの電車に向かって歩き始めました。少したって振り返ると、父がゆっくりと、実家のほうに向かって消えてゆくのが見えました。すでに身長は私のほうが高くなっていましたが、この時ほど父が大きく感じた日はありません。

教訓:助けるタイミングを見定める重要性


振り返ってみて思うのは、父は私を助けるベストなタイミングを見定めていたのではないかということです。私の状況を知っていた父は、やろうと思えばもっと前のタイミングで介入することもできたと思います。

恐らく父は私の負けず嫌いな性格を見越して、他からの助けを受け入れられる状態になるまで耐えてくれていたのではないかと。私が自分で頑張るモードになっているときに助け舟を出しても、断るだろうことが分かっていたのではないかと感じました。

仕事や普段の生活の中でつい助けに入ったり、アドバイスしたくなるシーンは誰しも経験があると思います。特にそのまま行くと失敗することが分かっているときほど、介入したくなる気持ちは一層高まります。

しかしそこで介入してしまうと相手が助けやアドバイスを受け入れられなかったり、重要な学びの機会を邪魔してしまったりします。

唯一絶対の答えはないので難しいですが、いつ助けに入るべきかを見定める力はとても大きな力ではないかと思います。




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