見出し画像

7-5.オランダの苦悩と新たな対日方針

アメリカ艦隊の日本派遣がオランダへ与えた衝撃

すこし時間をさかのぼり、かつペリー艦隊の動静からは離れます。

アメリカ艦隊日本派遣情報を日本に伝えてほしいというアメリカ政府の要請は、バタヴィアの東インド政庁に大きな衝撃を与えました。1852年1月の本国植民大臣へ宛てた東インド総督の書簡が残されています。やや長いですが、全文を挙げます。
 
「(前略)ここ数日間私は何度も日本問題に対決させられました。ローゼ氏(筆者註オランダ商館長)の辞任が認められたので、新しい出島商館長の任命を迫られています。最近の情勢を考えると、これは実に難しい人事です。

私は日本が近いうちに憂慮すべき紛糾事態に見舞われる現実を隠しだてするつもりはありません。アメリカかイギリス、あるいは両国ともに、日本に接近しつつあることは確実です。平和裡に目的が達成できなければ、彼らは戦争を仕掛けてまでもそれを獲得しようとするかもしれません。その時オランダはきわめて難しい立場に立たされます。

ある意味では日本に定着しているともいえるオランダがその時中立を保持することは並大抵のことではありません。侵略者の陣営に加わり、古くからの友人とも呼べる日本を裏切るか、あるいは日本側について、アメリカやイギリスを敵に回すか、このどちらかを選ばなければなりません。ここには第三の道がないのです。いかに穏やかな言葉でごまかそうとしても、現実にはこの二つの道があるだけです。

そして決断は私の肩にかかっています。まず幕府にその制度に変更を加えるように助言し、それが成功しない場合は、上述の険悪きわまる情勢に身を晒すよりは、ひと思いに日本から退去した方が賢明なのではないか、などと真剣に思いめぐらしています。(後略)」(「幕末出島未公開文書―ドンケル=クルチウス覚え書/フォス美弥子編訳」P204〜205)」

対日方針の検討

オランダは、新たな対日方針の検討を始めなくなくてはならなくなりました。この文書からは、日本以上に困難な立場に置かれたオランダの苦悩が伝わってきます。植民大臣は、オランダが取るべき態度について、国王ウイルレム3世に次のように進言しました。(以下、出所:「幕末出島未公開文書―ドンケル=クルチウス覚え書/フォス美弥子編訳」P205)

  1. 東インド総督が幕府に現行の鎖国制度に変更を加えるように勧告する。そのための信書を届ける商館長に全権を委任する。現在アメリカが日本遠征の具体化を図っている事実を通報する。

  2. 威喝のような印象を与えず、日蘭関係の断絶やオランダ商館の出島撤退の誘因を作るような事項に触れないよう注意する。オランダは仲介を避け、日本と侵攻国の間で中立を堅持する。両者が交戦状態に入り、仲介を求めた場合には、好ましい結果を得るように尽力すべきである。

  3. 一八四四年の国王ウイルレム二世が、幕府に政策を変更を加えるよう勧告した事実をアメリカへ知らせる絶好の機会である。

シーボルトの建白

この進言の検討中に届けられたのが、オランダ政府の日本問題の顧問であったシーボルトの建白書です。彼は、もっとも穏当な解決策として、オランダと日本が条約を締結することを提言したのです。条約締結の前例を作ることにより、他の主要国も続いてこれに倣い、日本と平和的に交流関係を結ぶことができると説いていました。また、彼が作成した日蘭条約草案と、条約締結交渉のきっかけを作るための東インド総督の長崎奉行宛信書も建白書に添えられていました。将軍ではなく、長崎奉行宛としたのは、1844年の将軍に宛てた国王親書(「5-8.オランダ国からの親書」)の返礼の際、「二度とこうしたものは送ってくれるな」と抗議があったからです。ウイルレム3世は、シーボルトの献策に同意し、オランダの具体的な対日方針が決定することとなります。

オランダの目論見

本国政府は、この重要な任務を帯び、それを日本に届ける新任商館長には、条約締結の交渉に必要な全権を委ねることします。目的は、アメリカに先駆けての日蘭条約の締結。その交渉を始めるきっかけを作る長崎奉行宛信書をいかに渡すか、これがまずは第一の関門となりました。その信書には、「アメリカがいかに大国であるか、そして艦隊を率いて来航するために、武力を用いる可能性も否定しえないこと、この危機に際して、オランダ国王は、日本の祖法(「鎖国」制度のこと)に背くことなく、日本が平和を維持できる方策について提案したい。そのための人物として、それまでオランダ東インド高等法院判事を務めていた有能な政治家を送る」ことが書かれていました(出所:「幕末出島未公開文書―ドンケル=クルチウス覚え書/フォス美弥子編訳」P209)。別段風説書とこの信書で幕府の危機感を煽り、まずは条約交渉の端緒につかせ、交渉が始まったらシーボルト作成の条約草案をベースとする交渉を開始するという目論見です。

歴史は、この目論見は失敗したことを教えています。しかし、その経緯をしばらくみていきます。

続く


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?