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戦国逸話~軸を持つ~

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武将の振る舞いと愛情を併せ持つ小松姫の逸話

武将の振る舞いと愛情を併せ持つ小松姫の逸話

こんにちは、両兵衛です。
現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。

私の戦国逸話noteを読んでくれている方から、戦国の女性についても取り上げてもらえないかという話をいただきました。

どうしても残っている逸話自体も男性の戦国武将と比べると多くないですが、ときどき取り上げていけたらと思っています。

今回戦国の女性ですぐ思い浮かんだ逸話がありました。登場してもらうのは小松姫です。稲姫と

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"自分だけは大丈夫"の隙を突かれないように ~太田道灌の逸話~

"自分だけは大丈夫"の隙を突かれないように ~太田道灌の逸話~

こんにちは、両兵衛です。
私たちの視点を変える切っ掛けとなる戦国逸話を取り上げています。

ニュースを見ていると、オレオレ詐欺とか特殊詐欺とかいいますがお金をだまし取る事件が絶えないですね。

これだけニュースになって、いろいろなところで啓蒙活動がされていても"自分だけは大丈夫"と思ってしまうのですね。

さて、今回ご紹介するのは太田資長という武将の逸話です。
資長よりも出家後の太田道灌という名で

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どんなことに動揺したか違いを自覚できるかどうか。伊達政宗の逸話

どんなことに動揺したか違いを自覚できるかどうか。伊達政宗の逸話

こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。

今回は伊達政宗の逸話を取り上げます。政宗といえば、あと20年早く生まれていれば天下を取ったなどと言われる戦国時代を代表する武将の一人です。

数々の合戦を経験し、時の権力者である豊臣秀吉や徳川家康と対峙してきた政宗が、動揺した自分にショックを受けた逸話を取り上げます。

政宗といえば動揺とは無縁ではないかと思わ

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大きな成果を手に入れても、これを守れなくては意味がないと残した北条氏綱の遺言

大きな成果を手に入れても、これを守れなくては意味がないと残した北条氏綱の遺言

こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。

戦国時代というと裏切りや寝返りなどがあたりまえの時代だったと言われます。その一方で、全く逆の考え方もあったようです。

今回登場してもらうのは北条氏綱という武将です。氏綱は戦国時代に関東一円を治めた北条5代の2代目で、小田原駅前に騎馬像のある北条早雲(伊勢宗瑞)の嫡男です。

息子の3代目氏康は、あの武田信玄や

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武将の道も現代の私たちの道にも共通した大切なことを逸話集「武将感状記」にみる

武将の道も現代の私たちの道にも共通した大切なことを逸話集「武将感状記」にみる

こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。

戦国武将の逸話集は、戦乱の時代が終わった後の江戸時代以降にまとめられものがほとんどです。そんな中の一つに江戸時代中頃に刊行された「武将感状記」があります。

この「武将感状記」の中に、これまでこのnoteで取り上げてきたような武将個人の逸話でなく、武将としての道について著者の考えをまとめたものが載っていたので取

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一度も負けなかったのに自分は名将ではなかったという朝倉宗滴の名将の定義とは?

一度も負けなかったのに自分は名将ではなかったという朝倉宗滴の名将の定義とは?

こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。

今回は朝倉宗滴という武将の言葉を取り上げます。
宗滴は越前一乗谷を本拠とした朝倉氏の当主を3代に渡り支えました。なんと79歳で亡くなる直前まで戦に出陣し、負けたことがなかったと言われる名将です。

宗滴の言葉は以前ここでも一度「武者は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つことが本にて候」という言葉を取り上げました。今回

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自分の振る舞いに迷ったときのヒントをくれる高坂昌信の逸話

自分の振る舞いに迷ったときのヒントをくれる高坂昌信の逸話

こんにちは、両兵衛です。
ここでは現代の私たちにも通じる戦国逸話を取り上げています。

今回登場してもらうのは高坂昌信(春日虎綱)です。
昌信は、百姓から名将・武田信玄の近習として召し抱えられました。その才能を信玄に認められ活躍し、後に武田四名臣の一人として数えられる武将です。

信玄のライバルといえば、軍神とも称される上杉謙信です。信州の川中島では大小5回にわたり戦いがありましたが、昌信はその最

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失敗にばかりにこだわる姿を皮肉った槍の又兵衛のことば

失敗にばかりにこだわる姿を皮肉った槍の又兵衛のことば

こんにちは、両兵衛です。

勝負に負けたとき、失敗したとき、武将たちはどう捉えていたか。今回は槍の使い手で豪傑として知られる後藤又兵衛の逸話を取り上げます。

又兵衛というと、大坂の陣で豊臣方として戦い、真田信繫(幸村)らとともに徳川方を苦しめたことで知られる武将ですが、まだ黒田如水(官兵衛)、その息子の黒田長政に仕えていたころの話です。

黒田家が新しい領地である九州の豊前国を治めはじめたころ小

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どんなに行動を批判されようが自分が大切にしているのはこれだと言い切る朝倉宗滴のことば

どんなに行動を批判されようが自分が大切にしているのはこれだと言い切る朝倉宗滴のことば

こんにちは、両兵衛です。

昔、福井県の福井市に住んでいたことがありました。市街地から南東に10キロくらい離れたところに一乗谷朝倉氏遺跡があります。

信長による焼き討ちにより長い間土の下に眠っていたため、遺構がきれいな状態で残されていて、江戸時代ではなく戦国時代の城下町の雰囲気が味わえる貴重な場所です。2年前にものすごく久しぶりに訪れましたが、一部街並みが復元されていて驚きました。

一乗谷を本

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覚悟の必要な岐路に立った時に腹をくくるための鍋島直茂の言葉

覚悟の必要な岐路に立った時に腹をくくるための鍋島直茂の言葉

こんにちは、両兵衛です。

進学、就職、転職、結婚など自分にとって覚悟の必要な岐路に立った時、どうすべきか誰かの意見を頼りに決めるのでしょうか。それとも自分ひとりで腹をくくって決めるのでしょうか。今回はそんな場面での武将の言葉を取り上げます。

登場してもらうのは鍋島直茂という武将です。
戦国時代でも京や大坂といった畿内を中心に信長、秀吉による統一が進んでいるころ、九州では3つの勢力に集約されてい

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初心にかえることを武将も意識していたことがわかる山県昌景の逸話

初心にかえることを武将も意識していたことがわかる山県昌景の逸話

こんにちは、両兵衛です。

仕事でもなんでも慣れてしまうと、緊張感を忘れて油断するとか手を抜いてしまうなんてことがあります。それで何度痛い目を見てきたことか…。どうやら戦国時代の武将たちも、このあたりは意識していたんだなという逸話があります。

今回取り上げるのは山形昌景(やまがた まさかげ)です。昌景は、武田信玄の家臣で武田四天王の一人にも数えられる武将です。昌景の山形隊といえば、最強の証とされ

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そもそも何のためにやっていることか考えてみよと言っているような馬場信春の逸話

そもそも何のためにやっていることか考えてみよと言っているような馬場信春の逸話

こんにちは、両兵衛です。

仕事でも勉強でも取り組んでいることがうまくいかないとき、どうも目先のことにこだわっているのではないかと思うことはないでしょうか。

今回登場してもらうのは馬場信春です。信春は武田信玄の家臣として活躍した人物で、武田四天王や武田四名臣などと言われる四人の武将のうちの一人です。美濃守を称したことから敵からは鬼美濃と恐れられました。

信玄亡きあと息子の勝頼にも仕え、織田信長

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覚悟にまつわる逸話ってないですか?から思い浮かんだ石田三成の逸話

覚悟にまつわる逸話ってないですか?から思い浮かんだ石田三成の逸話

こんにちは、両兵衛です。

今日、覚悟にまつわる武将の逸話はないかという話がありました。
あらためて「覚悟」と言われるとなんでしょうね、困難を受け止める心構えという意味でいいんでしょうか。

覚悟、かくご、…と、覚悟を貫いた武将の逸話として思いついたのは、小説やドラマなどでも描かれる石田三成の逸話です。

慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いに敗れた三成は、処刑場となる京の六条河原へ向かう途中で喉

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