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怖さと一緒に

話すときにも同じように感じる。
書きたいけど、表現してみたいけど
自分の内面をさらけ出してみるのが怖い。

自分の内面を書くことに抵抗がある。
その一方で、思いっきり自分の気持ちを
言葉にしてみたいという気持ちがある。

この文章を読んでくださるみなさんは
きっと私の顔も知らないと思う。
私の本名も知らないと思う。
どこかで直接会う機会もきっと
ないんじゃないかなぁと思う。
(あったらそれは嬉しい)

だから
「何を書いてもいいんじゃないか?
好き勝手にかけばいいんじゃないか?
どうせ私のことバレないだろうし」
って思ってるつもりだった。
でも全然そんなことなかった。

noteは最近行けてない自助グループの
代わりになればと思って書き始めた。
(書き始めて楽しくなってきた。)

自助グループは「言いっぱなし、聞きっぱなし」で
話したことについて議論したりしない。
だけど、参加しているメンバーに向かって話す。
自己完結的じゃなくて「誰か」が
同じ空間にいることをわかっていて話す。

それと同じように私はきっと「誰か」が
画面の向こうで読んでくれるであろうと
期待して書いてる。

「誰かに伝えたい」とか
「共有したい」って気持ちが
私にあって、書いてる。

これは自然な気持ちなのかな?
最近気づいた新しい感覚。

*** ***

「他人の目なんか気にするな」っていうけど、わたしには出来ない。どうしたって気になる。意思力で頑張って「他人の目を気にしないようにしよう」と思っても無理。気になってもいいんじゃないかと思う。気にしないように努力するよりも「今は他人の目が気になるんだ、わたし」って受け入れてあげられたらいい。
それに自分を信じられるようになるにつれて、自然と気にならなくなってくると思う。


気持ちを表現するのが怖い。
書くのが怖い。
新しいことを始める時は怖い。

この怖さって
あるところまでは減らせるけど
完全にはなくならないものだと思う。

だから怖さを抱えたまま
怖さと一緒にやってみるしかないのかな
というのが最近出た答え。



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