不自然なキャベツ

 モスクワ発サンクトペテルブルク行きの列車がスピードを緩め始めた。車窓は田園から都市に変わり、1泊2日の夜行が終わろうとしていた。駅舎までの距離を稼いでおこうと思った。2段ベットの上段に横たえていた体を起こし、ドアのない3等車のコンパートメントを出た。

 ボストンバッグの端、片方のサンダル、ベッドに収まらない足、捨て置かれたごみ袋。通路には隣人たちの生活がはみ出していた。後ろ手に転がしていたソフトケースの車輪が傾き、そのたびに振り返って怪訝な表情の持ち主には他意がないことを示し、誰も気に留めていないときはそのまま歩き続けた。

 2等車の通路は本来の役割をまっとうしていた。ドアで仕切られたコンパートメントの中から声は漏れてこない。窓の外を眺める乗客とすれ違うことはあってもプライベートとパブリックの境は明確で、歩幅は広くなった。

 食堂車にたどり着くと、給仕係の姿はすでになかった。この先は1等車のはずで先頭車両は近い。残り時間を過ごすのに良い場所だと思った。他の乗客も考えることは同じで、4人掛けのテーブル席は家族連れや相席客で埋まっていた。

 視線を左右に動かしながら進むと、車両端のテーブル席に目が留まった。ムスリムだったのかもしれない。頭にスカーフを巻いた年老いた女性が座っていた。どうやら彼女も一人旅で傍らの椅子には大小2つのバッグが置かれていた。会釈をして向いに座った。

 不自然な光景だった。テーブルの上には一玉のキャベツが載っていた。虫に食われた跡はなく、さっきまでスーパーの野菜売り場に並んでいたかのような裸のキャベツが、終点を前にした夜行列車の、荷造りを終えた乗客が集う、食堂車から役目を変えた待合室のテーブルの上に、所在なさげに載っていた。

 調理係が仕舞い忘れたのだろうか。そうも考えたが、彼女の持ち物なことは確かだろうと思った。ロシア人は長距離移動時にパンやカップ麺、缶詰、ティーバッグなど、乗車日数分の食材を持ち込む。食堂車に縁のない3等客ならなおさらで、トマトやキュウリをナイフで刻んだ簡易サラダを作ることも珍しくない。

 それにしても一玉のキャベツは多すぎる。アジアとヨーロッパを横断するシベリア鉄道ならともかく、モスクワ―サンクトペテルブルクは1泊2日の距離だ。旅の始まりはもっと遠方だったのだろうか。朝採りキャベツを持ち込んだものの数枚食べただけで余ってしまったのだろうか。荷物をまとめ直したらはみ出てしまったのか。テーブルの上のキャベツ越しに、窓の外を眺める女性を見ていた。

 長過ぎる視線に気づいた彼女がこちらを向いた。スカーフから出た前髪は耳にかかり、丸い輪郭は日に焼け、しわが刻まれていた。テーブルの上にはキャベツがあり、その不自然さゆえに、言葉を交わすはずのなかった2人を媒介した。

 彼女はキャベツの下に手を添えてこちらに寄せてきた。私はその仕草を譲渡と解釈し、ロシア語で否定の言葉を発して遠慮した。彼女は困惑の表情を浮かべて首を横に振り、同じ仕草を続けた。

 私の荷物にはキャベツを収める余裕はあった。そうはいってもどうすればいいのか。サンクトペテルブルクのホステルで自炊するにしてもこれだけの量を一人で食べ切るのは難しい。彼女が手放して、私が受け取らなければ、キャベツはこのままテーブルの上に置いていかれるだろう。別の乗客が気に留めて持ち帰るだろうか。誰にも気づかれなければ清掃係が廃棄するだろう。捨てられるのなら、食べられるだけ食べればいい。

 私はキャベツを指して、次に自分を指して、ロシア語で肯定の言葉を発した。
 彼女は「スパシーバ」と言って微笑み、窓の外に視線を戻した。
 私はソフトケースを開き、洗面用具やジーンズの隣りに裸のキャベツを収めた。
 不自然な光景だった。

トマトとキュウリ、ポテチを加えて何回かに分けておいしくいただきました


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