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「渡り鳥」 / 掌編小説


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「...よいしょ」

演奏会の合間に、私は客席からロビーに出てソファーに腰を下ろした。
それは一部と二部を繋ぐ小さな休憩時間だった。

私は自ら好んでクラシックの演奏会に足を向けるようなタイプではないのだが、この度はチケットを頂戴したのである。
この街出身の音楽家が指揮を執る、その凱旋公演のような演奏会のチケットが老人会から配布されたのであった。


ロビーには大振りの花器に華々しい数種類の切り花が生けられており、私が知っている花と言えば百合 ゆりくらいのものだったが、その百合の香りが辺りに放出されているように感じられた。
休憩中に小用を足しに出てきた観客たちが、ロビーに敷き詰められた絨毯 じゅうたんの上を音もたてずに蟻のように行き来していた。


壁際に並ぶ数々の公演予告のチラシ、温もりのある色調の照明、表の通りと劇場内を隔てるガラス張りの大扉。
恥ずかしながら私はこの劇場に初めて訪れたこともあり、尚更一つ一つが真新しいものに感じられたのだった。


「やぁ、岩城さん。あなたも来てたんだね」
私が物珍しく辺りに視線を動かしていると、手洗いから出てきたらしい町内の藤本さんが声を掛けてきた。
「おや、藤本さん。あなたも」
「せっかくのチケットだしね、年寄りは暇だから」
「同感だよ」
「家内も誘ったんだけどね、私は興味がありませんって。多分今頃ドラマでも見てるんじゃないかな」
「私だってこういうのには暗いし、よく分からないけど来てみた、そんなところだね」
「ま、たまにはこういうのもいいかもね。なんだか新しいことをしている気になるというかね」
「我々は古くなる一方だからね」


藤本さんは呵々 かかと笑い、その声は床の絨毯や木製の壁にまろやかなシャボン玉のように弾かれながら反響した。
「岩城さん、もうじき二部が始まるよ」
「そうか、私は手洗いが空くのを待ってたんだった。...よっこらしょ」
そう言って私は腰を上げ、藤本さんは片手を挙げて挨拶をして客席に戻っていった。



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手洗いから出ると、丁度ロビーに第二部の始まりを告げるブザー音が響いた。
客席に戻る途中で何故か私は足を止め、少々前に新調した合皮の黒い靴を眺めた。
可も不可もないようであり、またどこか無機質で情が感じられない面構 つらがまえだった。


例えば、映画や芝居の途中に席を離れたり劇場を後にするということは、私の中では御法度 ごはっとであった。
そう、ついさっきまでは。
私は無性に外の空気が吸いたくなり、そのままふらりとガラス張りの扉の外へ出てしまった。


(途中で退席するなんて...奏者たちに失礼じゃないだろうか?)


そう思ってみたが、私にはこの今迄の考え方にとって型破りな行いが新鮮に感じられ、少々悪さをしている学生のような気分になった。



例えば、今日は水曜日だ。
私は妻を亡くして以来、気を抜くと乱れがちな自らの健康管理の為、ルールを導入し食事バランスをとることを心がけていた。
そして水曜日である本日は魚を食べると私により決められた日であり、今まで私はそれを儀式のように、何の疑いも抱かず漫然と繰り返してきたのだった。

(今日、私は何が食べたい気分だろうか?)

そう自問した。
間をおいて頭に浮かんだのは、幼馴染みが現役で息子と営むラーメン屋「はなむら」のラーメンセットだった。


-水曜日は魚。


私はその決め事が急に窮屈に感じ、今日はこのまま花村の店に寄って帰ろうと決めた。


これで私は普段の決め事を二つ破ることとなったが、何だか胸の中に風が吹き込んだような、軽々とした心持ちになった。
そして私は、まるで夏休み初日の朝の子供のように頬が緩んでいた。




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花村の店に足を向けながら考える。
私は気付いていないだけで、自身を数々の決め事で縛ってるのかも知れないし、多分今まで無意識にそのように生きてきたのだと思う。
一体何時からだろうか?
人が純粋で居続ける事は至難の業のような気がしてくるものだが、本来はそうでもないのだろうなぁ、と遠い星に憧れの眼差しを向けるような心持ちになる。

中には「常識」の範疇からはみ出ない為の決め事や、また世間と似たような日々を送り、その皆が作る見えない輪から外に踏み出したり、後ろ指を指されたり、更には奇異の目で見られない為の決め事、そんなものも含まれているに違いなかった。

(私は...皆と同じような生き方をする為に生まれてきたのかな?)

そう自問したが、心は少しざわざわしただけで答えは得られなかった。


しかし私は思う。
違う、のだろうと。
皆が同じで良いならば、この世界にこんなにも沢山の人口は必要無いのではなかろうか?
同姓同名や双子というケースもあるが、基本的に皆名前や顔だって違っているし、好きな食べ物や趣味だって千差万別だ。
何だかそれが答えを体現しているように感じ、私はこれから自分の中のつまらない決め事を消していこうと思った。



ある時の、「はなむら」での出来事を思い出す。
カウンターでラーメンを食べていた二人組の男性客の一人が
「まぁキャビアやフォアグラの話を、こんなラーメン屋でしたってどうにもならんわな」
と言って笑い、その後花村に悪く思ったのか気まずそうな顔を見せた。
すると花村は
「お客さん、気にしないで下さいよ。他所の店は知りませんがね、腹が減ってラーメンが食べたい人がちょっと寄る、うちはそんな店ですから」
と、歯切れよく言い放った。


あの時、同級生がよい おとこに思えた。
男性客の抱く「こんなラーメン屋」という印象に反発するわけでもなく、また確かに大したことのない店だと卑下するわけでもなく、私は私のやり方でやっていると堂々と返したのだから。
私は私の生き方で、生きるという事。


少なくとも私は、水曜日に魚を食べる為に生まれてきたわけではないだろう。
演奏会を途中で退席し、普段の決め事を破りラーメンを食べる。
まずまずの滑り出しだなと思った。
ついでに、立ち上がる時によっこらしょと言うのもやめてしまおう。



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(なんだか新しいことをしている気になるというかね)


藤本さんの言葉が蘇る。
生まれたての頃は全てが新しい事ばかりで、習慣や決め事は与えられる迄存在しなかったであろう。
ならば残りの人生、意識して新しい事を体験していくのも有意義に思えるし、まずはこの凝り固まった頭をほぐす事が大切な気がする。

(おい、私は七十過ぎの手習いの気分だよ)

夜空の中にちらちらと見える、そんな名前の分からない星に向かって私は亡き妻に呟いた。


私たちはきっと、行き先を自由に決めることが出来る渡り鳥のような気がする。
渡り先までの道程や、時期や手段だって自由自在。
疲れたら休めば良いし、気乗りしなければ出立 しゅったつをずらしても構わない。
日々の決め事で小さく窮屈に羽を震わせていた私は、おおらかに羽を広げてみようと思う。


食べたいものを食べ、会いたい人に会う。

私が、私に。

それが叶う幸せを改めて感じてみたい。



その為に、私は今「はなむら」へ向かっているのだ。



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過去作品から一つ...|ωΦ )チラッ


年末と言えば大掃除だが、自分の中の「無意識☆決まり」も見直してみると...

「...=͟͟͞͞(๑º ロ º๑)」

というものに気付いたりして🤔😁