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noteで365日連続投稿しても、まだわからないこと

今日の朝、通勤の車の中で涙が流れた。

「今日投稿したら連続365日投稿だ。何を書こうか。」と意気込んで早く家を出た朝だった。
いつもよりゆっくり車を走らせて、職場近くのコンビニに寄った。

早く出たから、15分くらい記事の内容を考えられるかな、と思ってとりあえずコーヒーを買った。

車内に戻って一呼吸おいた。

「それにしても1年って、結構長かったな。」

そう思ってコーヒーを飲んだ。乾いた喉に心地いい。

別に変わったことをしたわけじゃない。このシチュエーションでコーヒーを飲んでたことなんて数限りなくあった。

でも、今日はちょっと違ったみたいだ。

「1年って長いなあ」、「色んな人と会った」、「最初の頃ってどんなだっけ」という思いの三重奏にやられたのだろうか。

気がついたら、わたしは泣いていた。

多分外から様子を見た人がいたら、心配されていたかもしれない。

心のなかで線香花火の先端がオレンジ色に丸まっていって、ぱっ、ぱっぱっぱっ、と火花が散っていくようだった。

そのうちに火花は止まらなくなって、これまで書いた文章や、温かく声をかけてくれた人々の顔がどんどん胸の中から溢れてきた。熱くて、きれいだ。

さて、このあとわたしは15分間泣きに泣いて仕事に遅刻しそうになるのだが、まあそれは放っておこう。

せっかくだからこの1年で変わったこと、起こったこと、嬉しかったこと、最後にこれからのことについて書いてみようと思う。

わたしの涙が「これからnoteを書く人、続けるか迷っている人の背中を押せ」と言っている気がするから、今日は明るいことしか書かない。

そう決めた。

○この1年で変わったこと

主に変わったことは2つある。

①なにかを書く時に必要以上にためらわなくなった
②身体が自然と書く内容を探すようになった

①について書こう。書き始めた当初は、書く前に半日くらい変なためらいがあった。

「これを書いたら変なふうに思われないだろうか。」
「こんなことを書いてしまうなんて、自分はどうかしてるのではないか。」

こんな風に思ってまず書けない事が非常に多かった。
連日連夜23:55まで「書けない!」とパニクって妻を困らせていた。

このためらいは書き続けるにしたがって明らかになくなっていった。

ハッキリ言うと、自分が思うほど自分の…いわゆる変態度は濃くなかったのだ。

(noteはもっと変なやつがたくさんいた、って言ったほうがわかりやすいですか?そうですか。じゃあ、そんな感じです!)

自意識過剰なんて大した問題じゃないことが、書き続けるとわかるんだこれが。早くその檻から出て風を感じよう。たまに冷たい風もあるけど。

②について書こう。書き始めた当初は、書く時に同時に情報収集をしたり自分の中の表現したいものをリストアップしたりしていた。

これは非常に効率が悪いし、あと即席のネタは大抵味が軽い。寿司にも熟成鮨なんてものがあるように、書くネタにも熟成が必要だ。大学の時読んだ『思考の整理学』にもそう書いてあった。

まずはとにかくスマホにメモ。慣れたらノートにメモ。モレスキンが好きだ。ツイッターに断片的にネタを書いておいて、家に帰ってからつなぎ合わせるのも結構おすすめだ。

やっていると3ヶ月位で何にも気にしなくてもネタが溜まっていく。
たまに発酵ではなく腐敗気味になるが、そんなことは気にするな。

『思考の整理学』って大学入学と同時に読んだんだけれどなあ…。その熟成の重要性に気がつくのに10年かかった。わたし自身もちょっとは熟成しただろうか。ハッ、枕から加齢臭が。

○この1年で起こったこと

書いているからこその、数え切れないくらいの印象的な体験があった。

雑誌で知った東京の飲食店に通って店主に話を聞いてそれを書いたり、日本酒イベントのレポートをしたり、少々専門的な内容について記事を書いたりした。頼まれたわけじゃなく、ほぼ勝手に書いたのだけれど。

これは昨年災害にあった広島の酒蔵を応援する会のレポート。よかったら見てみてね。

書くには自分の理解プラスαの翻訳力が必要だ。必然的に本や文献なんかを読むことになる。そのお陰で、のんべんだらりと文字を追う読書でない体験ができた。大学の時もっとこういうのをやりたかった。

いや、そんな風に言うな。

たとえ大学やその他の研究機関に行かなくても、またはそこを卒業したあとでも自分で本を読んで体験してnoteに書いて発信することで、似たような経験か、それ以上に楽しい経験ができるのである。

基本無料だ。とんでもないことだ。noteはもっと金をとったほうがいい。嘘だ。無料でやって下さい。

あと、絶対誰にも興味を持ってもらえないだろうと思って好き勝手やっていた「酒の詩」が、なんと先日ウェブメディアに載った。

なんと英語版もある。

今思い返してもこれに関して声を掛けてもらったのは奇跡だと思っている。

でも、これが重要だが

続けなかったら、この機会は多分なかった

のである。

○この1年で嬉しかったこと

これに関しては、ひとつだけだ。

自分が気持ちを伝えたい相手に、自分なりのやり方で伝えることができるようになったこと。コレだ。

生きていると、「どう考えても自分ひとりでは体験できなかったこと」とか「乗り越えようがなかったこと」が起こる。

もしわたしがビル・ゲイツだったなら、あるいはジェフ・ベゾスだったならその体験の機会をくれた人、助けてくれた人に未来永劫お金を贈り続けるシステムを10個くらいつくったと思う。

だが現実のわたしは孫正義にもなれない。髪型だけなら5年後を目処に似せられると思う。しかも無料で。すごくね?

という冗談が本題になりかけたところで戻すが、そういうかけがえのない人に自分の言葉を贈れるっていうのは結構大事なことだと思う。

これから先、自分の子どもに言葉を掛けることもあるだろう。
多分、ありがとうに加えて、もう一言くらい添えられるようにはなったと思う。

「おとうさん、お金のほうが欲しい。」とかいうクソガキにならないようにちょっと厳しく育てようと目下方針を立てているところである。おいこら息子よ、横からエンターキーを連打するんじゃ







ない!

○これからのことについて

さて、色々無駄話もしたけれど、とにかく重要なのはコレだ。

わたしはこれからも、noteで書き続ける。その必要性がなくなるまで毎日書き続ける。

なぜ書くか?それは簡単だ。

上記のような素敵な体験と、あと今手先と脳髄で感じているこの楽しさがどこに向かうのか、それが365日投稿してもまだ全然わからないからだ。それを知りたいからだ。

書く。書くんだ。とにかく書く。

そのために読む。とにかく読むんだ。

あと、次の1年は積極的に他のnoteユーザーの皆さんの声をひろいたいと思っている。

この1年幾度となく温かい言葉をくれたnoteの人々に助けられた。スペシャルサンクスを記したいが、これを読んでる本人は言わずとも分かっているはずだから、個人名は書かない。

関心を持たれず、ただ消えていくはずだった酒詩も、その小さな産声を聞いてくれる人がいた。

わたしもただ喋りに書きに興じるだけじゃなくて、小さな、でも美しい声を感じ取りたいと心から思うのだ。他の皆さんのように。



ほら、15分泣いてた男は顔を上げて職場へ向かっていく。ヤダ、目が真っ赤だわ。恥ずかしい恥ずかしい…。

一度火のついた線香花火はいつか消えるから、また新しいものを持ってきて火を付けるしかない。

火をつけようとするやつがいる限り、いつだって美しい火花は舞い散り始めるのだ。いつも、ここで、あそこで、地球の裏側でも。

もちろん、あなたの手元でもだ。

さあ、書こうぜ。



酒詩を作るきっかけになった新政酒造の酒で、今日はひっそりとこの日を祝おうと思う。

この1年わたしと関わってくださったすべての方に、乾杯。

心から、ありがとうございました。

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