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男性高齢者の充実度・幸福度が低いという話

今日はものすごく理屈っぽい話を言います。読んでいて、邪魔くさいヤツだな~と思ったら、スルーしてくださいね。

男性高齢者の充実度・幸福度が低いという問題。

いろんなことが書いてあるけど、そもそも、高齢者に限らず、男性は女性に比べて幸福度を感じにくい生きものではないか、と私は考えます。

この類に関していろんなアンケートを見ますが、まず最初に、充実度と幸福度はそもそも同じではないと思います。充実していれば幸福とは限らない、ということです。

極論かもしれませんが、仕事や夢に向かって追い求めている時、とても充実感を感じます。しかしそれで幸せを感じることはなく、幸せという感覚に向かっていつまでも突き進んでいる、それが充実感だと思うのが私の考えです。

だから幸福感というのは、なかなか手に入りにくいもので、すでに手に入っていたとしても、それでもまだ幸福感を感じないのが男性かな、そう思うのです。

一方、女性は甘いものを食べても「幸せ~!」と、よく言います。だから幸福感を感じやすいのではないでしょうか。

男性が女性にプロポーズする時に「幸せにするから」とか「幸せになろう」などと、よく言います。男性にとって、その時点ではまだ幸せではなく、幸せに向かっていこうとする決意の表れの言葉ですよね。

一方、プロポーズをされた側の女性の気持ちは、その時すでに幸福感に溢れているのではないでしょうか。

冒頭の「高齢男性が・・・」という話ですが、高齢に限らず男性が幸福感を感じにくい生きものであって、女性は幸福感を感じやすい生きものなんだと私は思うんです。

充実度に関して言うと、男性は趣味に没頭している時はとても充実しています。例えば、バイク好きの人であれば、休みの日にバイクいじって、排気音聞いて走らせているだけで、とても大きな充実感を得るものです。釣りの好きな人だってそうでしょう。釣り竿の手入れをしている時からすでに充実感に包まれていて、釣りに行って満足感がいっぱいになります。妻からすれば「休みになったらすぐ釣り行ってしまって~」と、嘆くかもしれませんが、それが男性のロマンなんです。

そう、男性はロマンを追い求めている時が一番充実感に溢れるのです。「ロマンの話をしても女性には解るまい」と言った人もいるくらい、女性には理解しがたい話なわけです。

こうやって考えると、そもそも男性と女性に感じ方の違いがありますよね。だから、一口に、充実感と幸福感というものをアンケートのような数字に置き換えることは無駄は行為だと思います。

ただ、高齢男性の方が、仕事を引退した後、喪失感や空虚感に包まれ、何もやる気がなくなってしまうことがあります。それは充実した「仕事という世界」を失ったことによるものであって、その年齢から新たな充実したものを探すことの難しさを意味していると思います。

ボランティアに参加する、地域活動に参加する、などの第二の人生の生き方と、よく言われますが、年取ってからそんな団体に顔出しても難しいですよ。企業のような集まりではなく、意味のない無駄と思えるようなことに時間割いてダラダラやってると感じてしまうのがオチです。

私は自治会長を12年務めましたから分かります。自治会は若い人が多かったため、うまくまとめることができました。しかし自治会が入っている自治連合会(おおむね学校区で区切られ、当時は約15の自治会が所属)は高齢者の集まりで、それはそれは大変でした。「地域を変えたい」と言いながら「例年通り」ですべて流れていきますから、変わるはずがありません。長老がいて、すべて長老の一声で決まります。

定年退職した後、地域の何らかの団体に関わったとしたら、その時は「新人」です。部長などの役職を経た人が、そんな年から新人としてやっていけるわけがありません。どんな人にもプライドがありますよ。そういう意味では、高齢男性の定年後の社会参加というのは、本当に難しいものです。それはしょうがない話なんです。名刺も肩書きもなく、未経験の新人として入って行ける度量の持ち主はきっと少ないことでしょう。

「男性高齢者の充実度・幸福度が低いという問題」について私の考えを書いてみましたが、正直言うとそこに書いてあることは何も間違ってはいません。高齢男性に限らず、男性とは若い時からそういうものなので、何も高齢になってから充実度や幸福度が低くなるわけではありません。最初からです。それを理解した上で、施策をお考えいただきたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。

サポートしたいと思われるくらいまで頑張って書きますので、今はシェアかコメントをいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。