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100歳になられた直木賞作家の佐藤愛子さんのお話は、中高年の私たちにとって指針となりそうです。

どうでも良いことに執着したり、こだわるのが人間だと思います。佐藤さんは執着心も損得勘定も持たないそうです。佐藤さんは、すでに人間ではないのでしょうか?(笑)

死に方を自分で選ぼうなんていうのは贅沢ですよ。戦争で散った若い人たちのことを思うと、自分がこんな死に方をしたいと考えることすら申し訳ない気がします。

この発想は、戦争を知っているからこその発言ですよね。今の平和があるのは、生きたくても生きられなかった人たちがいるからです。無駄な死なんて一切ないんだという気持ちがあるからこそでしょう。

生きている間に喜怒哀楽の感情は整理しておきたいと思っています。悲しかったりつらかったりするのは嫌ですから。それにはもう少し修業が必要かもしれませんけどね。

これはなかなか難しいことを言われますよね。簡単な言い方をすれば、ストレスのない生活をするということになるような気がします。そのためには、何かを捨てなければならないでしょう。佐藤さんの場合は、執着心がないのですからできそうですが、私はさらなる修業が必要になることでしょう。

――死ぬのは怖くはないですか。

怖いものですか。死ぬってこの世からいなくなることでしょ。すっきりして気持ちいいじゃない。

なんとあっさりした答えでしょう! これだけスパッと答えられると、気持ちいいですね。

未練は一切なさそうです。やり残したこともきっとないんでしょうね。

こういう記事を見た時「佐藤さんだから、そんなことが言えるのよ」なんて言う人が必ずいます。でも、そうでしょうか?

有名人や著名人でなくても、同じ考え方で生きている人はいるはずです。一人ひとりやってきたことはみんな違います。それぞれに正解も間違いもなく、「どう生きたか」ということだけです。

今回の佐藤さんのインタビューを読んで思いました。

胸を張って生き抜いたと言い切れる人生を送りたいと思います。


社会に流されたのではなく、人任せに生きたのでもなく、自分で決めて生きたと言い切れる人生にしたいと考えます。


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