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だから、編集が好きだ

書き手として活動してからもう4年の月日が経つ。自分が書いた文章に、初めて報酬が支払われたときの感動はいまでも鮮明に覚えている。失敗ばかりの4年間。それでも自分なりにああでもないこうでもないと言いながら毎日文章と向き合ってきたつもりだ。

文章がもっとうまくなりたい。

これは文章を書いている人なら一度は思ったことがあるはずだ。スキルアップを図るための方法は、たくさんの文章を読み書きすることである。世間では量と質の問題がさまざまなところで取り上げられているけれど、最初から質を求められる人は限りなく少ないような気がする。

量をこなし、反省材料をたくさん作っておく。その次に、いろんな人の書いた文章のいいところを自分の文章の要素として取り入れてみる。僕はずっとこうやってきた。誰かが書いた文章を読んだところで、読み手の真の思いは汲み取れない。それではどうしようと考えた結果、書き手と文章を一緒に作る編集者として文章に触れる選択を選んだ。

編集者として書き手とやりとりをするようになって、書き手によって文章の色は変わる。書いた文章に対する捉え方が、それぞれにちがうことを改めて知った。書き手とのコミュニケーションもさまざまである。褒めてほしいと思う人がいれば、的確なフィードバックだけが欲しい人がいる。そのため書き手によってどんな言葉が刺さるかを考えながら言葉を伝えるを意識しているけれど、ちゃんとできているかどうかは定かではない。

そんなある日、文章の編集に携わっているライターさんからメッセージが来た。

「サトウさんに編集していただいた文章がSNSでたくさん読まれています」

素直にうれしい気持ちが芽生えたけれど、たくさんの人から賞賛を浴びた文章を書いたのは紛れもなく、書き手である。自分の手柄ではない。でも、たくさんの人に読まれる文章を一緒に作ったあの時間は紛れもなく宝物だ。

僕はライターさんが書いた文章を一緒に良くするために試行錯誤するあの時間が好きだ。うまくいったときは読者だけでなく、ライターさんの喜ぶ顔を見ることができる。これが編集の楽しさかと、まんまとのめり込んでいった。

編集者として働き始めて。もうすぐ2年の月日が経つ。たくさんの文章を編集しているうちに、「もしかしたら文章を書くよりも、編集の方が向いているのでは?」と思うようになった。知り合いの編集者の方にも同じような言葉をもらう機会が増えたため、おそらくこの感覚は正しいのだろう。

編集の仕事の良さは、書き手と一緒にいいものを作れることだ。いい文章は虫の目と鳥の目によって作られる。虫の目が書き手で、鳥の目が編集者だ。書き手だけでは視点が浅くなり、編集者だけでは視点が広すぎる。両輪のバランスをうまく取るために、書き手と編集者が存在するのだ。どちらかが欠けてしまうと、いいものを作れる可能性はぐんと低くなる。もちろん鳥の目と虫の目を持つ書き手は存在するし、いいものを作ったのは紛れもなく書き手だ。それだけは絶対に忘れてはならない。

文章がうまくなりたいと思って、編集者になったのに、いつのまにか編集の仕事が好きになっていた。もちろん文章を書く行為も好きである。どちらが好きかなんて決められない。だから、文章を書きながら、書き手の文章を編集する生活をこれからも続けていきたい。

この世界は弱肉強食である。

「やりたい」で生き残れるほど世の中は甘くない。過酷なサバイバルを生き残るためには、結果を残す必要がある。あまりこの言葉は好きじゃないけれど世の中は結果がすべて。弱肉強食の世界には慈悲はない。ちゃんと生き残るために、文章の世界に必死に食らいついて、結果を残していく。そして、まだ見ぬ景色を書き手と一緒に見る瞬間を増やしていきたい。

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