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単純で、複雑な、白。

 色の中では白が好き。

 白は単純かつ複雑で美しいと思う。
 でも、この単純かつ複雑という矛盾を私が簡単に受け入れてしまえるのは何故だろう。白が単純というのは直感的に理解できるかもしれないけれど、どうして白を複雑と思えるのだろう。白い絵の具だけで書かれた絵画を知っているから?それとも勝手に白い宮殿でも連想しているからだろうか?

 白の反対は、たぶん黒。大抵そうだと思う。だとすると、白と黒という二項対立は色々なものに憑りつかれていると私は思うのだ。

 白と黒、それはよく昼と夜、生と死なんかに宛がわれたりする。

 白という色は何を描き込んでも良いキャンバスに見えるせいで、意味を背負い過ぎているのかもしれない。しかも、動物にとって重大な生死の意を孕まされている。白は生を担ってしまっている。昼と夜にしても、それらを司る太陽というものは意味として背負うには余りにも手に余る。白は光でもあるのだ。

 だとすると、白が複雑なのは意味を背負い過ぎているから、と言えるかもしれない。しかもその意味が両極端なものの片方でありがちだ。こんなにも重い物を担い続けたら、それはもう意味でぐちゃぐちゃの白だろう。けれど視覚的にはいつもの白で、私たちが見逃す白だ。

 今となっては寧ろ、最初の直感だった「白は単純」ということの方が怪しいような気もしてくる。それに、白は元々「何もない」ことを示しているわけではない。白はある。常識が本質に擬態しているだけなのだ。

 と言うか多分、私たちは哀しいほどに、白紙に慣れ過ぎている。

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