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すてきな生命体として

先日、結婚記念日を迎えた。

十二月十五日。妻の大好きな母の誕生日にわたしたちは籍を入れた。亡くなった母を毎年お祝いできるように。毎年、わたしたちはそれとない対話の余白に母の面影を感じながら過ごした。

昨年は、妻の父と一緒にカラオケのあるラウンジに行った。父もまた妻の想いと同じように奥さんを大切にした人なので、伴侶を亡くした大きな穴は別の何かで埋めることはできなかった。

ラウンジの扉をひらくと、目の前にはグランドピアノがあり、その上にはクリスマス用のオブジェが置かれていた。電気を入れるとレンガ造りの家から粉雪が舞い、庭にはトナカイのソリがある少々大がかりな置物。

「あ、これ」

それを見た妻がつぶやいた。実家の玄関に飾られていたものと同じだそうだ。この季節になると、母がクローゼットから出してきて玄関に飾る。どうやら、父がこの店にプレゼントしたらしい。「一人で家にいると使わない」と言うが、玄関に飾っていると母のことを思い出していたたまれない気持ちになるからだろう。舞い散る粉雪が光を浴びて乱反射し、世界の一切の悲しみを手放して、それぞれを祝福しているような気がした。

父と妻にも歴史がある。情け深く、強い意志を持った二人の姿は、わたしの目からは同じ人間に見えることは少なくなかった。だからこそ、衝突することもあれば、ゆるせないこともあるのだろう。ことばにしたことで相手を傷つけたこともあるし、ことばにしなかったことで誤解を生んだこともある。「母」という二人が愛した女性の周りで繰り広げられたドラマは、半世紀に及ぶ。ただ、わたしから見れば二人のそれは互いの愛が少し異なる姿を変えているだけのように見える。

母を亡くした二人は、不器用ではありながら少しずつ距離を近づけていった。母が亡くなる数日前、妻は病室で母から「パパと仲良くしてね、いい人だから」と言われたという。ひたむきに母との約束を守る妻を見ながら、わたしたちのあずかり知らないところで、父は母と何かしらの約束を結んでいたのではないだろうかと気を巡らせる。

お酒を飲みながら(わたしは下戸なのでお茶だけれど)、会話を楽しむ。一人、そしてまた一人と歌をうたう。とあるデュエット曲が流れ、父にマイクが渡された。父は照れながらも歌いはじめる。誠実に仕事をして、強く家族を守り続けてきた男の声だった。そして、もう一本のマイクが妻に渡された。

二人は並んで、歌をうたった。遠くて、近い、二人の距離。近くて、遠い、二人の声がラウンジを満たしてゆく。わたしはその光景を眺めながら、至福の只中にいた。ピアノの上のオブジェのように、二人の間で蓄積されたものが粉雪となり、巡り、巡る。やはり、そこには母の面影があった。亡き母の存在が、二人の歌声の出会いを現実にしたのだ。

店を後にする前、最後に父は石原裕次郎の曲をリクエストした。父は立ち上がり、グランドピアノの前に行った。右手にマイクを持ち、左手はポケットに入れる。そのシャイな仕草がわたしは好きだ。武骨でいて、色気のある声で、ことばの一つひとつを大事にしながら歌う。サビが来て、父はピアノの上のオブジェに語りかけるように歌った。舞い上がる粉雪に、光が差し込む。どこまでも祝祭的なそのオブジェは、悲しみを手放したのではなく、そのすべてを請け負ってくれていたのかもしれない。父は、裕次郎の歌で母に語りかけ、二人が過ごしてきた記憶の只中にいた。

おそらく、母へ送るバースデーソングだったのだろう。愛の歌であり、誕生を祝う音楽。わたしにはそう響いた。

今年は、妻と二人で食事をした。

彼女と出会えて本当によかった。彼女の感受性を通して、“わたし”という存在が育まれた。彼女がいなければ、まったく別の人間であっただろうと思う。それは、「いい人間、わるい人間」ということではなく、まったく別の人間だったに違いないということ。今の自分を好きでいられることは、彼女のおかげに他ならない。

運ばれてきた料理を楽しそうに写真を撮る妻。ビールをぷはっと気持ちよさそうに飲んで、赤ワインを味わいながら飲む妻。上手に肉を切れない妻。ずっと一緒にいても、これほどまでに飽きない人はいない。

彼女が喜んでくれているときが、わたしの一番のしあわせだ。いつも一緒にいてくれてありがとう。かけがえのない感情を芽生えさせてくれてありがとう。すてきな女性として、いや、すてきな妻として、いいや、すてきな生命体として。こんな風に書くとおかしくなるけれど、わたしは本気でそう思っている。ありがとう。

この想いをこれからも二人で一緒に育ててゆきたい。


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