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【騙されない思考論】ガイダンス


人間は騙される


人間は簡単に騙されます。騙されない日は無いと言っていいでしょう。常に騙されているし、これまで騙されてきたし、これからも騙されていくでしょう。騙されること、それは未来永劫変わることのない、人間の基本的な性質といえます。
 印象に騙されるし、現在の状況に騙されるし、人間関係に騙されるし、確率に騙される―――。騙されるのが普通であって、何もおかしいことではありません。

印象に騙される


 ある液体には明確に毒性があり、少量を直接摂取しただけでも影響がある。生体に蓄積しないが少量であっても継続的な摂取で健康被害が生じることが知られている。水に簡単に溶け、摂取すると運動機能に支障をきたし、摂取者を感情的にさせる効果によりしばしば暴力事件の原因となる。海外だけでなく、日本でもこの物質が広く流通している。この物質を他人に摂取させることで前後不覚とし、犯罪行為に及ぶ事例も後を絶たない。なぜなら摂取量によっては卒倒、そのまま死亡することもあるからだ。
 この液体は、あなたもよく知るある液体のことを記述しています。しかしその正体を知らなければ、きっと非常に毒性の強い危険物であるという印象を持つでしょう(その印象こそが事実である、というのも面白いポイントではありますが、ひとまず置いておきましょう)。人は情報をそのまま受け入れるということはできず、しばしば情報をひとまとめにして集約してしまいます。この場合は「危険な毒物」という情報に集約することで、メモリを節約し思考を単純化することができます。
 しかしそれこそが、まさしく騙される原因となります。この印象操作を悪意あるものが行えばどうなるか、想像することは簡単です。

環境に騙される


 寒いときは寒い時のことを、暑いときは暑いときのことを思い出す。・・・それだけならばよいのですが、それ以上のことを人間はしてしまいます。自分自身の「現在の環境」により、「過去」が騙される、そんな事例。
 悲しいシーンも楽しいシーンもある、とある映画を多数の人に見てもらいます。そして二つのグループに分け、片方のグループには冷房の効きすぎた部屋でアイスコーヒーを、もう一方には適度に暖かい部屋でホットコーヒーを飲んでもらいます。そしてその直後、たった今見終わった映画について、どんな印象を持ったか質問します。結果、アイスコーヒーを飲んだグループは、ホットコーヒーを飲んだグループに比べ、悲しいシーンをよく思い出し、映画全体の印象でもより悲しい印象を持っていました。
 映画の内容はどちらのグループも同じ。そしてコーヒーによる体温の操作をしたのは映画の「あと」。にもかかわらず、思い出すときの体温、その程度のことで引き出される記憶が変わり、結果、抱く印象そのものも変わってしまうのです。そして一度整理され口に出してしまった印象(記憶)は、そう簡単には変わりません。少し想像を広げてみれば、私たちが普段抱いている物事の印象が、どれほどたくさんの物事の影響を受けた結果の集積であるか、想像するのは容易でしょう。

自分に騙される


 認知的不協和という有名な心理学用語があります。人は矛盾を孕む情報を保持しておけず、関係を整理したがる傾向にあります。
 あるつまらない映画を見た観客に、アルバイトをお願いします(つまらない映画であることが重要です)。一方のグループには、20ドルよい感想のアンケートを書いて欲しいとお願いします。もう一方のグループには、2ドルで同じお願いをします。当然、両グループの協力者は、よい感想のアンケートを提出します。そして次に、「本当のあなたの感想はどうでしたか」と尋ねます。つまり、バイトで要求したよい感想ではなく、本音を聞かせてくれとお願いするわけです。結果として「本音の」映画の評価は、なんと20ドルグループよりも2ドルグループのほうがよかったのです。(咄嗟に「え、逆では」と思った方は優秀です)。
 これは、誰もが「自分は合理的で間違っていない判断をする人間である」と思っているから起きる現象だとされています。詳しくは今後の講義で取り上げますが、この実験結果には、ヒトは自分自分の判断や発言、ある一時の思考にすら騙されてしまうという、人間の物事の捉え方に関する性質が色濃く表れています。

確率に騙される


 モンティホール問題をご存知でしょうか。非常に有名ですが、ご存知でない方はぜひとも調べてみてください。このような単純な問題にすら正確に回答できないことが、人間の確率に関する直感がいかにデタラメであるかを示しています。ちなみに高名な数学者や大学教授でさえ間違えるので、頭のよさとは必ずしも関係がないようです。
 これだけではありません。当初世界を賑わせた新型コロナウイルスやそのワクチンに関するデマ情報にも、確率問題の誤謬がそこかしこに見受けられました。人がいかに確率に弱く、確率に関していかに騙されやすいかが自明のこととなりました。面白いほど簡単に、人間は確率問題に騙されてしまいます。

騙されるのが普通


 騙されるとはどういうことでしょうか。辞書によると、「本物であると偽って偽物を買わされ、つかまされること」。これはモノだけでなく、情報にも言えることです。すなわち、誤った情報をつかまされること。
 ところで、誤った情報とはさほど珍しいものではありません。この世界で起きている、存在している物事を、私たちは認識しています。しかし、それは必ずしも正しくはありません。推定し、類別し、言ってしまえば適当に捉えているのです(そうでなければ、人間の脳など簡単にパンクしてしまうでしょう)。だから、正解(実世界)と認識(実世界に対する人間のイメージ)は必ずズレます
 そして、ズレを加速させることを「騙す」と呼ぶならば、上述したようにいくらでも騙しようは存在します。毎日のように私たちは騙されていることになります。

 だから、騙されるのが普通です。

 だからといって、騙されたくはありません。私たちが認識する世界と、実際の世界のずれは、小さいほうがよいに決まっていますし、悪意ある他者、偶然、難しい確率問題、いずれにも騙されないほうがよいでしょう。できることならズレを最小限にしたい。特にデータを扱うお仕事をされている方や、物事の印象についての文章を書く方、広く正確な情報を求める方管理職の方などは、このズレがどれほど大きな問題を生じうるのか、直感的に理解されているハズです。
 

騙されないために


これは騙そうとしているデータだ、と気づけるようになります。


 だから、騙されないための講義をします。データと人の心を疑う練習をしましょう。
 落ち込んだ成績を回復させる本社からの出向社員は、本当に仕事をしているのか?
 自分自身の過去の判断は、合理的に行われていたと言い切れるのか?
 その主張は、適切な統制群との比較をしても正しいものなのか?
 その人物に抱いている印象は、ゆがめられていないか?

 旧帝大で心理学・認知神経科学(いわゆる脳科学)を修め、統計学についての知見も豊富であり、現在会社経営を行う人材管理職でもある私が、騙されずにモノを考える姿勢が身につくようになる「騙されない思考論」の系統講義を開講いたします。


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