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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・マイ・ファミリー

実家の納屋を片付けていたら、箱に入った大量のCDが出てきた。「懐かしいわね」と母が言う。このCDの山は父が若い頃やっていたバンドのCDらしい。父がバンドをやっていたことすら知らなかった私はとても驚いた。

学生時代の仲間と組んだバンドで、父はベースを弾いていたらしい。大学の講義もそっちのけでスタジオに篭もり、毎週のように色んなライブハウスで演奏した。大学卒業を機にメンバーが抜け、それでも父はバンドを続けて、界隈ではそこそこ名を知られるくらいにはなっていたと母は言う。それでも30になる前に夢は諦めて就職し、現在に至る……というわけだ。父は住宅メーカーで営業をしている。

翌日、今度はスポーツ新聞の切り抜きが出てきた。「こんなところにあったのか」と父が言う。この新聞は母が学生時代にやり投げでアジア大会に出た時の記事らしい。母がやり投げの選手だったことすら知らなかった私はとても驚いた。

中学から始めた陸上競技、高校までは跳躍の選手だったのだが、大学に入ってやり投げに転向してからめきめきと頭角を現すようになったらしい。大学2年で全国大会で2位。アジア大会出場の切符を手にした。惜しくもメダルには届かなかったがアジア4位という好成績を残し、オリンピックの代表候補にも入ろうとしていた矢先、怪我で引退してしまったのだと父は言う。指導者としてのオファーもあったそうだが母はそれを断り、建築会社に就職し、なんやかんやで父と出会って結婚、主婦業を経て、今はお弁当屋さんでパートをしている。

納屋の片付けの手伝いを終えて、私は撮影所の仕事に戻った。慌ただしくも充実した日々。何かの折で先輩から、「この業界にいるならピンク映画は観ておいた方がいいぞ」と言われたことがあるのをふと思い出した。入会していた配信サブスクで検索して、名作とされる古いピンク映画を観る。出てきた男優さんを見て私は驚いた。それは見間違いではなく、若かりし頃の私の祖父だったのだ。

「じいちゃんも昔、ちょっとだけ映画の仕事をしていたことがあるんだよ」とは聞いたことがあった。しかしまさか俳優で、しかもこんな作品に出ていただなんて思いもしなかった。調べてみると祖父は、市川摩羅蔵(いちかわまらぞう)という芸名のポルノ男優だったようだ。ピンク映画にいくつか出演し、その後はアダルトビデオの黎明期にも男優として様々な作品に出演していたようだ。おっかなびっくりアダルトサイトを検索してみると、『懐かしのAV』みたいなタイトルの動画で、女優さんと絡んでいるじいちゃんを見つけることが出来た。

私は不思議と、素直に感動していた。じいちゃんが亡くなってもう10年近くになる。まさかこんな形で、元気だった頃の(文字通り『元気』だった頃のだ)じいちゃんの姿が見られるだなんて思ってもみなかった。曲がりなりにも私も映像業界の人間だ。画面の中のじいちゃんはきちんとプロフェッショナルの仕事をしていた。私はそれをかっこいいと思った。ベースを弾く父も、やりを投擲する母も、こんな風に見られたらよかったのにと思った。人に歴史ありとはよく言うものだが、よく知っているはずの家族でさえ思いもよらない過去があるものなのだ。今度実家に戻ったら、父から祖父の話をじっくり聞いてみることにしよう。

早くに亡くなった祖母が私でさえ名前は知っているポルノ女優、ストリッパーの大空まり子で、更に母方の祖父母が元探検家で、こないだ行った国立博物館の古代メキシコ展の展示物のいくつかは祖父母が発見したものだったことを知るのはまだもう少し先のこと。本当に人に歴史あり、である。

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