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【夢日記】<中①>鳴かず飛ばず

※「上①」

※「上②」


「上①」と「上②」で触れたように、高校時代、「イジリ」なのか「イジメ」なのか境界線が分かりづらい「からかい」を受けていた僕は、とにかく、”舐められたくない!”、の一心で、自分を変えることを決意した。

とはいえ、具体的に、どうすれば自分を変えることが出来るのか、という手段や方法論も分からなければ、そもそも、自分はどんな風に変わりたいのか、というビジョンすらも全く描くことが出来なかった。

それでも、”自分を変えたい!”、という思いを捨て切れなかった僕は、インターネットを駆使して、情報をかき集めて、どこかにヒントが転がっていないか、手当たり次第に探し回った。

「自分はこんなやり方で人生を変えることが出来た」と謳っている自称(?)インフルエンサーの講演会にも積極的に出向いたし、「自分を変えたいと思っているアナタをサポートします!」と謳っている自称(?)コンサルタントのセミナーにも積極的に出向いた。

そうして、「暗中模索」とも言える日々を過ごしていく中で、遂に、”この人とタッグを組めば自分を本当に変えることが出来るかもしれない!”、と思える人と出会うことが出来た。

その人は「知識技能を身に付けて『〇〇のプロ』を一緒に目指しましょう!」をコンセプトにして、”自分を変えたい”、という、漠然としていながらも、活力にみなぎっている人をサポートすることに、生き甲斐を見出している方だった。

「その人」は、僕が現実世界で知っている人ではなさそうだったが、有名人で例えれば、中川家の礼二が、一番近いような気がする。そのため、ココからは「その人」のことを「礼二さん」と呼ぶことにする。

注釈

まさに、僕にとって、うってつけの存在だと思えた。「具体的にどうしたいの?」と言われると答えに窮してしまうけれども、でもだからと言って、一過性で、”変えられたら良いよね~”、で終わるのではなく、”絶対に変えてみせるんだ!”、というエネルギーに満ち溢れている、その自信だけはあったから。

けれども、僕の身の回りの人は、「早く現実を見た方が良い」と冷ややかな笑みを浮かべられたり、「まぁまぁそう言うなよ。若気の至りってやつさ。俺も若い時は・・・」と、頼んでもいない昔話を語るための踏み台にされるだけだった。

だけど、礼二さんは、そんな僕に対して、

「何かを始めるのに『早い』とか『遅い』というのは本来存在しないんだ!みんな『きっと自分には出来ない』とか『今から始めたって遅過ぎる』と決め付けて、勝手に諦めてしまっているだけなんだ!」

と、励ましの言葉を掛けてくれて、僕の、”自分を変える!”、という熱意を、更に強めるような後押しをしてくれた

礼二さんの言葉の熱量は、言うまでもなく、ビンビンと、僕の心に伝わって来たし、何より、混じり気のない表情が、説得力を、これ以上ないぐらいに、増幅してくれたものだ。

僕は、その勢いのまま、礼二さんに、訴えかけた。

「『変えたい!』とは思っているけれども『変え方』を知らないんです。手掛かりすら掴めていないんです。そんな僕にも『変わることが出来る方法』って、あるんでしょうか!?」

「何でも良い・・・、と言うと、語弊があるかもしれないけれども、とにかく、『〇〇のプロ』と呼ばれるぐらい、何か一つのことを極めてみたい!『〇〇はこの人が一番だよね!』と言われるような人物になりたい!『代替可能な存在』ではなくって、『代替不可能な存在』に僕はなりたいんだ!」

礼二さんは、僕の、ほとばしるエネルギーを、真正面から受け止めてくれた。そして、誰よりも真剣に、僕のことを考えて、相談に乗ってくれた。そして、誰よりも丁寧に、僕の「為すこと」と「成ること」を、具体的に教えてくれた。

筆者は、中学校の卒業文集の「好きな言葉」の欄に、上杉鷹山の「為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の、為さぬなりけり」という名言を書き記したことがある。

なぜそんなことを覚えているのかというと、当時、僕の母親が「『なせばなる』って、漢字で書くとそうなるんだ!」と、驚きの表情を浮かべていた莉、僕の父親が「『為せば成る、為さねば成らぬ、何事も』で終わりかと思ってた~」と、学びになった表情を浮かべていたのを、今もハッキリと記憶しているからだ。

じゃあ、なぜ僕は、その言葉を正確に知っていたのかと問われると、それはそれで、良く分からない。おそらく、テレビを見たり本を読んだりしている時に、ちょろっと紹介されたとか、そういう類いであろうと想像される。

注釈

ココで僕が言いたいのは、中学校の時分から、「為せば成る~」という名言が脳裏に刻まれる程度には、(自分で言うのもなんだが)ストイックな一面を有していた、という事実である。

そのストイックさは、紆余曲折を経て、もとい、今なお、紆余曲折を続けていて、それこそ、暗中模索の日々を彷徨(さまよ)っている気もするし、人によっては、”迷走”、”イタい奴”、と取られてもおかしくない人生を歩んでいる気もするが、そんな僕もまた、僕自身は、好きだったりもする。

「自己愛」と書くと、あまり良い印象を持たない人が多いようにも思われるが、僕は、たとえ周囲から蔑(さげす)まれようとも、自分にとって貴重なエネルギー源になるのであれば、体裁を気にすることなく、”そんな自分が誰よりも好きだ!”、と、高らかに宣言してしまえば良いと思っている。

余談

僕と礼二さんが、二人三脚で「どうすれば『〇〇のプロ』になれるのか?」と密に話し合った末に、たった一つに絞り込んだ、その「〇〇」とは、思いもよらない、とても意外なものだった・・・。

~「中②」へ続く~


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