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#32【夢日記】K.Y(幼馴染の異性)とプレゼンに臨むも敢え無く不戦敗

こんな夢を見た。

夢日記(メモアプリから引用)

そして目が覚めた。


「K.Y」とは、僕の幼馴染の異性のことだ。決して「空気が読めない」という意味ではないので、悪しからず。

ちなみに、僕の見立て的には、彼女の空気読み度は「別に空気は読めるけどさ、わざわざ読む必要もないじゃんね?」といった感じだと思う。

まぁ確かにその通りだ。ただ、僕には出来ない芸当なので、羨望の眼差しで見つめてしまうところがあるのだけど・・・。

さて。

今回の夢は、分かりやすく、僕の自堕落な部分が、露呈しているなぁと思った。

僕は、人によって態度がコロコロ変わるタイプである。一般的にはあまり良く思われないと思うし、実際、窘(たしな)められたこともある。

だが、そんな善意によるお叱りを「人はコミュニティによって立ち居振る舞いが変わる方が当然だ」などと悪態をついたり「実際、分人主義という考え方も提唱されている」などと浅薄な知識をひけらかしたりして、全く聞く耳を持とうとしない。

端的に言えば、頑固な人間、になるのかもしれないが、それでいながら、クヨクヨと思い悩むところもある。要するに、生一本(きいっぽん)になりたいけどなりきれない、という、まぁ、俗に言う、半端者なわけだ。

そんな僕の性分が、今日の夢からは滲み出ているように思われる。

例えば、この自堕落さ。こういう姿は、見せられる相手と、見せられない相手とを、僕の中で、明確に区分しているわけだ。

“親しき仲にも礼儀あり”

そんな言葉があるけれど、僕は、何度も何度も、自らに言い聞かせようとするけれど、悲しいぐらいに、実践することが、出来ていない。

今回の夢のように、幼馴染など、親しい仲になればなるほど、自分のダメな部分をさらけ出して、周りに迷惑をかけてしまう。

考えてみれば、おかしなことだ。親しい仲の相手には、ぞんざいに振る舞い、親しくない仲の相手には、変に気を遣うだなんて。

だってそうじゃないか。親しくない仲であれば、極論、嫌われたとしても、痛くも痒くもないじゃないか。そんなヤツこっちから願い下げだ、などと、強硬な姿勢を取れるじゃないか。

だけど、親しい仲となると、それは難しくなる。なぜか。痛みが伴うからだ。関係を切るとなると、これまで親密に過ごして来た時間が、走馬灯のように思い出されて、悲しくなってしまうからだ。

であるならば、親しい仲にも礼儀ありの精神を忠実に守り、親しくない仲には、来るもの拒まず去るもの追わずの精神、別に嫌われたって良いじゃないか、と、鷹揚(おうよう)に振る舞えば済むことじゃないか。

・・・と、頭では分かっていながらも、それを行動に移せていないのだから、困っているわけであるが。

なぜ、親しい相手には、ぞんざいな態度をとってしまうのだろうか?

この答えは僕の中で明確になっている。一言でスパッと書くと「これぐらいは大目に見てくれるだろう」といった「甘え」に原因があるのだ。

そして、親しくない仲の相手には「一期一会といいますからね」などと、調子の良いことを言って、なるべく好印象を持ってもらおうと、背伸びした自分で振る舞ってしまうわけだ。

結局のところ、人間、無理をすれば、長続きしない。背伸びの自分でいられるのは、限られた時間だけ。そしてその後には、決まって、反動がやって来る。

で、その「反動」として、ぞんざいな態度をとってしまう。こういったメカニズムなわけだ。

・・・。

“言うは易く、行うは難し”

言い得て妙だなぁと自嘲を浮かべてしまう、今日は、そんな夢だった。

自らを戒めて、これ以上、親しい相手に迷惑をかけません、と、誓う自信は、まだ正直、無いのだけれど、その気持ちは、腹の底に、常に、眠らせています、その心に偽りは無いです、ということは、約束出来るかなと、思う。

最後に。

こんな僕と今も仲良くしてくれている皆様方に、この場を借りて、感謝申し上げたい。ありがとうございます。

至らないところばかりの自分だけど、近くに居てくれる人を、少しでも笑顔に出来るような、そんな光景を思い浮かべながら、僕なりのペース、亀さんペースかもしれないけれど、一生懸命、いや、一生は、僕の器量では、難しいかもしれない、一所懸命、目の前のことを一つずつ、小さなことからコツコツと、積み上げていけるよう、励んで行く所存です。

さぁ、今日も一日、頑張ろう。

“頑張る”

一時期は、意識して「顔晴る」と書いていたけれど、僕は、あくまでも僕個人の価値観としては、無理に取り繕った営業スマイルよりも、精悍な顔つきで一心不乱に打ち込む姿の方が、ウソが無い気がして、好きだ。

だから、頑張ろう。

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