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決行⑶

「決行」。

彼らは一体何を「決行」したのか。その目的や彼らの主張はこの記事からは読み取れない。

太一はあの日のことを思い出していた。

彼らの顔に張り付いた嘘くさい笑み。とめどなく口から流れ出る、御経のように平坦でヒステリックな叫び声。そのどれもが人間的なエネルギーを持っていなかった。

一見何かとても意味のあることを愚民に教唆しているかのような口ぶりでも、それらは彼らの内部から生成されたものではないような気がした。まるで彼ら自身は何かの媒体に過ぎず、アンプのように何者かの意志を増幅させているだけのような、そんな気がした。

きっと警察は彼らの動機を調べ、いずれ彼らの「主張」は電子の網を通じて世界に広まるだろう。しかし、その「主張」は「主張」であって、主張ではない。

太一の脳裏に、パラサイトが血管を通じて全身に広まり、無意識のうちに身体を乗っ取ってしまうような妄想がふと浮かんでは消えていった。

「決行」は、その異様な風貌と奇天烈な言動からSNS上で少しずつ注目を浴びていった。そのほとんどが「決行」を不気味だと叩く批判と、その気味悪さを面白がったコラやMADであったが、日が経つにつれ「決行」を擁護する意見が目立ち始めた。

最初はネタにしていた者も、その「主張」を聞き、次第に手のひらを返しはじめ、気付いた時にはネット上では「決行」を支持するコメントが批判を凌駕するまでになっていた。尋常ではない速度で電子の海を牛耳った「決行」が現実を侵食してくるのにもそう時間はかからなかった。

最初のニュースから二週間後、朝食を食べながらテレビをつけると、あんなに小さかった地方のニュース記事は全国ネットで大々的に報じられた。ニュースの内容は「決行」に関する警察の捜査内容とネット上での意見の紹介を中心としたものだった。

二十年ほど前に起きた新興宗教団体によるテロ事件以来、この国では宗教への嫌悪感が年々増している風潮にある。「決行」のこの異例の取り扱いは、そういった危機意識から来ているのだと思う。

テレビ局は取り上げざるを得ないのである。我々はあの凄惨な出来事を二度と繰り返してはならない、そのために早いうちから危険な芽を潰しているのです。そんな言葉が、画面の向こうの週刊誌ばりに文字と色の敷き詰められたフリップから聞こえてくる気がした。

体裁を守り抜こうという局の姿勢とは裏腹に、出演者は嘘のようにこの事件に対して無関心であった。深刻そうに番組を進行するアナウンサーも、眉をひそめて体の前で腕を組み真面目そうに語るコメンテーターもみんな心の中では鼻で笑っている。

画面の向こうの女医は、真面目くさった顔で、右手でクイッと赤いフレームの細縁の眼鏡をあげて、こんな小さな街の、こんな小規模なデモのことなど全国ネットで取り上げる必要はないとでもいうように、深く頷いていた。

警察の調べによると、「決行」は「理性の尊重」を主軸に置いており、特定の地域(名は伏せられていたが恐らく昂理市のことだろう)に限って月に一度ほどの頻度で行われているという。

その他には、構成員らは取り調べに対し、皆口を揃えて同じようなうわごとしか述べていなかったという報道以外、まるで報道規制がかかっているかのように特筆すべき目新しい情報はなかった。

番組の議論は主にネット上の反応に向けられた。番組側は擁護派の意見と否定派の意見を同数引用して、あたかもネット上の議論が賛否両論であるかのように見せかけていたが、現実ネットの意見は圧倒的に「決行」に傾いていた。

そんなテレビ側の姿勢はネット住民の逆鱗に触れ、連日テレビ叩きの風が吹き荒れるようになり、「決行」に対する批判の声はしれっと埋れていった。

その一方で、この報道をきっかけにそれまで閉じた地域、限られた領域にしか認知されていなかった「決行」は現実を生きる一般人にまで浸透するようになり、ネットを蹂躙した時のように凄まじいスピードで信徒を獲得していった。

その年、街は全身黒づくめの服装の若者で溢れ、「決行」は一瞬にして社会問題と化したのだった。

それほどまでに過熱した「決行」ブームは、潮が引いたようにいつの間にか鎮まりを見せた。

「決行」を狂ったようにもてはやしていたネットユーザーも、あれだけ「決行」をファッショナブルだとはやし立てて熱狂していた若者も、年を越した頃には矢継ぎ早に「決行」について言及することはなくなり、連日耳障りなまでに「決行」を取り扱っていたマスメディアも、まるで腫れ物にでも触るかのように「決行」に触れることを避けていった。

こうして「決行」は、表面上は不自然なまでに急激に勢いを失っていった。それでも、「決行」が忘却の彼方に押しやられたわけではない。相変わらず月に一度の「決行」自体は行われ続け、内実参加者は年々数を増していたのである。

異様だったはずの現象が、目にも留まらぬスピードで人々を支配し、生活に溶け込んでいく。

太一は、「決行」が以前の求心力を失わぬまま、確実に勢力を拡大しているのに、誰もそれに触れず、それどころか自然の摂理とまで思っているこの状況が恐ろしく不気味で、いっそ神々しくも感じていた。

「決行」は自然にはありえないスピードで日常になったのである。

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