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決行⑹

次第に彩香も太一に色々プライベートな質問をしてくるようになった。そこで、太一がバンドをやっているということを話すと、そこから話が広がりお互いの好きなアーティストの話になった。

太一は「Emocional」という日本のロックバンドがひどく好きだった。彼らの作る曲は、想いが直接胸に響き、ノスタルジックな感傷がさわさわと呼び起こされて、いてもたってもいられなくなり、思わず夜道を駆け出したくなるような、そんな美しく泥臭い曲だった。

太一は、一瞬仕事中であることも忘れ、「Emocional」への想いをとうとうと語っている自分に気がつき、まずいなと舌を出して彩香の方を見た。

彩香は静かに熱い眼差しを向けていた。そのまんまるく澄んだ目からは、彩香の落ち着いた外見からは想像できないほどの、激しい熱意が流れ出ているようだった。「ごめんね、僕の話ばかりして。興味ないよね。」と謝ってしまいたくなる気持ちを抑えて太一は彩香に問いかけた。

「もしかして新山さんも好き?」「好きです!」

間髪入れず、彩香が答える。エネルギーのこもった強い言葉だった。それから「Emocional」のあの曲のあのアレンジがいいだとか、あの歌詞が文学的だとか、二〇十五年のあのライブの最後のMCは最高だったとか、二人はフィッティングルームにいるということも忘れて語り合った。

話に集中しすぎて客の一人に気づかなかったところを、大声の私語を聞きつけて注意しようとやってきた店長に見られてしまい、ひとしきり叱られ、説教が終わると二人は目を見合わせてクスリと笑った。

それから二人はちょくちょくシフト以外でも顔を合わせるようになり、仕事終わりに居酒屋で飲んだり、ただご飯を食べに行ったり、たまたまチケットが手に入った「Emocional」のライブに一緒に行ったりした。いつの間にか「相模さん」「新山さん」と苗字で呼び合っていた二人は、「太一」、「彩香」と名前で呼び合うようになり、プライベートな空間ではタメ口で話すようになっていた。

こうして半年ほどが過ぎた。会う頻度は減ったが、関係は特に変わっていない。彩香は今、大学三年生になり学校の勉強に就職活動に忙しくなり、バイトにはあまり顔を出さなくなった。その一方、学部の文学研究や就活は順調なようで以前より生き生きしている気がする。本人は、バイトに比べれば大変じゃないわよ、と言っていた。

見慣れた顔だけれど、よくよく見てみると出会った頃のあどけなさは大人の魅力に変わり、一層上品で優美になったような、でも気のせいのような、そんな気がする。ストローで甘ったるいコーヒーを飲みながら髪をかきあげる動作が、少し色っぽく感じた。

かたや太一の方は何も変わっていなかった。あの頃と同じように、平日の日中に出勤して、夜はスタジオで練習をするか、家にこもって作曲をする。月に二回ほど週末にライブをして、盛り上がるフロアに熱く夢を語り、自分の想いを届けようとするけれど、それはライブハウスのまやかしにまどろんで有耶無耶になり、ライブが終われば日常の雑音の中に埋れていく。

それでも諦めきれず、いつか誰かがその想いを拾ってくれるのを夢見て、繰り返し、繰り返し同じような現実を過ごしている自分が時にひどくみじめで虚しい存在に思えてしまう。

「どうしたの?そんな辛気臭い顔して。」彩香が快活に語りかけてくる。

「何でもないよ。」太一は斜め上を見て、鼻で笑って答えた。

「ちょっとは反省しているようね。えらい、えらい。じゃあ、次の店もおごってもらおうかしら。」

上から目線で冗談っぽくからかってくる彩香に、居直って悩みを打ち明けても、気持ち悪いだけだろう。彩香は優しく話を聞いてくれるだろうけど、想像するとその優しさがキュッと胸を締め付けた。太一はいつものように適当に答えようとした。

「そうだな。それがいい。」

自分でも耳を疑った。どうしたことだろう。冗談の一つも出てきやしない。何だか同情を誘うような自分に嫌気がさして、変な空気を取り繕うように言葉をとってつけた。

「何がいい?寿司でも焼肉でも何でもおごってやるぞ。何ならバッグでもいい。そういえば前ブランド物が欲しいって言ってたよな。よし、さっさと買いに……」
「本当にどうしたの?」

食い気味で被せてくる彩香に少し驚き、視線を店の鳩時計から彩香の顔に移す。何とか楽しい雰囲気を保とうとしているが、心配と悲しみは隠せていなかった。ああ、久しぶりに会って大人になったと思ったけれど、こういう健気さは変わっていないんだなと思い、以前にも増して愛しく感じた。そして太一は変な間を無理やり埋めるように、適当に話を切り出した。

「なあ、彩香。『決行』についてどう思う?」

「はあ?何よ急に。別に、特別興味ないよ。なんか不気味だし。」

「そう、それだよ。おかしくないか?」

「何が?」

「あんな異様で不気味な集団に、みんな関心を失っていることだよ。普通、ああいうデモみたいなやつってみんな何かしら反応するだろ?いいか悪いかは別として、新興宗教sにしろ、動物愛護団体にしろ、政治結社にしろ、みんな何かしら反応する。賛成・反対とか高いレベルの話じゃなくても、好きとか嫌いとかそういう低いレベルの話でもいい。現実でもネットでも、普通ああいう運動が起こったら何か議論が起こるもんなんだ。というか、それが目的だしな。でも、『決行』は違う。それが起こっても誰も、何も反応しない。おかしくないか?」

「うーん、言われてみれば確かに妙ね。でも、それって飽きちゃっただけじゃないの?」

「いや、それだけじゃ説明つかないんだ。『決行』はデモのようなことを行なっているのに、起こったという情報すら流れてこない。第一、デモなのに集合を呼びかけることすらしない。何かを伝えるための示威行為なのに、それは明らかに不自然だろ?理にかなってない。」

「確かにそうね。何でそんな簡単なことに気づかなかったのかしら。何だか、ちょっと気味悪くなってきちゃった。でも、何で急にそんなことを聞いたの?」

痛いところを突かれた。「決行」の話なんて、本当は太一も一ミリも興味はない。何とか即興で理由をでっち上げる。

「いや、今朝久しぶりに『決行』を見たんだよ。相変わらず、気色悪いね。それで少し気が滅入ってた。悪かったなこんなしょうもない話して。さあ、そろそろ出てどっか行くか。」

「ふうん。変なの。でも、私少し気になってきちゃった。折角ならどうせだし一緒に調べてみない?私も社会学のレポートがあるからちょうどいいし。」

何だか面倒なことになってきた気がするが、彩香の火がついてしまったらもう止められない。話の種にもなるし悪いことではないだろう。

「最後のが一番の理由だろ。まあ、俺が撒いた種だ。自分のケツは自分で拭かねえとな。締め切りはいつだ?俺は優しいからな。そっちに合わせてやるよ。」

「すぐそうやって調子乗る。よし、じゃあ二週間後の金曜日ね。絶対よ?」

「安心しな。俺は締切だけはしっかり守る男だ。」

「集合時間は間に合わないくせにね。」

彩香はしつこく、意地悪くなじってくる。仕方ない、今日はおごるしかなさそうだ。

店を出た後、二人はしばらくショッピングを楽しんで、夕食を食べ、彩香は明日一限があるからといって二二時には帰っていった。

太一は自転車のライトがついていることを確認し、行きよりは少しだけ遅いペースで帰途についた。家に着くと太一はもう一度シャワーを浴びて、改めて新曲の構成を練った。

しかし、どんなに想いを汲み取ろうとしても、必ず漆黒の闇に邪魔されてしまう。何度も何度もトライするが、何回やっても結果は同じだった。「俺は締切だけはしっかり守る男だ。」さっき切った啖呵が脳内をこだまする。

流しっぱなしにしていた報道番組はいつの間にか終わっていて、テレビには少し不細工な売れないアイドルが変顔をするだけの番組が流れている。もう時間がない。

太一は頭に浮かぶぼんやりとしたイメージを、もやのかかったまま経験と知識だけでそれっぽくまとめ上げ、無理矢理送信ボタンを押した。耳元で流れるデモ音源は、恐ろしく綺麗で、恐ろしくスカスカだった。

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