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日本国憲法改正の国民投票:イギリスとコロンビアの事例に学ぶ

※本稿は、2017年8月に作成したものです。見出し写真は、2016年9月26日、南米コロンビアの首都ボゴタ旧市街にて、政府とFARCの和平合意の調印式(一回目のカルタヘナで開催のもの)を中継するパブリックビューイングの様子。

はじめに

日本の「国のかたち」を考える際に想起されるのが、司馬遼太郎の随筆集『この国のかたち』である。司馬は、自身が尊敬する友人の次の言葉を、随筆の一番初めに引用した。

日本人は、いつも思想はそとからくるものだとおもっている(司馬 2000: 11)。

日本の文化史を振り返ると、この言葉の通り、日本は常に、海外から流入する文化とそれを受けて醸成される国内文化、その勃興の繰り返しであった。飛鳥時代に大陸から仏教が伝来し、平安時代には日本的とされる国風文化が栄えた。鎌倉時代に入ると中国の五山の影響を受け、そこから室町時代には茶道や能などが確立し、現代の日本文化の礎を築いた。海外との関わりとしては、明治の「開国」や昭和の太平洋戦争終結も転換点といえよう。このように日本は常に、外側からと内側からのアプローチを交互に繰り返してきた。

終戦後、1947年5月3日に施行されたのが日本国憲法である。アメリカ合衆国の占領下で策定された日本国憲法は、確かに「そとからくるもの」と言えるかもしれない。しかし、今や日本国憲法は、まさしく日本国民の「思想」となって根付いている。日本が辿ってきた文脈を鑑みれば、日本国憲法は例外ではなく、むしろ文脈に適ったものである。そして司馬は、外から思想がくることは別に恥ずかしいことではない、と述べる(司馬 2000: 11)。

日本語の「憲法」を英語で表すと「constitution」であるが、この単語は同時に「構造」という意味を合わせ持つ。言葉が示している通り、まさに憲法は国家の構造、つまり「国のかたち」を成す屋台骨である。その日本国憲法は、2017年現在に至るまでの70年間、一度も改正されることはなかった。その一方でこの70年間は、憲法改正の是非を含めた憲法論議の70年間ともいえる。日本国憲法は第96条で、憲法の改正には国民投票による国民の承認が必要、と規定している。しかし日本では、かつてこれまでに国民投票がおこなわれたことはない。憲法論議を進めるにあたって、憲法改正の承認権を有する私たち国民は、まだ一度も経験したことのない未知の国民投票について、一体どのように考えればよいのだろうか。

グローバルな視点で見てみると、2016年には、奇しくもその国民投票で国民が二分され、歴史的にも大きく揺れ動いた国が二つあった。それはイギリスとコロンビアである。2016年6月には、イギリスの欧州連合(European Union: EU)離脱の是非を問う国民投票がおこなわれ、僅差で離脱派が勝利した。同年10月には、コロンビア政府と左翼ゲリラ・コロンビア革命軍(Fuerzas Armadas Revolucionarias de Colombia: FARC)の和平合意の承認を求める国民投票がおこなわれ、こちらも僅差で否決された。

この二つの国において、国民投票が実施され、国民がそれらの決断を下すに至った社会背景には共通点が見出せる。外と内の交互のアプローチという日本の文脈を鑑みると、グローバル化にある現代日本は、外からのアプローチの周期といえる。憲法論議に揺れる私たち日本国民にとって、海外のイギリスとコロンビアが経験した歴史的な国民投票から学ぶことは、日本の文脈に活かせるはずである。

そこで本稿は、まず第一章と第二章でイギリスとコロンビアの国民投票を概観し、国民投票を実施するに至った理由と、それぞれの国家が直面する社会背景について述べる。第三章では、今後あり得るかもしれない憲法改正を承認する国民投票について、日本は、イギリスとコロンビアの事例の共通点から、何を学ぶことができるのかを考察する。

I. イギリスのEU離脱の是非を問う国民投票

2016年6月23日にイギリスでおこなわれた、EU離脱の是非を問う国民投票は、残留派48.1%に対し、離脱派が51.9%という僅差で勝利する結果となった。一部の報道では残留派が優勢とも伝えられていたため、イギリス国民が下したこの”歴史的な”決断が、世界中で予想外の驚きをもって報道されたことは記憶に新しい。国民投票後、キャメロン首相は辞任し、後任のメイ首相のもと、現在進められているEU離脱交渉は難航している。

そもそも、なぜ国民投票はおこなわれたのか。イギリス政治が専門の今井は、その背景として、キャメロン首相の保守党内における求心力低下と、イギリス独立党(UK Independence Party: UKIP)の躍進を挙げている。以前から保守党の中では、親EU派とEU懐疑派との分裂が決定的となっていた。2015年の総選挙では辛くも保守党が多数派となる議席を獲得したが、求心力の低下を食い止めることはできなかった。その一方、大躍進したのがEU離脱を強く訴えるUKIPであった。その躍進の背景には、UKIPがそれまで保守党の支持層であったEU懐疑派の中産階級、そして労働党の支持層であった失業の不安と福祉に不満を持つ白人労働者階級を取り込んでいったことがある。移民流入の増加で、自分たちの職が奪われていると感じていた不満も重なり、それらの問題に応えるように頭角を現してきたのが、既存政党とは異なる第三極のUKIPであった(今井 2016: 157-162)。

こうして保守党内EU離脱派とUKIPに押される形で、キャメロン首相は国民投票の実施を決断するに至った。キャメロン首相は、国民投票によって残留派が勝利することで、保守党内の求心力を回復させる算段を立てていた。しかし予想を裏切る形で、離脱派がUKIP支持者のみならず、保守党や労働党支持者の票にも食い込み、僅差で勝利した。投票率は72%に達し、国民の関心の高さを示している。離脱派のうち七割が低学歴、六割が50歳以上の中高年であったというデータを受け、インターネット上では残留派から離脱派に対し、無教養でグローバル化と逆行する中高年が若者の夢を奪ったという、イメージ先行の非難が向けられた(水島 2016: 15-19)。

しかし、これらの非難は妥当なのだろうか。今井は、国民投票という「『最大の民主的行動』を通じて離脱賛同者が手にしたかったのは、仕事、賃金、生活、そして将来に対する自己決定権であり、その回路としてのデモクラシーであった」とし、「国民投票は、デモクラシーを求める民衆の反逆であった」と指摘する(今井 2016: 163)。離脱派の投票行動は、EUという「国際協調」へのNOという意味合いよりもむしろ、既存政党や機能不全の議会制民主主義へのNOであり、政治・経済・社会から置き去りにされた周縁的な存在である白人労働者層の状況を可視化させるための意見表明であった、と考えることができる。結果としてグローバル化と逆行することになったが、顕現した周縁的な彼らの声を非難するのではなく、すくい上げて対応策を取ることこそが本質的な解決策に繋がるのではないだろうか。

II. コロンビア政府とFARCの和平合意の承認を求める国民投票

イギリスの国民投票からおよそ3か月後の10月2日、南米大陸の最北端に位置するコロンビアでは、政府と左翼ゲリラFARCの和平合意の承認を求める国民投票が実施された。1964年に結成されたFARCは、中南米最大で最も歴史の長い反政府武装組織である。コロンビアの国内紛争は、世界の中でもとりわけ長く52年間も続いてきたため、国民の誰もが和平を求めていたことは明らかであった。しかしイギリスと同様に、大方の予想を裏切る形で、賛成の49.73%に対し、反対が50.37%と僅差で和平合意は否決された。国民投票の結果を受けて、和平合意は一時頓挫し、大多数の国民に失望感が広がった。そのすぐ後、和平を求める民衆運動が学生を中心に活発化し、一方、和平交渉を進めてきたサントス大統領にノーベル平和賞が贈られることが決まり、国内の気運の高まりと世界からのまなざしが後押しする形で再交渉が始まり、11月30日、今度は国民投票ではなく議会の手続きを経て、和平合意が承認された。

イギリスの事例と同様に疑問が浮かぶのは、なぜ国民投票をおこなったのかである。コロンビア社会政治が専門の幡谷は、そもそも和平合意を国民投票で決めることが法的に義務付けられているわけではないことを指摘した上で、国民投票が実施された背景として、サントス大統領の支持率の低下という政治的な理由を挙げている。次期大統領選が2018年に控える中、サントス大統領の支持率が2016年3月の時点で30%を下回った。大統領選で戦うことになる野党のウリベ派は和平合意反対派であり、仮にウリベ陣営が勝利すれば、これまで4年以上かけて進めてきた和平交渉が水泡に帰すことになってしまう。和平合意に国民投票で可決というお墨付きが与えられれば、容易に取り消すこともできないであろうと算段したサントス大統領は、国民投票の実施を決断した(幡谷 2016: 29)。

しかし国民投票では、僅差で否決される結果となった。幡谷は、反対派が過半数を獲得した理由として、「合意文書への理解不足」「都市部民衆層のFARCへの反感」「反対派のネガティブキャンペーン」の三つを挙げている。一つ目として、国民投票前に市民に対して和平合意の理解を深めるセミナーやキャンペーンが実施されたものの、合意文書はおよそ300ページにもなり、精査する時間も限られていたため、国民の理解が進まなかったことがある。二つ目には、紛争被害に直接苦しんできた周縁の農村部では、賛成派が多数であったのに対し、反対派が優勢だった地域は、首都のボゴタなど一部を除くほとんどが大都市であったことがある。被害を直接受けなかった都市部では、紛争への関心が低く、どこか他人事のように捉えられている。また、政治に対する不信や無関心さに加え、合意内容がFARCに対して甘いという反感もあった。三つ目はそれとも繋がるが、反対派のネガティブキャンペーンが投票行動に大きく影響したことがある。国民投票を目前にして、インターネット上では、年金の二割がFARCの社会復帰プログラムに使われるなどのデマが拡散し、合意内容に対しての反感が強まった(幡谷 2016: 30)。

一見すると、人類が普遍的に認める価値の「平和の希求」が、コロンビアにおいては国民によって否定された形に見えるが、本当にそうであろうか。投票の棄権率に着目すると、実に63%近くにも及ぶ。これは国民の関心の低さを示しているのではなく、以下に述べるコロンビア特有の事情により投票できなかった人が一定数いたことを示している。現地のエル・エスペクタドール紙の報道によると、投票当日、カリブ海沿岸地域をハリケーンが襲い、天候悪化で投票所に行けなかったり、投票所が閉鎖されたりした地域があった。また交通インフラの不整備や、貧困により交通費が工面できないなど、投票所に行く手段がなかった事例も挙げられる。およそ四割しかない投票率の国民投票を「コロンビア国民の総意」と言えるのであろうか。

国民投票において和平合意は否決されたが、再交渉後、和平合意は議会で承認された。そして2017年6月27日に、FARCの武装解除が完了し、半世紀以上にわたる武力対立にピリオドが打たれた。

III. イギリスとコロンビアの共通点から日本が学べること

これまでイギリスとコロンビアの国民投票について概観してきたが、そこには三つの共通点が見出せる。

一つ目の共通点は、中心と周縁の分断である。イギリスにおいては、グローバル化と職種の変化に適応した高学歴の若者層(中心)と、変化に適応できず失業の不安を抱える低学歴の中高年労働者層(周縁)に分断されていた。そうした社会的な分断が、国民投票を経て、よりはっきりと露呈することとなった。国民投票後、さらに分断を深めた要因として、残留派から離脱派になされたような感情的な非難があった。一方、コロンビアにおいては、都市部(中心)と農村部(周縁)の分断がある。都市部の無関心さに遮られて、周縁の声が中心に届くことはなかった。日本国憲法改正の承認を求める国民投票が実施されるかもしれない将来のために、ここから私たち日本国民が学べることは、自分たちとは意見が異なる他者との間には、感情論から深い分断が生まれうるということである。分断を深めないためにも、憲法改正賛成派と反対派の双方の間で、感情論ではない対話を積み重ねながら、建設的な議論を生み出していくことが必要である。

二つ目の共通点は、国民投票を実施する決断に影響を与えたのが「政治の時局」であったことである。政治的な時局をにらんで国民投票が実施された結果、どちらの国においても望ましくない答えが導き出された。賛成派と反対派の双方が国民投票を政争の具に利用したがために、政治における国民不在が浮き彫りになった。その結果、イギリスにおいては、周縁の人々が政治に対して自分たちを可視化するために離脱派に投票した。コロンビアでは、政治に対する不信や無関心さが和平合意の否決に繋がった。もし政治が民主的に機能し、国民に真摯に向き合っている前提があったならば、民主主義の最終手段ともいえる国民投票の結果も変わっていたのではないだろうか。これらの事例から学び、国民投票を政争の具に利用されないよう、私たち日本国民は常日頃から政治に対してしっかりと関与していかなければならない。あくまでも国民投票は民主主義を顕現する最終手段の場であり、その前段階の国政選挙において、国民不在の政治に対して投票行動で意見を表明することが大切である。

三つめの共通点は、インターネットの悪影響である。政治学者の水島は、イギリスにおいてインターネットを活用する人の多くが残留派であり、その言論空間で離脱派への侮蔑的な非難が繰り広げられたことを指摘し、国民投票がそうした「侮蔑的なまなざしを言語化し、『正しい批判』というお墨付きを伴って言論空間に流布させるという、思わぬ機会を提供した」と述べる(水島 2016: 19)。コロンビアにおいては、拡散力のあるSNSが反対派にネガティブキャンペーンとして利用され、デマが拡散し、それが投票行動に大きく影響を与えた。これらのことから私たちが学ぶべきなのは、インターネットとの向き合い方である。SNSでは、ボタンひとつで情報を共有することができるため、受け取った情報の正誤を確認することなく、怒りなどのような感情にまかせて衝動的にデマが拡散していく危険性がある。また匿名性が担保されるため、日本においてもいわゆる「ネトウヨ」や「パヨク」といった言葉が生まれているように、双方の誹謗中傷が横行している。これらは建設的な議論の妨げとなるばかりか、多くの人に間違った情報を提供し、誘導してしまう恐れがある。インターネットとの向き合い方を今一度見直し、この国のかたちを決める憲法改正の国民投票において、国民は理性的な判断が格別に求められる。

おわりに

これまで本稿では、国民投票にまつわる悪影響ばかりを取り上げてきたが、コロンビアにおいては、国民投票が別の良い結果を生み出したこともある。国民投票が実施された3日後の10月5日、学生たちが中心となって呼びかけた、和平を求めるデモ行進が全国の14都市でおこなわれた。この呼びかけは瞬く間に拡散し、首都ボゴタだけでも6万人以上が動員された。さらには、サントス大統領がノーベル平和賞を受賞したことも後押しし、和平合意の最終承認へと結びついた。この一連の出来事について幡谷は、学生たちによる民衆運動が市民社会を「覚醒」させ、ノーベル平和賞受賞という国際社会によるまなざしもまた、和平合意の重みをコロンビア国民に再認識させる「覚醒」を促したと述べる(幡谷 2016: 32)。

筆者は9月までコロンビアのボゴタに留学していたが、国民投票時には既に帰国していたため、その歴史的瞬間に現地で立ち会うことはできなかった。しかし、ボゴタの大学の友人らとSNSでやりとりする中でも、十分にその熱気が伝わってきた。国民投票では反対派にネガティブキャンペーンで利用されたSNSが、今度は和平を心から願う市民の連帯とその拡散に、非常に有効なツールとなったことは興味深かった。さらにはノーベル平和賞受賞のニュースが世界を駆け巡ったことで、友人らも少なからず誇りに思い、自信を取り戻していたように感じた。コロンビアにおいて、政治や社会に真剣に向き合う国民の気運が醸成されたことは、今回の国民投票がもたらしたひとつの良い結果であった。

日本においては、こうした社会的気運が、国民投票を実施する前に生まれることが必要である。コロンビアの事例のように、若い世代や学生たちが中心となって憲法論議を活発におこなうことで、それをきっかけに「国のかたち」のあり方を自分たち自身の問題として捉えることができるようになる。そして「国のかたち」を省察するには、国際社会のまなざしも有効である。本稿のように海外の先例に学ぶこと以外にも、海外で日本の憲法論議がどのように捉えられているのかを知るなど、日本を相対化することで初めて「国のかたち」の輪郭が見えてくる。

海外からのまなざしを感じながら、憲法のための行動と議論を巻き起こす、市民社会の「覚醒」が求められているのではないだろうか。

参考文献

今井貴子(2016)「分断された社会は乗り越えられるのか:EU離脱国民投票後のイギリス」『世界』第886号、156~163ページ。

司馬遼太郎(2000)『司馬遼太郎全集 第六十六巻 第三期第十六回配本 この国のかたち 一』文藝春秋。

幡谷則子(2016a)「崖っぷちに立たされたコロンビア和平の行方」『世界』第889号、29~32ページ。

__(2016b)「52年ぶり紛争終結のコロンビア 反政府ゲリラと和平合意」『エコノミスト』第94巻第52号、42~43ページ。

水島治郎(2016)「『置き去りにされた』人々の逆転劇 ―イギリスにおけるポピュリズム政党と国民投票―」『千葉大学法学論集』第31巻第2号、1~22ページ。

Arboleda Zárate, Lorena (2016) “Razones del No de los araucanos”, El Espectador, 8 de octubre.

“La avalancha de demandas tras los resultados del plebiscito por la paz”, El Espectador, 12 de octubre, 2016.

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