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自立ってなんでしょう

来るたびにお久しぶりです。
みなさんいかがお過ごしでしょうか。私はいつの間にやら再就職をして毎日を過ごしております。

さて、私は30年以上こども部屋おばさんをやらせて頂いておりますが、なんだかそろそろこどおばを卒業しそうな空気が春の空気とともに訪れてきています。
前回、以下の記事で書いたように私と親の関係は少しいびつです。

親として、いい面もたくさんありました。
でも、私は親にされた「いやなこと」がたくさん記憶に残っています。

絵を描くのが好きだった頃

私は小さい頃から絵を描くことが好きでした。
ポケモンやセーラームーンの絵を描いたものを、親が未だに保管していたりしました。うまいうまいと煉獄さんのように褒めてくれた記憶があります。うまい違いですが。
でも、小学校高学年頃から中学に差し掛かった頃、「漫画家かイラストレーターになりたい!」と言い出した私は親に大変叱られました。
やんわりと止める、とかではなく普通に怒鳴られました。

漫画家やイラストレーターとして成功してる人は何人に一人なのか、わかってるのか。
よしんば漫画家やイラストレーターになったところでそうそう食べていけない。
そんな夢みたいなことを言ってないで勉強しろ。

まあ、今となっては確かにその通りだと思う気持ちもありますが、そのときの私にとって絵を描くことは何よりも好きで、何よりも続けたいと思っていたことでした。
説得されるどころか怒られたことに委縮してしまった私は、それからというもの隠れて絵を描くようになり、親には自分の描いた絵を一切見せなくなったのです。

そんなとき、小学校高学年だか中学1~2年生だかそれくらいだったと思うのですが、読んでいた雑誌に講談社フェーマススクールズ主催のイラストコンテストが告示されていました。

ネットでの拾い物ですが、こういうやつだったと思います

私はすごくどきどきして、これで大賞でも取ったら親も認めてくれるかも!と思い、一生懸命絵を描いて送付しました。

結果的に、佳作を頂きました。
上の画像にも書いていますが、副賞で図書カード数千円分だかを差し上げます、というような文言が書かれていて、私は飛び上がるほど嬉しかったです。
小学校のときの夏休みの宿題の図工のポスターを賞に出してもらって、産経新聞社賞を頂いたこともあったんですが、あっちは所詮宿題で描いたやつ。こっちは自分の意志で応募して、佳作といえど入賞して、しかも図書カードまでくれるというんだからめちゃくちゃ喜びました。

私は大喜びで入賞のお知らせのお手紙を親に見せました。
そうすると、親は怪訝な顔をして何度か手紙に目を滑らせ、半笑いで「こんなん、詐欺みたいなもんやん。図書カードも、応募した絵についての講評を聞きにきたら差し上げますて書いてるわ。こんなん、都合のええこと言うてその気にさせて、高い教材とか買わされるだけや。講評なんか聞きにいったら絶対買わされるから、行ったらあかん」と言われました。
行ったらあかんも何も、私はまだそのときほんのこどもだったので親に連れて行ってもらわないといけなかったので、「でも、佳作やで。図書カードもくれるって……」と言ったのですが、親はアカンの一点張りでした。
私はものすごく悲しくなって泣きましたが、どれだけゴネても講評には連れて行ってもらえず、もちろん図書カードももらえませんでした。

それからも私は隠れて絵を描き続けていたのですが、ある日中間テスト前に絵を描いていたところを親に見つかり、それについてもかなり叱られたことがありました。
そのときに、親は「高校に入ったら好きなだけ絵を描いたらええ。今は勉強と受験に集中しろ」と言いました。
私は親と祖母に地元の公立進学校を受験するよう厳命されていたため、じゃあそれまでは頑張るかと思い一生懸命勉強して、常に学年で3位以内をキープするようになっていました。
内申点も良好で、志望校に合格したのですがこれについても親の一言でひと悶着あり、入学前から大号泣して心の傷になった出来事がありましたが、長くなるため今回は割愛します。

さて、約束通り進学校に入ったので私はたくさん絵を描こう!とウキウキしていました。同人誌も出してみたいと思っていました。二次創作で、どんな本を出そうかと色々考えてはワクワクしていました。
なお、田舎の進学校とはいえ広い学区内の選りすぐりの賢い子たちが集まっていたので私の成績は下から数えるほうが早いくらい悪くなっていましたが、私はあまり気にしていませんでした。
だって、学校に入ることが目的だったので。
その学校に入ってやりたいことなんかなかったし、絵を描く許しを得るために入ったと言っても過言ではなかったのですから。

でも、親としては心配ですよね。

また、絵を描いていることに対して叱られました。
私はさすがに「高校になったら絵を描いてもいいと言われた」と抗議しましたが、親も「成績がよかったら描いてもいい。お前の成績で絵を描いている場合か」と必死です。
私はまた発狂して「うそつき」と大号泣したのですが、さすがに親も少し哀れに思ったのか「イラスト投稿雑誌なんかに投稿して、掲載されるくらいの絵を描けるなら絵を描いてもいい」と言われたので私はぴたっと泣き止み、そのとき愛読していたコミックテクノに投稿を始めました。
コミックテクノは大好きな雑誌でした。廃刊しているんですね。寂しいです。

結局、初投稿で小さく掲載していただき、その後も3回ほど投稿しましたがそのうち2回は掲載してもらえました。
その時期、私は兄の影響でK-1が好きだったのですが、たまたま本屋で見かけた格闘技雑誌にイラストコーナーがあり投稿コーナーの一番最初に掲載されたら好きな選手の生写真をプレゼント、というものがありました。
私はそのときとある選手がとても好きだったので、絶対に生写真をもらおう!と思い格闘技雑誌も購入し、好きな選手のイラストを描いて投稿しました。
それについても初投稿で一番最初に掲載していただき、私の元へ念願の推し選手の生写真(割とでかい)が届きました。
もうこれだけ認めてもらえたら十分だろうと思い、親に掲載された雑誌や、もらった推し選手の写真を見せ、

「ほら、言われたとおり雑誌に載ったよ。こっちなんか、生写真までもらったよ」

と結構ドヤ顔で親に言いました。
すると、親からの第一声は祝福や「よくやった」などのねぎらいの言葉ではなく「こんなんでも載せてもらえるんやな~」でした。

こんなんって…

確かに、つたない絵だとは思いますが、こんなんって。
講談社フェーマススクールズの一件が急にフラッシュバックして、死にそうになりました。
そして、親は「まあ、今の成績のままやったらええ大学行かれへんから、大学行ったら好きなようにやりや」と言いました。

ちなみに大学に行ったら行ったで「就職したら好きに絵を描いたらええやん」と言われています。


こんな気持ち

結局今はもうほとんど絵を描かなくなりました。
描いても、全然思うように描けないんです。
人に絵を見せるのも苦手になってしまったし、何より私より年下でも、私よりすごく後に絵を描き始めた人でも、今はめちゃくちゃ上手な方が多いですよね。
だから、自分が描いても無駄かなと思うようになりました。
一番見てほしかった、褒めてほしかった人たちに見てもらえなかったし、褒
めてもらえなかったので。

自信の喪失と親への執着


長々と書きましたが、私の人生の中でこういった出来事が大なり小なり何度も何度も起きました。
そのたびに否定された気持ちになり、自分の価値を見出せなくなったのです。

こんなことがありながら、私は親が大好きでした。
親がいないと不安で仕方ないし、親が将来死んだときのことを考えると夜中でも狂いそうなほど寂しくなって泣いていました。

親にすべてレールを敷いてもらっていたので、自分で物事を決定することが出来ませんでした。
また、友達と遊びすぎると怒られたり、お金を使うとめちゃくちゃ怒られたりしておりましたので、友達と遊びに行くことやお金を使うことにも罪悪感を感じ、30歳を過ぎた今でも未だに親や兄に許可を仰いでいました。

自立の「じ」すらない、モンスターこどおばでした。

そんな自分がみじめで情けなく、さらに低下していく自己肯定感。
友達は結婚してこどもを生んだり、家を建てたりしているのに、私は親に庇護されながら6畳の部屋に閉じこもっているのが恥ずかしかったです。
どうやってみんな普通に恋愛して、普通に結婚してるのかもわかりません。
私が普通の生活を送れるよう親がレールを敷いてくれたのに、私の人生には恋愛や結婚イベントが実装されていません。バグでしょうか。DLCなのでしょうか。

でも、さすがに私も何か変わらなければと思い、数年前にダイエットして3か月で10kg痩せたときのことを思い出しました。
帰宅してすぐ砂ズリとはるさめスープを食べ、1時間程度ウォーキングに行っていたらスルスルと痩せました。3か月で約0.1トンから87kgまで落ちたと思います。
もっと頑張るぞー!と思っていた矢先、親から待ったがかかりました。

「砂ズリと春雨スープばっかり食べてたら栄養偏るからやめなさい。あと春雨は太るからダメ」

10kg痩せたのに!?と思いながらも、親の待ったがかかったことによりその生活をしなくなり、結局15kgリバウンドしました。

うちの親は私がデブなことを心配するくせに、ご飯をたくさん食べさせたがります。
そのくせ、自分基準で身体にいいと思ったものを一品にとにかくブチ込むため、正直言ってあんまりおいしくありません。
身体のことを思って作ってくれるのはわかるんですが、行き過ぎた自然派ママみたいなことをしてくるので本当に苦痛でした。
カレーも小麦粉を入れてトロみをつけるとカロリーが増えて太るという理由でシャバシャバの下痢みたいなカレーしか出てこないのでカレーが嫌いになりました。
味噌汁も煮干しから出汁を取ってくれるのはいいんですが、出汁を取ったあとのカラッカラの煮干しをそのまま味噌汁にぶち込んでくるため、大量の具材の中から魚の死体が水揚げされるのがめちゃくちゃ嫌でした。
味噌汁の具材もキノコ、タマネギ、ニンジン、カボチャ、ワカメ、豆腐というイカれたメンバーが毎日そろい踏みでしたので、味噌汁も嫌いになりました。
一応、何度か具材を豆腐とワカメと厚揚げだけにしてくれと言いましたがだめでした。

私は小学校低学年のとき、給食で出てきたオクラが下処理されておらず毛だらけのままで食べたせいでめちゃくちゃ苦手になってしまい、以来オクラはひとくち食べただけで吐き出してしまうほどになっていました。
でも、親としては体にいいから食べさせたいんですよね。

ある日、夕食のハンバーグを一口食べたら、その途端私はハンバーグを吐き戻しました。
親は「バレたか~」と苦笑しています。
混乱しながらハンバーグを見ると、中に小さく切ったオクラが練り込まれていました。

こういったことに代表されるトラウマを確実に増やしていった私は、親が作ったご飯ではまったく満足できず夜中に自分の好きなものをこっそり食べて食に対する歪んだ欲求を満たしていました。

その結果がこの体形です。

でも、逆に考えると自分の好きなものばかり食べていたときは他にお菓子も食べなくて平気だったし、そこまで食べることに執着しなかったことを思い出し、私は「これから3食自分で作るから、これに関しては口出ししないでほしい」と親に言いました。
親も、それを了承しました。

了承しましたが、結局すぐに文句言われるようになりました。
栄養が偏るとか、同じものばかり食べ続けているとか。

もうこんなのばっかりです。
しかもネチネチ言われる。私は本当に疲労してきました。
でも、それでも親は好きだから一人暮らしはしたくありませんでした。

親との衝突


今年に入ってからは、月一以上のペースで親と衝突し、そのたびに大発狂していました。
頭を思いきり床や壁に打ち付けて自分の感情を抑えようとしましたが出来ませんでした。
なんでこんなにつらいのにわかってくれないんだという悲しみや怒りが爆発し、毎日起きているときはつねに涙もろくなりました。
仕事中に仕事をしながら泣いていた日もたくさんあります。新しい職場なのにごめんなさい。

あと、希死念慮が増えました。
今のこの状況が改善しないなら、死ぬしかないか~くらいの感覚です。
ふらっと死にそうな日が増えました。

兄に、頼むから精神病棟に入院してくれと懇願されました。
たぶん、治してもらえという意味ではなく自殺しないように見張ってもらいたかったのかなと今では思います。

人に言われていることもうまく認識できなくなりました。
文章で見ると理解できるのですが、耳で聞いていると理解できないんです。
同じ日本語をしゃべっているのに、なんで話が理解できないのかわからないのです。
また、とても忘れっぽくなりました。
私は記憶力は割といい方だったんですが、全然覚えてられないんです。

ある日、親に「絶対にしないでくれ」と10年前から言い続けてきたことを、また破られたことがありました。
その瞬間私の中の糸がぷつっと切れたのがわかりました。
私は号泣して「もう家を出ていく。住民票と戸籍の付票に支援措置申請をして、行方をくらませる。携帯も解約するしLINEも消す。兄にも連絡しない。一人になってからゆっくり死ぬ」とわめきました。
そうすると親も泣きながら「それだけはやめてくれ、これが最後やから、今回かぎりでいいから許してくれ」と言いました。

私はそんな老親に怒りを覚えながらも哀れを感じ、「もし次やったら本当に一人暮らしをする」ことを条件に許しました。

5時間後に約束を破られました。

私はまたこの世の終わりのような大発狂をかまし、一人暮らしの準備を始めたところです。
一人暮らしが楽しみな気持ちと、怖い気持ちや不安な気持ち、特に親と離れる恐怖で毎晩泣いています。
でも、離れないといけない時期なのかなとも思っています。

毎日どうしたらいいかわからず鬱になったり躁になったり忙しい。
そんな2024年春です。

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