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恋愛のゴールってなんだろう

今更ながら、Xavier Dolan氏の映画にハマってます。どっぷりです。

カナダ出身の29歳。映画監督兼俳優兼脚本家の同氏。

19歳でデビュー後、『Mommy』や、『トム・アットザファーム』など、これまで全作品がカンヌ・ベネチア両国際映画祭へ出品されてきた、人呼んで「映画界の美しき天才」。

2016年にはカンヌ国際映画祭にて、『It’s Only The End Of The World(たかが世界の終わり)』でグランプリを受賞しています。

私が、彼の映画に出会ったのは大学の講義。
内容は、自身もゲイであるドラン氏の作品を通して、LGBTについて考えよう、というもの。


女性になりたいと願う男性と、恋人である女性の、愛と葛藤を描いた『私はロランス』。
『胸騒ぎの恋人』で映し出される、中性的な美しさを持つ男性と、彼に惹かれる男女の三角関係。
『マイマザー』での、青年と母親の摩擦から色鮮やかに切り取られた、少年同士の恋——


スクリーンに広がる絵画のごとく美しい世界と、そこに圧倒的重みを持って響くシャンソンに、首をひねり、泣き、頷くなかで、私の恋愛における男女像は、ほろほろとこぼれ落ちて行きました。


「愛って、性別なんかで区別されない、本能的な感情なのか」「女性や男性の区別なんて、実はないのかもしれない」「そもそもなぜ自分は男性に恋をするのか?」と、感動と、新たな疑念は渦巻いて渦巻いて。


映画を通して得た、性別は個性のひとつにすぎない、という新しい世界の見方は、いわゆる「女性らしさ」が足りていないのでは、と長年感じてきた私自身を救うと同時に、「愛って素晴らしい!」と、単純な私を感動させたわけです。

前置きが長くなりましたが、今日はこんな脳天気野郎が、この、愛について、もう少し深く考えた話を。


それはある海外の友人との話がきっかけで。



海外滞在中、日本の親友に電話する私を見て、その友人が質問してきたんですね。「ねえ、その子に恋したこと、ある?」と。

「うーん、彼女のことは本当に大好きだけど、これは恋愛感情というより家族愛に近いかも」と答えた私。へえ〜と頷いて、彼女は立て続けに聞いてきました。
「ねえ、あなたには私がどう見える?」と。

不思議な質問、と思いつつ、率直に「〇〇人(彼女の国)の女の子に見えるよ」と答えた私。
それを聞いて、彼女はいきなり爆笑したのです。


話を聞けば、彼女はその国では、誰が見てもいわゆる「レズビアン」であり、それを全て無視した私の回答が斬新だったということ(実際その時まで彼女がレズとは全く気づかなかった)。

ほんの少しの知識があった私と、当事者の彼女の会話は、大いに盛り上がりました。


周囲が結婚適齢期を迎えるなか、自分には結婚という選択肢がない、持てないこと。親に孫を見せられないこと。家庭を持たないことの孤独と、それにも勝る自分の恋愛に対する正直な気持ちがあること。女性にバリバリ働きたい気持ちがあっても、大きな節目となる結婚・出産。男性として生まれることへの憧れ。自由恋愛・事実婚——

率直に、難しい問題だらけでした。
その時のなんとなくの話の終わりに出たのが、「同性愛って、(日本でも、彼女の国でも)結婚っていう社会的な恋愛のゴールがないから、大変なのかなあ」という話。

その時は、彼女と2人で、そうだよねえ、同じ恋愛なのにねえ、と頷いて終わったのですが、しばらくして、これについてもう少し考えることとなりました。

そもそもこの時、恋愛のゴール=結婚、と行き着いたのは、結婚によって、人は愛する人との生活と、社会的地位の安定を手にするのでは?、という発想からです。


結婚って、惹かれ合った男女が、その愛の形の結果として家庭を持つ、という最大の喜びを得るものであると同時に、身内に、結婚した姿を見せ、安心させる役割も果たすよね、と。


親の看取りを一緒にしてくれるパートナーがいること、そして自分たちの最期を看取ってくれる子供を持つ準備ができること(これは人によって様々でしょうが)、等、結婚は「人生の最期の安定」を「形式的に」確かにするものなのかな、と。

でも今看取りの形なんて様々ですし、子を持つ選択も人によって様々。

それが男女のカップルだったら、「そういう選択もあるよね」と済まされる話を、同性カップル、ということで制限するのは、やはりおかしいのではないかと思います。

結婚という形をとらなくても、人生の最期を共に過ごすパートナーも、介護委託業者も、見つけられるのでは。

いやいやそれは大変だよ!と言っても、結婚相手を見つけ、死に目まで夫婦生活を続け、最期を看取ってもらうことの難易度と大差ない気がします。そもそも夫婦のどちらかは残されてしまうし…。

そういうと、いや、遺産問題があるよ、とか、いろいろ法律で決まってるんだよ、とか。

でもそれは、同性カップルにも同等に結婚を認めればいい。そうではないでしょうか。

変につける異性恋愛と同性恋愛の区別が、男女の結婚に社会的な正しさみたいなものを与えるのでは

と思うのです。

お家断絶はいかん!なんとかせねば!っていう時代でもあるまいし(⬅︎庶民の考え?笑)。

冒頭の話に帰りますが、ドラン氏の映画に出てくるカップルはとても美しく、切なく、切り取られてます。

もちろん、周囲の冷たい視線や、それぞれの登場人物の葛藤も同じくらい映し出されているわけですが、二人の姿は誇張ではなく、純粋に互いと過ごす時間を大切にしている恋人同士の姿です。


男友達と、女友達と、同性愛のカップル、夫婦が、見分けがつかないとかではなく、もっともっと当たり前にボーダーレスに受け入れられる社会が、いつかくるんじゃないかなあ。

そう考えると、恋愛のゴールは「結婚」ではなく、ただただ互いに思いあってることなんじゃないかな、と思います。

でもそれってとても難しいことだし、人間の心は移りゆきやすい。だからみんな形式的なゴールを求めるのかな。


うーーー!む、、、

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