見出し画像

鬼火(1963)  希死念慮に寄り添う映画

こんにちはSADです

今回は1963年の映画「鬼火」という
映画を語っていきたいと思います

まずこの作品を知ってる人はどれ
ぐらいいるでしょうか?

個人的にはそこまで有名な作品では
ないように思えます

監督はルイ・マル というフランスの
監督で

モーリス・ロネ、ジャンヌ・モロー
主演の死刑台のエレベーター(1958)
で鮮烈なデビューを果たし

地下鉄のザジ(1960)
さよなら子供たち(1987)など
の作品を世に残している 監督です

本作は私にとっても非常に思い入れ
のある作品なのでここで語っていき
たいと思います

希死念慮に寄り添う映画

©鬼火(1963)

皆さんは 希死念慮 という言葉を
聞いたことがあるでしょうか?

これは自殺願望、あるいは死んで
しまいたいという考えの事です

しかし もっと広い意味で捉えれば
積極的に死にたいという考え 以外でも

この世界からいなくなってしまいたい

 ある日、ふと自分だけが消えるように
なくなってしまいたいと思うのも希死
念慮の一つと考えられています

しかしこの死んでしまいたい
消えてしまいたいという気持ちは誰か
に話すことはしばしば 憚られる状況に
あります

仮に誰かに話せたとしても
自殺はいけないことだ!

そんなことはない 生きてれば楽しい
ことがある!
と言われてしまいます

しかしここで考えなくてはいけない
ことは

その人は消えてしまいたいほど
悩んでいる 

あるいは孤独を感じているという気持
ちに蓋をしてしまっている
ということなのです

彼らの深い悲しみを無かったことの
ように扱われてしまうのです

本作 鬼火はアルコール依存症の男が
自殺してしまうまでの48時間を描いて
います

物語は緩やかに ラスト、つまり 彼の
死へ進んで行き

それは止められることはできません

安易な ハッピーエンドにはならない
のです

死を俯瞰で見る

本作は自殺を取り扱っている作品なので こんな憂鬱な作品を見る意味があるのだろうかと思われる方もいるかもしれません

しかし私はこの作品が作られた意義は大いにあると感じます

私は以前 ひどく 精神的に落ち込んで
しまったことがあり 2年間の休職をして
いた事があります

その当時の気持ちが落ちている時期に
この作品に巡り会えました

私は 積極的に死にたいというのではないけれども

精神的に病んでいた時期は

このまま一人暮らしの狭い部屋で
誰にも見つからず 朽ちていくのだろうかと思ったり 

この世界から 楽に消えてしまいたいと思ったことが何度もあります

本作の主人公 アランは最後に自殺をしてしまいます

しかしその光景を外から見ることで

今までは死とは自分の事だけでしか
考られなかったのが

客観的 に他人の死を見ることによって
死というものを違う角度から
見ることができた気がしました

そして、
そうすると多少なりとも 心が軽く
なった記憶
があります

同じ思い 同じ苦しみを感じているのは
自分だけではないんだと感じました

今まで自分の問題であった 自殺と
いうの俯瞰で見てみるというわけ
ですね

精神疾患の描写

本作は私が精神的に病んでいた時に
非常に共感できるがたくさんあります

作中の主人公 アランは
部屋で何か 独り言を ブツブツと言っています

しかしそれを見て私も
これ 自分でやってる!と思ったん
ですね

親しい友人もいない家族や兄弟は遠い
とこにいる

慰てくれるパートナーもいない

でも 一人きりの部屋の静寂に耐えられ
なくなり

独り言を ブツブツと言っていた時期が
あります

また 作中でアランは
アルコール依存症治療の住み込みが
できる豪華な病院に住んでいるのですが

病院の先生から君はずいぶん前から
完治しているのだから 

いずれ 出て行ってもらわねば と
言われてしまいます

しかしアランはこう言います

「私に出て行けと言うのですか?」

「私はここが必要です
    私がここを出て行ってしまえば
    またお酒を飲んでしまいます」と

社会に出る事に臆病になっているん
ですね

私自身も 精神 心療内科で
社会復帰のためのプログラムを受けて
いた反面 

ここを出て行きたくない
何の取り柄もない自分が社会に出て行くのは怖いと思っていた時期がありました

アランの考えていることは自分ごとのように感じたのです

エリックサティの音楽

本作で印象的に流れる曲は

エリック・サティ という作曲家の
ジムノペディグノシェンヌという
曲が使われています

このエリックサティの曲が
アランの誰にも理解してもらえない
悲壮感や 孤独感を見事に表現している
ようで とても胸に刺さるのですね

エリックサティの曲はこの映画が
火付け役となり

その他のドラマや映画 、ゲーム、
アニメ作品などに使用されていくこと
となります

心に残った言葉

映画の中 アランは自分が死ぬ前に
今まで親しかった人に会っていきます

そこで今までの感謝の言葉を述べる 
というわけではなく 

ただ会ってゆくのです

その中で アランは悪友 とも言える
昔からの友人に会いにいきます

アランはその友人の家族たちと
食事を取りその後 二人で街を歩き
ます

友人はアランが死にたがっている
ことを何となく 読み取り彼を
引き止めようとします

すると アランは友人にこう言います

君は親友だろ?
そうであるならこのままの僕を
愛してくれ

顔を見せてくれ
僕の死を手伝って欲しかった
それだけだ

もし自分が知ってる人にこういう
ことを言われたら

自分は何と返事をしていいのかわ
からなくなりました

希死念慮とどう付き合うか?

自分が死にたい、消えたいと思って
いるということを誰かから伝えられた
時は 

まずは相手の気持ちを否定しないこと
が大事だと個人的に思います

それは死ぬ事を推奨しているという
わけではありません

ただ、
そうか あなたは死にたいと思う
気持ちがあるんだね 

消えたいと思う気持ちがあるんだね
というように

その気持ちが"ある"ということを
受け止めるということです

そこで
反射的に自殺はいけないことだ!
などと言ってしまうと

 せっかく話してくれたその人は
この人は自分の話を聞く気がないんだ

わかってくれないんだと思い 

ひっそりと死んでしまうかもしれません

なので まずはその死にたい、
消えたいという気持ちを受け止めて

その後に じゃあどうしたらその気持ち
が無くなるのか

少し軽くする方法はないのかを一緒に
考えていくというのが好ましいと思い
ます

また多くの人も
積極的に死にたいというよりも

何か 日々の生活で失敗続きの時に
"消えたい"と思ったり

"ここからいなくなりたい"と思った
ことはあるのではないでしょうか?

それと同じで
人が死にたい 消えたいと思うことは
そこまで 珍しいことではないのでは
ないかと思います

またこの世界から消えてしまいたいと
思いながらも

誰も話を聞いてくれないと感じて
いる人はこの映画を一度見てみてく
ださい

人間というのはその日の体調や気分に
よって他人に寄り添えないことがあり
ます

そんな時も芸術作品というのは人の心
普段は隠れている柔らかい部分に寄り
添ってくれることがあります

そして自分の心に寄り添ってくれた
芸術作品を大切にしてくれればと思い
ます


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?