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未練なんて、そんな

一目惚れだった。

大学2年生の秋、毎週木曜日、同じ教室で同じような席に座っていたから、お互い「顔見知り」みたいな感じだったと思う。

スポーツをしているみたいで、肌は焼けていて、肩はがっしりとしていて、黒髪の短髪。もろにタイプだった。そして彼には、独特の隙があった。

私はなぜかその頃、人生ハッピーモードで、怖いものがなかった。希望の大学にも入れたし、大学では順調に友達も出来たし、サークルは楽しかったし、それなりに割りのいい塾講師のバイトもあったし、就活まではまだ余裕がある。毎日、楽しいと思うことを、楽しいと思うままに過ごせればそれでよかった。

無邪気だった。無鉄砲だった。
だから、なんの躊躇いもなく、彼に声をかけた。

「ねー、お昼一緒にたべよーよ」

彼はシャイなのか、突然声をかけた私が可笑しかったのか、
少し困ったような顔をして笑いながら「いいよ」と言った。


***

そこから2週間もたたないうちに、彼は私の部屋に入り浸るようになった。
いや、私が入り浸らせたようなものだった。

5.5畳のワンルームは、ガタイの良い彼と一緒に過ごすには少し狭かったけれど、それくらいでちょうどよかった。
狭ければ狭い方がいい。若かった。一時も、離れたくなかった。


彼に遠距離の彼女がいることは、初めてうちに泊まった時に聞かされていた。
地元の高校の同級生だと言っていた。彼の上京が決まった時も、地元に残った彼女とは、別れる選択はしなかったらしい。

「言っとくけど、俺、彼女いるから」

彼は狭いベッドの上で、まっすぐと私の目を見つめて言った。

胸がきゅぅっとなる音が聞こえたけれど、構っていられなかった。

『へー。別れてよ』

咄嗟に出た言葉だった。もう取り返しのつかないくらい、彼のことが、大好きだった。


それから、私は毎日のように彼に言った。

『ねー、いつ別れるのー?』

「別れないって言ったじゃん(笑)」

『えー、だって、毎日一緒にいるの、私だよ?』

「そうだけどさ」

『私と一緒にいた方がいいってー、絶対。』

彼はいつも、困った顔をしながら、最後には私を抱きしめた。


***

毎日一緒にいるものだから、彼女の情報は聞いていた。
ねー見せてよ、と駄々をこねて、一度だけ写真を見せてもらったこともあった。
私とは少し雰囲気の違う、童顔でおとなしい感じの子だった。
「しつこそうな顔してるな」と思った。

『ねぇ、なんでさぁ、この子のこと、そんなに大事なわけ?』

「こいつ、俺がいないと死ぬって言うんだよね。そういうやつなの。弱いの。だから、別れんのは、無理。」

馬鹿じゃないの、と思った。
そんなこと言う女の子は、死なないんだよ。絶対死なないよ。だから、別れてよ。


***

それから4ヶ月ほど経っても、相変わらず毎日一緒にいた。
彼女は遠距離なんだから、さほど気にしなくたっていい。

普通にデートもした。デートの前には美容院に行って、前髪を作った。
彼は「可愛いじゃん」と言ってくれた。いつぞやに見せてもらった彼女の、厚めの前髪を真似したことは、バレなかった。

彼がレンタカーを借りてくれて、鎌倉に遊びに行った。
ベタに大仏の前でツーショットを撮った。小町通りでソフトクリームを食べた。
楽しかった。


私は半ば、諦めていた。彼は、彼女と別れるつもりはないのだろう、と。
ただ、彼と一緒に寝ない夜は考えられなかった。どんなに部屋が狭くても、どんなに洗濯物の量が増えても、どんなに便座の裏側が汚れても。

デートの帰り、車の中で彼と約束をした。
私たち二人で行ったところには、他の女の子とは絶対に行かないこと。
彼は笑って「もちろんだよ」と言った。
この頃から彼は私に、毎日のように「好きだ」と言うようになった。そして、ときどき寝る前に「俺が死んだら、一緒に死んでくれる?」と聞いてくるようにもなった。その質問にだけは、いつもうまく答えられなかった。


***

ある日、彼がシャワーを浴びているとき、魔がさした。
彼のiPhoneに手が伸びた。

暗証番号くらい、かけていて欲しかった。

カメラロールを1回、2回とスクロールした。
見覚えのある童顔の女の子と、鎌倉の大仏をバックに自撮りした写真が並んでいた。

私の中で、何かが終わった。体の芯を通る温度が、脳みそが、冷たくなっていくのがわかった。部屋を見渡すと、思っていたよりも、汚なかった。

私の部屋、こんなに汚かったっけ。


***

彼には何も言わなかった。いつも通り、毎日を過ごした。
彼はよく「好きだよ」と言ってきた。私は微笑んで「ありがと」と返した。
彼を家に入れる頻度は、少しだけ減らしていった。実家に帰るとか、サークルで泊まりだからとか、なんとか言って。それでも時々うちに来ては、一緒に寝た。


ある日曜日の夕方、電話が鳴った。彼からだった。この土日は、会っていなかった。

「あのさ、伝えたいことがあって」

「・・・俺、彼女と別れた」

私の心は、動かなかった。あんなに願っていたのに、1ミリも嬉しくなかった。
潮時だと思った。

『へぇ、そうなんだ』

私の淡白な返事に、彼がイライラし出した。

「ちょ、なんだよ、もっと喜べよ。お前がずっと、言ってたんじゃんか」

鼻で笑ってしまった。
言ったねぇ。別れてよって。何度も、何度も、何度も。

『でももう、あなたのこと、好きじゃない』

彼は、情けない声を出した。

「なんだよ、こんなのないよ・・・・なんなんだよ。
 俺から全部奪うつもりなのかよ・・・こんな終わり方ねぇだろ」

うん、そうだね。こんな終わり方、ないね。
でも、もう終わりなんだよ。馬鹿だね、ほんとに。さよならだね。
もう、二度と顔、見たくないよ。

彼が鼻水をすする音をききながら、電話を切った。


5.5畳のワンルームになんとか置いた、シングルのベッド。
携帯を放り投げ、私はどさっと、寝転んだ。

あぁ、広い。ベッドが、広い。
そういえばあいつ、デカかったもんなぁ。
広いベッドって、気持ちがいいな、と天井を見つめながら、私は思った。


今更別れたって、もう遅いよ。
だって、あなたと寝た狭いベッドより、ひとりでゆったりと寝るこのベッドの方が、私はずっと気持ちがいい。もうそうなったら、おしまいなんだよ。

2番目の嫉妬も、1番目の必死さも、私にはもう、関係ない。

あぁ、私はやっと自由だ。あいつのために、死ぬわけなんかないじゃんか。


すっきりとした気持ちで、目を閉じた。


Sae

※この作品は、素晴らしいクリエイターであるげんちゃんちゃこさんとの「クズでエモい文章を書こう企画 #クズエモ」で書いてみました。フィクションです。私結構クズだと思うけど、一応これはフィクション。

お二人の作品はこちらから。最高にクズでエモい。


「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。