木嶋神社の手ぬぐい_ちょっとかわいいww__葵に扇子__

木嶋神社の神幸祭では広隆寺に里帰りするって聞いたことがあります。

#先日の余談

昨日(10月13日)、台風19号の影響で開催が危ぶまれていた太秦の例祭・神幸祭(木嶋神社・通称「蚕ノ社」)は無事執り行われた。昨年は台風21号が直撃したこともあって中止(居祭)となったこともあるのでヤキモキしておりましたが、早朝から準備されていた神輿委員、奉賛会、木嶋神社の関係者の皆さんには感謝しております。

僕は太秦に移り住んでからは毎年ご奉仕しておりますが、御神輿が氏子の各町を廻る渡御ルートの中にお寺(広隆寺)の境内が含まれているのはまぁまぁ珍しいと思うんです。広隆寺と言えば木造弥勒菩薩半跏像(国宝)が有名なんだと思いますが、広隆寺と木嶋神社の間に大酒神社という社もあって、この辺り周辺は6〜7世紀ごろから町が形成されていたんだと、浪漫バイアスを掛けながら思いにふけっているところです。

御神輿が広隆寺に到着すると、住職さんにてお経が読み上げられます。もともと木嶋神社にある御神輿(大神輿)は文政8年(1825年:江戸時代)頃、広隆寺によって作られたようで、木嶋神社の御神輿が広隆寺に戻るのは一種の里帰りのような意味合いだと聞いたことがあります。

ちょうどお昼時に広隆寺に到着することもあって、境内に130名ぐらいの輿丁(担ぎ手)やその家族らが集まって皆でお昼休憩を取ります。偶然、広隆寺を訪れる拝観者にとっては不思議な光景でしょうね。この時、担ぎ手特典みたいなものだと思うんですが、弥勒菩薩像が収められている霊宝殿(普段は有料)を開放していただいており、僕は毎回、弥勒菩薩像を拝みに行ってます♪

霊宝殿には多くの仏像が展示保管されており、内部では光による劣化を防ぐためかかなり暗い環境になっています。昨日、その弥勒菩薩像の両脇の壁面にぼんやり見える程度なんですが二枚のタペストリーが展示されていて、よく見てみるとその作者は「山鹿清華(やまが せいか)となっていることに気がついたんです。「山鹿」という姓は珍しいので、ひょっとしては?と思い調べてみると、赤穂の軍学者「山鹿素行(やまが そこう)」の子孫なんそうですよ♪ 

山鹿清華は近代(大正―昭和)染織の創始者とも言われる染織家らしく、広隆寺の建立した秦河勝は赤穂市坂越の島で生涯を遂げたとされています。僕は10年ほど前に赤穂市との接点が生まれたんですが、ここ太秦にはもっと古くから赤穂の接点があったようですねー。

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僕のnoteは自分自身の備忘録としての側面が強いですが、もしも誰かの役にたって、そのアクションの一つとしてサポートがあるなら、ただただ感謝です。